第二巻 第14回 「財務省からの呼び出し」

週初(19日)から、ドル円は前週末のクラリダFRB副議長のハト派的な発言の影響を受けた。

「米経済の先行きが懸念される中、金融当局は利上げに配慮が必要」とする趣旨の発言でドルが売られ、20日には112円30銭まで下落した。

だが、そこからは積極的なドル売りは見られず、徐々にドルが買い戻されていった。

22日が米国のサンクスギヴィング・デイに当たり、そして23日が日本の勤労感謝の日となるため、市場に積極性が見られないのだ。

21日の午後も活性のない市場となり、所在無いまま、溜まった未読メールを読み続けていた。

東城から電話がかかってきたのは、そんな時である。

「ちょっと部屋に来れるか?」

「はい、市場が至って暇なので、直ぐにお伺いします」

 

「失礼します」と言いながら、執務室のドアを押し開くと、背筋の通った東城の後ろ姿を窓の正面に捉えた。

皇居の森を眺めているのだ。

「今日は晴れて、森が良く見えますね」

「そうだな。
うちのビルは本当に良いロケーションにある」
そう言いながら、ソファーに座る様、促した。

「お話というのは?」

「実はまたMOF(財務省)から電話があったんだ。

今度は山上さん(外国為替市場課長)からで、省に来てくれと言って来た」
少し顔を曇らせながら言う。

「先週の私の動きが拙かったってことですね」

「まあ、そうだろうな。
お前から直接話を聞きたいと言って来たんで、手数だが行ってくれるか。

それとちょっと気懸りなことがある。
田村君から電話が転送されてきたことだ。

山上さんが下の番号を間違えたんだろう」

「それはちょっと、拙いですね。

こういうことだけは勘の鋭い田村さんですから、既にもう、市場課に探りを入れてる可能性があるってことですか・・・。

でも、そんなことを気にしてても仕方ありませんから、とりあえず山上さんに会って来ます」

「悪いが、そうしてくれるか」

 

山上とは木曜(22日)の午後3時に会うことにした。

 

「お久しぶりです。

2月のセミナー以来でしょうか?」

「そうでしたね。

あのセミナーは、実に良かった。

また来年も講師をお願いしますよ」

「都合が合えば、お引き受け致します。

ところで、ご用件は私のディールの件でしょうか?」

「まあ、そうです。

最近、仙崎さんは日米で大きな玉を動かしてるらしいですね。

時期が時期だけに、立場上、仕方なしにお呼び立てしました。

申し訳ありません」

来年から本格的に日米通商協議が始まる。
それ以前は円相場を安定させておきたいというのが話の趣旨だった。

「いえ、山上さんのお立場は良く理解しています。

当分は大きなディールを控えます」

「当分はというのは、当面の目的を果たしたってことですか?」
笑いながら言う。

「まあ、そんなところです」
こっちも笑って応えるしかなかった。

 

‘俺との争いでニューヨークの横尾は相当に痛手を被っている。
もう、余計なことはしないはずだ’

 

「そうですか、何かと大変そうですね、大手銀行の為替課長の仕事も。

それはそうと、東城さんにお電話した際、間違えて田村さんのところに掛けてしまいました。

今日は’何の用件だ?’と、執拗に聞いてきましたが、無視しておきました。

大学の先輩風を吹かす彼の癖、相変わらずですね。

彼のことだから、今日のヒアリングの件、省内の大学の後輩を捕まえて聞き出すかもしれません。

私の電話の掛け間違いで、仙崎さんや東城さんに迷惑が掛からなければいいのですが・・・。

一応、念のためお伝えしておきます。

それじゃ、お互い忙しい身なので、この辺にしておきましょう。

東城さんにも宜しくお伝えください」

「ご心配をお掛けしました。
それでは、失礼致します」

 

‘ここの人間にしては、珍しく腰の低い好人物だな’

 

銀行に戻ると、その足で東城の執務室へと向かった。

「おう、ご苦労だったな。
やはり、お前のディールの件だったか?」
部屋に入るなり、東城が言う。

「はいそうですが、ディールについてのお叱りは何もありませんでした。

’日米協議前に場を荒らしたくない’

そのことを分かってもらいたいというのが話の趣旨でした」

「そんなところだろうな。
彼の省内の立場を考えれば、見せかけのヒアリングも重要だからな」

「ところで、例の電話番号違いの件、申し訳ないと言ってました。

それと、田村さんが省内の誰かから今日のヒアリングの件を聞きつけるかもしれないので、注意する様にとのことでした」

「そっか、あり得ることだがどうしょうもない。

何か起きたら、その時に考えれば良いことだ。

ご苦労だったな」

「それでは、失礼します」
頭を軽く下げ、執務室を辞した。

 

執務室から自席に戻る途中で、田村に呼び止められた。

「仙崎、ちょっと話がある」と言いながら、さっさと窓際のテーブル席の方へと歩き出していた。
あっちで話そうという意味だ。

面倒だが、従うしかなかった。

「話とは何でしょうか?」

「お前、MOFのヒアリングを食らったんだって?」

「えっ、何でそれを?」

「お前、俺を見くびるなよ。

お前のこのところの行動、まぁディールだけど、市場じゃちょっと目を引いたらしいじゃないか?

それが連中(MOF)の耳に入らないとでも思ってたら、お前も相当に甘ちゃんだな。

先週随分と、外国為替市場課内でお前のディールが話題になったそうだ。

その直後の今週、山上からの呼び出しだ。

彼の目的が、その件でのヒアリングって読むのは当たり前だろう。

どうだ、図星だろ?」
まるで勝ち誇った様に田村が言う。

「それが事実だったとして、どうだと?」

「お前も食えないヤツだな。

MOFのヒアリングだぞ。

ひょとしたら行政処分ってこともあるかもな。

そうなりゃ、お前も東城さんも懲罰もんだ」
笑いながら言う。

「あんたは何処まで馬鹿なんだ」

「俺はお前の上司だぞ。

馬鹿呼ばわりはないだろ、えっ?」
田村の甲高い声が周辺に広がり、驚いた連中の目線が窓際のテーブル席に集中した。

「部下が上司を逆パワハラしたってことで、コンプラにでも駆け込んだらどうですか?

それ以外に用件がなかれば、私はこれで失礼します」
冷静に応えて、自席へと戻った。

 

席に着くなり、「田村さん、MOFの件ですか?」と沖田が心配そうに聞いてきた。

「そうだ。

MOFとの関係は問題ないが、来週には嶺(常務)さんから何か話があるだろう」

その晩、沖田を連れて青山の’Keith’に出向いた。

 

いつものテーブル席が埋まっていたので、仕方なしにカウンター席に腰を下ろした。

「まずはハートランドとサンドイッチでよろしいですか?」
笑みを浮かべながら、マスターが聞いてきた。

「ああ、それでお願いします。
BGMはKeithとCharlie Hadenの‘Last Dance’で」

Keithの心地いいピアノをCharlieのバスが優しく支えたアルバムだ。
静かに語らうには持って来いのBGMになる。

「なあ、沖田。

お前、俺の代わりを務める自信があるか?」
少しアルコールが回ったところで聞いてみた。

「えっ、急にどうされたんですか?」
沖田が声を張り上げた。

「万が一ってことさ。

派閥間の軋轢、それに馬鹿な上司や同僚との関係、そんな腹の足にもならない本部内にある柵・・・。

そろそろ外しておかないと、流れるものも流れなくなる。

さっき言った様に、近々、田村・嶺が動いて来ると思う。

その時がチャンスだ」

「えっ、あんな馬鹿部長と刺し違えるつもりですか?」

「俺は間違ったことは一つもしていない。

だから刺し違えるつもりは毛頭ない。

だが、揉め事を嫌うのが組織の上だ。

だから、彼らは揉め事を作った人間を消しにかかるに違いない。

間尺に合わないが、喧嘩両成敗って便利な言葉がある。

日和の連中もそうだろうが、俺と東城さんも何らかの咎めを負うことになるだろう。

だが、東城さんは将来のうちに欠かせない人物だ。

どうあっても彼だけは守りたい。

そのために、俺は最後まで戦うつもりだ」

その言葉を受け入れたのか、その後、沖田は一言も喋らずに淡々とウィスキーグラスを煽り続けていた。

ただ別れ際、
「絶対に辞めないでください。
僕にはまだ課長の、仙崎了の代わりは務まりませんから」と声を振り絞って言った。

店から出ると、ドアの上に掛けられたランプシェードに滲む乳白色の灯りが、沖田の顔を捉えた。
その顔に涙が伝い落ちていた。

’俺がいなくなっても頑張れよ’

 

沖田と別れた後、青山通りでタクシーを拾い、「神楽坂へ」と伝えた。

スマホをブリーフケースから取り出すと、国際金融新聞の木村へのドル円相場予測を書き出した。

 

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木村様

 

日米に休日があったせいか、今週はあまり変化がなかったですね。

でも、依然としてドルの上値が重たい展開が続くと考えています。

テクニカルポイントの多い112円台前半が抜ければ、111円台半ばもあるかと。

逆に抜けない場合は、ドルの反発もあるでしょうが、113円台後半までと予測します。

来週の予測レンジ:111円50銭~113円75銭

筋書きはお任せします。

 

IBT国際金融本部外国為替課長 仙崎 了

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メールを送り終え、窓外に目をやると、街路樹がクリスマス・ライトで覆われ出している。

ふと、このシーズンのパークアベニューの光景が脳裏に浮かんだ。

 

‘来月の20日頃にはマイクがクリスマス・プレゼントを送ってくれるという。

間違いなく送られてくるであろうプレゼントの温もりが、今はとても愛おしく感じられる’

ルームミラーにやついた顔が映ったのか、
「お客さん、今日は何か良い事でもあったんですか?」
と聞いてきた。

 

‘まあね’と躱した。

 

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

 

(つづく)