月別アーカイブ: 2018年11月

第二巻 第14回 「財務省からの呼び出し」

週初(19日)から、ドル円は前週末のクラリダFRB副議長のハト派的な発言の影響を受けた。

「米経済の先行きが懸念される中、金融当局は利上げに配慮が必要」とする趣旨の発言でドルが売られ、20日には112円30銭まで下落した。

だが、そこからは積極的なドル売りは見られず、徐々にドルが買い戻されていった。

22日が米国のサンクスギヴィング・デイに当たり、そして23日が日本の勤労感謝の日となるため、市場に積極性が見られないのだ。

21日の午後も活性のない市場となり、所在無いまま、溜まった未読メールを読み続けていた。

東城から電話がかかってきたのは、そんな時である。

「ちょっと部屋に来れるか?」

「はい、市場が至って暇なので、直ぐにお伺いします」

 

「失礼します」と言いながら、執務室のドアを押し開くと、背筋の通った東城の後ろ姿を窓の正面に捉えた。

皇居の森を眺めているのだ。

「今日は晴れて、森が良く見えますね」

「そうだな。
うちのビルは本当に良いロケーションにある」
そう言いながら、ソファーに座る様、促した。

「お話というのは?」

「実はまたMOF(財務省)から電話があったんだ。

今度は山上さん(外国為替市場課長)からで、省に来てくれと言って来た」
少し顔を曇らせながら言う。

「先週の私の動きが拙かったってことですね」

「まあ、そうだろうな。
お前から直接話を聞きたいと言って来たんで、手数だが行ってくれるか。

それとちょっと気懸りなことがある。
田村君から電話が転送されてきたことだ。

山上さんが下の番号を間違えたんだろう」

「それはちょっと、拙いですね。

こういうことだけは勘の鋭い田村さんですから、既にもう、市場課に探りを入れてる可能性があるってことですか・・・。

でも、そんなことを気にしてても仕方ありませんから、とりあえず山上さんに会って来ます」

「悪いが、そうしてくれるか」

 

山上とは木曜(22日)の午後3時に会うことにした。

 

「お久しぶりです。

2月のセミナー以来でしょうか?」

「そうでしたね。

あのセミナーは、実に良かった。

また来年も講師をお願いしますよ」

「都合が合えば、お引き受け致します。

ところで、ご用件は私のディールの件でしょうか?」

「まあ、そうです。

最近、仙崎さんは日米で大きな玉を動かしてるらしいですね。

時期が時期だけに、立場上、仕方なしにお呼び立てしました。

申し訳ありません」

来年から本格的に日米通商協議が始まる。
それ以前は円相場を安定させておきたいというのが話の趣旨だった。

「いえ、山上さんのお立場は良く理解しています。

当分は大きなディールを控えます」

「当分はというのは、当面の目的を果たしたってことですか?」
笑いながら言う。

「まあ、そんなところです」
こっちも笑って応えるしかなかった。

 

‘俺との争いでニューヨークの横尾は相当に痛手を被っている。
もう、余計なことはしないはずだ’

 

「そうですか、何かと大変そうですね、大手銀行の為替課長の仕事も。

それはそうと、東城さんにお電話した際、間違えて田村さんのところに掛けてしまいました。

今日は’何の用件だ?’と、執拗に聞いてきましたが、無視しておきました。

大学の先輩風を吹かす彼の癖、相変わらずですね。

彼のことだから、今日のヒアリングの件、省内の大学の後輩を捕まえて聞き出すかもしれません。

私の電話の掛け間違いで、仙崎さんや東城さんに迷惑が掛からなければいいのですが・・・。

一応、念のためお伝えしておきます。

それじゃ、お互い忙しい身なので、この辺にしておきましょう。

東城さんにも宜しくお伝えください」

「ご心配をお掛けしました。
それでは、失礼致します」

 

‘ここの人間にしては、珍しく腰の低い好人物だな’

 

銀行に戻ると、その足で東城の執務室へと向かった。

「おう、ご苦労だったな。
やはり、お前のディールの件だったか?」
部屋に入るなり、東城が言う。

「はいそうですが、ディールについてのお叱りは何もありませんでした。

’日米協議前に場を荒らしたくない’

そのことを分かってもらいたいというのが話の趣旨でした」

「そんなところだろうな。
彼の省内の立場を考えれば、見せかけのヒアリングも重要だからな」

「ところで、例の電話番号違いの件、申し訳ないと言ってました。

それと、田村さんが省内の誰かから今日のヒアリングの件を聞きつけるかもしれないので、注意する様にとのことでした」

「そっか、あり得ることだがどうしょうもない。

何か起きたら、その時に考えれば良いことだ。

ご苦労だったな」

「それでは、失礼します」
頭を軽く下げ、執務室を辞した。

 

執務室から自席に戻る途中で、田村に呼び止められた。

「仙崎、ちょっと話がある」と言いながら、さっさと窓際のテーブル席の方へと歩き出していた。
あっちで話そうという意味だ。

面倒だが、従うしかなかった。

「話とは何でしょうか?」

「お前、MOFのヒアリングを食らったんだって?」

「えっ、何でそれを?」

「お前、俺を見くびるなよ。

お前のこのところの行動、まぁディールだけど、市場じゃちょっと目を引いたらしいじゃないか?

それが連中(MOF)の耳に入らないとでも思ってたら、お前も相当に甘ちゃんだな。

先週随分と、外国為替市場課内でお前のディールが話題になったそうだ。

その直後の今週、山上からの呼び出しだ。

彼の目的が、その件でのヒアリングって読むのは当たり前だろう。

どうだ、図星だろ?」
まるで勝ち誇った様に田村が言う。

「それが事実だったとして、どうだと?」

「お前も食えないヤツだな。

MOFのヒアリングだぞ。

ひょとしたら行政処分ってこともあるかもな。

そうなりゃ、お前も東城さんも懲罰もんだ」
笑いながら言う。

「あんたは何処まで馬鹿なんだ」

「俺はお前の上司だぞ。

馬鹿呼ばわりはないだろ、えっ?」
田村の甲高い声が周辺に広がり、驚いた連中の目線が窓際のテーブル席に集中した。

「部下が上司を逆パワハラしたってことで、コンプラにでも駆け込んだらどうですか?

それ以外に用件がなかれば、私はこれで失礼します」
冷静に応えて、自席へと戻った。

 

席に着くなり、「田村さん、MOFの件ですか?」と沖田が心配そうに聞いてきた。

「そうだ。

MOFとの関係は問題ないが、来週には嶺(常務)さんから何か話があるだろう」

その晩、沖田を連れて青山の’Keith’に出向いた。

 

いつものテーブル席が埋まっていたので、仕方なしにカウンター席に腰を下ろした。

「まずはハートランドとサンドイッチでよろしいですか?」
笑みを浮かべながら、マスターが聞いてきた。

「ああ、それでお願いします。
BGMはKeithとCharlie Hadenの‘Last Dance’で」

Keithの心地いいピアノをCharlieのバスが優しく支えたアルバムだ。
静かに語らうには持って来いのBGMになる。

「なあ、沖田。

お前、俺の代わりを務める自信があるか?」
少しアルコールが回ったところで聞いてみた。

「えっ、急にどうされたんですか?」
沖田が声を張り上げた。

「万が一ってことさ。

派閥間の軋轢、それに馬鹿な上司や同僚との関係、そんな腹の足にもならない本部内にある柵・・・。

そろそろ外しておかないと、流れるものも流れなくなる。

さっき言った様に、近々、田村・嶺が動いて来ると思う。

その時がチャンスだ」

「えっ、あんな馬鹿部長と刺し違えるつもりですか?」

「俺は間違ったことは一つもしていない。

だから刺し違えるつもりは毛頭ない。

だが、揉め事を嫌うのが組織の上だ。

だから、彼らは揉め事を作った人間を消しにかかるに違いない。

間尺に合わないが、喧嘩両成敗って便利な言葉がある。

日和の連中もそうだろうが、俺と東城さんも何らかの咎めを負うことになるだろう。

だが、東城さんは将来のうちに欠かせない人物だ。

どうあっても彼だけは守りたい。

そのために、俺は最後まで戦うつもりだ」

その言葉を受け入れたのか、その後、沖田は一言も喋らずに淡々とウィスキーグラスを煽り続けていた。

ただ別れ際、
「絶対に辞めないでください。
僕にはまだ課長の、仙崎了の代わりは務まりませんから」と声を振り絞って言った。

店から出ると、ドアの上に掛けられたランプシェードに滲む乳白色の灯りが、沖田の顔を捉えた。
その顔に涙が伝い落ちていた。

’俺がいなくなっても頑張れよ’

 

沖田と別れた後、青山通りでタクシーを拾い、「神楽坂へ」と伝えた。

スマホをブリーフケースから取り出すと、国際金融新聞の木村へのドル円相場予測を書き出した。

 

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木村様

 

日米に休日があったせいか、今週はあまり変化がなかったですね。

でも、依然としてドルの上値が重たい展開が続くと考えています。

テクニカルポイントの多い112円台前半が抜ければ、111円台半ばもあるかと。

逆に抜けない場合は、ドルの反発もあるでしょうが、113円台後半までと予測します。

来週の予測レンジ:111円50銭~113円75銭

筋書きはお任せします。

 

IBT国際金融本部外国為替課長 仙崎 了

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メールを送り終え、窓外に目をやると、街路樹がクリスマス・ライトで覆われ出している。

ふと、このシーズンのパークアベニューの光景が脳裏に浮かんだ。

 

‘来月の20日頃にはマイクがクリスマス・プレゼントを送ってくれるという。

間違いなく送られてくるであろうプレゼントの温もりが、今はとても愛おしく感じられる’

ルームミラーにやついた顔が映ったのか、
「お客さん、今日は何か良い事でもあったんですか?」
と聞いてきた。

 

‘まあね’と躱した。

 

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

 

(つづく)

第二巻 第13回 「内通者」

ニューヨーク市場が休場となった週初(12日)の午前中、ドル円は114円を挟んで方向感のない展開を続けていた。

だが午後になると、日経平均株価が前日比プラスとなり、これに連れてドル円は114円21銭まで上昇した。

「沖田、10(114円10銭)以上で売れるだけ売ってくれ」

「了解です」

沖田が15分後、「今のところ、アベレージ15(114円15銭)で200本売れてますが、続けますか?」と聞いてきた。

「俺も16で100本売ったから、とりあえず止めてくれ。
それにしても、なかなか落ちないな」

「そうですね、先週の高値(114円9銭)を抜いたので、55(114円55銭)を試すと思ってる連中が多いのかもしれません」

暫くそんな話をしていると、やっと114円が売りになった。

欧州株が大幅に下落したことでリスクオフ・ムードが一挙に高まり、円が買われ出したのだ。

「どうします?」と沖田が聞いてくる。
利食いの買い戻しを入れるかという意味だ。

「100本の買いを75(113円75銭)でリーブしておいてくれないか。
どうせまた、114円台に戻すだろうから、その時に売り余力が必要だ。

ちょっと、東城さんに呼ばれてるので、執務室に行ってくる。
俺が戻るのを待たないで、適当なところで帰って良いぞ」

「了解です」

 

「先週の大阪出張、ご苦労だった。
好評だったそうじゃないか」
執務室のソファに腰を下ろすなり、東城が労いの言葉をかけてくれた。

「はい、お陰様で」

「ところで今朝、MOF(財務省)の吉村さんから電話があった。

‘最近、うちのフローが頻繁に飛び交ってるが、特に理由があるのか’と聞いてきた。

来年からアメリカとの物品貿易協定(TAG)の交渉が始まるので、上層部は円相場が荒れるのを嫌ってるらしい」

「それで、本部長は何とお答えになったんですか?」

「海外のファンドや日本の機関投資家を客に持ってるが、最近彼らのフローはうちに流れて来ない。

だが、うちもディーリングで稼ぐ必要があるので、積極的にディールもやってる。

必要があれば、その点はお前に直接聞く様にと言っておいた。

うちに好意的な吉村さんのことだ。

お前のディールがMOFに漏れてることを暗に知らせてくれたんだろう。

情報源は内部の人間かもな」

「そうですか。

たとえ吉村さんからでも、MOFのヒアリングには違いありません。

頻繁に動かない方が良いでしょうか?」

「まあそうだろうが、あまり気にせずに動きたいときに動け。

通常のディールに法的規制はないからな」
笑みを浮かべて言う。

その笑みは‘最後は俺に任せておけ’と言ってる様だった。

「了解しました」
と言って、その場を辞した。

 

翌日(火曜日)の朝方、ドル円は113円58銭を付けたものの、午後に入ると急騰し出した。

200本のドルショートは残したままだ。

 

‘でも、ここは手仕舞わずにじっと耐えるしかない。
自分でも少し掌に汗をかいているのが分かる’

 

そんな折、ロンドンの岸井から電話が入った。
「仙崎さん、パーマー銀行とシッスルズ銀行がそれぞれ300本ずつ買ったそうです。

裏はスイス系と英系のファンドというのがこっちの情報です。

上は14(114円14銭)までですが、少し下がると買いが湧いて来る感じですね。

もしかしたら、横尾さんの差し金でしょうか・・・?」

「彼がファンドに働きかけたとすれば、俺のショートを潰しにかかってるってことだ。

いずれにしても、情報ありがとう。
また何かあったら教えてくれ」

「承知しました」

 

翌日(水曜日)になっても、ドル円が落ちない。

113円70~80銭で執拗に買って来るヤツがいる。

上値も重いが下値も堅いといった展開が続く。

ここを潰さないと、上に持って行かれかねない状況だ。

その日の晩、社宅から山下に電話を入れた。

「どうだ?」

「欧州通貨は不安定過ぎて、あまり手を出す人間はいない様です。

ドル円は買いも出てきますが、少し上値が重たい感じでしょうか・・・」

「分かった。

ドル買いが出たら、その買いを叩く様に売ってくれ。

そして114円が付く様なら、そこで売れるだけ売ってくれないか。

電話を待ってる。

頼んだぞ」

電話を切ると、マイクに電話を入れた。

 

「Hi Mike, it’s me」

「Hi Ryo, how can I help u today?」

「昨日からスイス系のファンドがドル円を買ってるらしいけど、お前の客じゃないか知りたいんだ。

俺はこれからドル円を落とすつもりだから、念のために確認してくれないか?

お前の客だったら、悪いからな。

もしそうでないなら、80(113円80銭)が売りになったら、客に売る様に勧めてくれないか。
必ずドルは落ちるから」

「Wait a second」と言うと、少し間が空いた。

「ああ、俺の客じゃないみたいだ。
80givenで売る様に頼んでおいたよ。

ところで、いつこっちに来てくれるんだ?」

「今その準備中だ。

この電話もその一環だから、もう少し待ってろ。
約束はできないけどな」

「そうか、期待してるぞ。

それとクリスマス・プレゼント、来月の20日頃に届けるよ。

今のお前が一番欲しいものをな。

それじゃ、Good luck!」

 

ドルが落ち出したのは0時を過ぎてからだった。

80がgivenし出した(売りになり出した)頃、固定電話が鳴った。
山下からだ。

「課長、114円以上では30本しか売れませんでした。

それと小刻みに売った合計は120本です」

「そっか、今幾らだ?」

「一度80がgivenした後の80-82です」

「良く聞け。

ここからマイクの客も売る、俺も売る。

70以上で売れるだけ売ってくれ」
止めを刺しておきたかった。

 

‘必ずドルは落ちる’

 

ラフロイグをなみなみと注いだグラスを片手に、ソファーに座り込んだ。

BGMには明るい曲が良い。
Michael Franks の CD‘The Music In My Mind’をBose のミュージック・システムに挿入した。

ジャズ・フュージョン・ボッサを融合した都会的メロディーにヴォイスが上手く乗っている。

4杯目のグラスを空けたところで、山下から電話が入った。

「今、50がgivenしたところです。

こっちで売れたのは都合250本です。

どう処理しますか?」

「放っておけ。

もう直ぐ彼等が全部投げる(買ったドルを損切る)。

それで決着はつく。

横尾の様子はどうだ?」

「さっきから、誰かにあやまり続けている様子です。

横尾さん自身もロング(ドルの買い持ち)なので、相当に焦っている感じでしょうか」

「分かった。

ところで、誰かが俺のディールをMOFに漏らしてるらしいんだ。

横尾か田村だとは思うが、お前はどう思う?」

「レポーティング・ライン(業務報告ライン)を考えると、横尾さんは課長のディールを見ることができません・・・。

とすると、田村さんということになるんでしょうか?」

「そっか、本部の序列では、俺のポジションを見ることができるのは田村と東城さん。

管理やコンプライアンスの観点からは、バックオフィスの連中かコンプライアンス・オフィサーってことか。

消去法でいけば、田村だ。
横尾が俺のポジションを直ぐに把握していたのも、田村が流していたのか。

まぁ、そんなとこかな。

今日のお前は冴えてるな」

「冴えてるのはいつもでしょ」
笑って言う。

「そうだな、いつもだな。
それじゃ、今日はありがとう」

「お疲れ様でした」

 

ドル円は週末の金曜日に112円65銭まで下落し、112円80銭前後で週を跨いだ。

 

週末の土曜日、天気は完璧な秋晴れだった。
たまには横浜の実家へ帰ろうかとも思ったが、一昨日に夜通しのディールを行ったせいか、ベッドから起き上がることもできない。

二度寝を決め込んだ。

目が覚めたとき、外は既に暗かった。

 

‘長時間眠れるのはまだ若いってことか、本当に疲れ切っていたのか。
「秋の日は釣瓶落とし」って便利な言葉もあるか’

 

やっとの思いでベッドから出ると、冷蔵庫からハートランドを取り出し、喉を潤すと今度はソファーにどかっと座り込んだ。

テーブルの上のスマホを手にし、国際金融新聞の木村宛てに来週の予測を書いた。

 

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木村様

112円台前半が抜ければ、111円台前半もあるかと。

ドルの反発があったとしても、113円台後半までと予測します。

予測レンジ:111円50銭~113円75銭

筋書きはお任せします。

 

IBT 仙崎 了

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10分もすると、木村からの返信が届いた。

 

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仙崎様

いつもありがとうございます。

先週の予測‘114円台は上髭’は流石でしたね。

大分お疲れの様なので、神楽坂にある行きつけの寿司屋に特上寿司を届ける様に頼んでおきました。

‘旨いですよ’

 

国際金融新聞 木村

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‘泣かせてくれるな’

夕飯の心配をしなくて済む安堵感から、ソファーに寝そべった。

再び覚えたまどろみの中で、ミッドタウンを歩く岬の姿を見た。
だが、直ぐにその姿は消え、脳裏には明るく手を振る志保の姿が浮かんできた。

 

(つづく)

 

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第二巻 第12回 「証言を求めて」

米中間選挙の結果が固まった後の金曜日(9日)、大阪支店へと向かった。
支店が開催する顧客向けのシンポジウムで、「来年の世界経済と為替動向」について講演するのが目的である。

世界でも有数の為替ディーラーという枕詞が俺に付けられてしまったせいで、支店からの講演依頼が多い。
昨年同様に今年も政令都市の支店すべてから依頼を受けていたが、とても全部は無理だ。
大阪・仙台・横浜に絞らせてもらった。

IBT大阪支店は中之島にある日銀大阪支店にほど近い。
シンポジウムは支店から徒歩で数分のところにある堂島川沿いのAホテルで行われる。
シンポジウム後に行われる懇親会パーティーを考慮してのことだ。

午後3時過ぎにAホテルに着いたが、ロビーでの幹事役との打ち合わせの4時までには少し間がある。

新幹線で資料の下読みは済んでいるので、それまで特にやることはない。
ベッドサイドのテーブルに備え付けられた時計のアラームを3時45分に合わせると仮眠をとった。

 

5時からのシンポジウムは簡単な支店長の挨拶で始まり、自分の講演、国内経済担当の講演、そしてパネル・ディスカッションという手順で無事終了した。

もっとも、顧客には直接俺と話すことを目的としている役員や部長クラスが多いため、その相手も結構疲れる。

パーティー終了時間の9時半を過ぎても、質問者が絶えなかった。
来年の円相場や、米捻じれ議会の下で苦しい内外政策を強いられるトランプ政権の行方などの質問ばかりで、少し辟易とした。

すべて講演やディスカッションで話したことばかりだが、直接俺から話を聞きたいらしい。

幹事役が‘それではお時間が参りましたので、そろそろお開くに・・・’という挨拶にも関わらず、俺の周辺に人が群がっている。

そんな状況を見かねて、幹事役が客に‘ホテル側の都合もありますので、申し訳ございませんが’と救いの手を差し伸べてきた。

その寸隙をぬって、会場から出るとエレベーターで24階のラウンジバーへと急いだ。

 

「仙崎君、講演やシンポジウム、良かったよ。
俺にはとてもあんな話はできないな。

やはり君は我が行のエースであり、広告塔だ」

「いや、先輩にそう言われるとお恥ずかしい限りです。
ところで今日は、お時間を頂きありがとうございます」

待ち合わせた相手は9年前に俺に罠を仕掛けた一人である木戸で、今は大阪支店の融資第一部の次長を務める。
当時まだ、田村が国際金融本部の外国為替課長だった頃、一番の部下だった。

「それはいいが、今日は俺に何の用だ?」

「木戸さんもご存じの様に、統合から15年経った今もIBTには住井銀行出身者と日和銀行出身者との間に軋轢が残っています。

特に国際業務関連の部門では。

うち(国際金融本部)でも同じです。

 

「それで、お前は二行の軋轢をどうしたいんだ?」

「取り除きたいと考えています。

と言っても、うちの本部内にある軋轢ですが。

そのためには、何かと本部に介入してくるニューヨークの清水支店長や横尾さんとの間も整理したいと・・・。

そこで、木戸さんのお力をお借りできないでしょうか?」

「俺の力ってどういうことだ?」

「はい、木戸さんは当時、田村さんや大竹さんと一緒になって私に罠を仕掛けましたよね。

あれは田村さんが木戸さんや大竹さんに無理強いしたものと考えていますが、その点、如何でしょうか?」

「ああ、確かにそうだ。

田村さんは常々、‘外国為替課を一つにまとめたい。そのためには、ああいう出来すぎたヤツは不要だ’と言っていた。

ヤツとはお前のことだ。

あの日の前日、‘手を貸せ’と言って、俺と大竹に罠の話を持ち掛けてきた。

手を貸さないのなら、‘お前等は国際畑に居られなくなる’とも脅かされたよ。

嶺さんはもう直ぐ、常務に昇格し、田村が部長・本部長へと昇ることも仄めかしてな。

国際分野で働くことが学生時代からの俺の夢だったし、国際金融本部に残りたかったから、軽い気持ちで引き受けてしまった。

ただ、あの罠があれほどお前を痛めつけてしまうとは思わなかった。

今更だが、悪かった。

本当に悪かった」

「そのことはもういいんです。

その代わりと言っては何ですが、この先もしかしたら、木戸さんに当時のことを話して貰うことになるかもしれません。

お願いできませんでしょうか?」

「おいおい、それは結構難しい相談だぞ」

「分かっています。

下手をすれば、嶺・清水の力で左遷されかねないってことですよね。

でも、上手く行けば、彼等を今の立場から外すことも可能です。

そして木戸さんが田村さんの席につけばいい。
きっと東城さんが手を貸してくれますよ。

私は住井派でも、日和派でもない。

ただ、国際金融本部を風通しの良い部署とし、やがてそんな雰囲気がIBT全体に広がって行けばと考えているだけです」

「お前、本気か?
まさか、うちを辞めるつもりじゃないだろうな?

さっきも言ったけど、お前はうちのエースだぞ。
お世辞で言ってるんじゃない。
お前の講演やディベートを聞いていて、本当にそう思ったんだ」

「お言葉、ありがとうございます。

ただ、仮に私がいなくなったとしても、木戸さんもいるし、沖田や山下も育っています。
それに何と言っても、軸となる東城さんがいるじゃないですか。
来年にも彼は常務になり、将来はさらに上に行くと信じています」

’木戸が為替ディーラーとして一流の腕を持っている。
田村の妙な小細工がなければ、今頃は部長席で東城の片腕として力を発揮していたのは間違いない。

俺がいなくても、この本部は大丈夫だ’

 

「まぁ、その件、考えておくけど、俺もサラリーマンだ。
左遷だけは勘弁願いたいがな」

「その節は宜しくお願いします」
頭を深々と下げながら、頼んだ。

請求書を手にしてその場を去ろうとすると、木戸がその手を掴んだ。

「ここはいい。
俺に払わせてくれ。
せめてもの当時の詫びだ。
詫びにしてはちょっと安すぎるけどな」
苦笑いを浮かべて言う。

遠慮せずに礼を言い、出口へと向かった。

 

「おい、辞めるなよ!」という声を背中で受け止めた。

 

‘助けてくれればいいが。

田村を落とすためには彼の証言がほしい’

 

ドル円相場は昨日(木曜日)のニューヨーク市場で114円9銭まで上昇し、113円80銭前後で週を越した。

 

米中間選挙では大方の予測通り、下院では民主党が過半数を超え、上院では共和党が過半数を超え、捻じれて終えた。

週末の各テレビ局の報道番組は、‘米政権の今後を占う’的なもので占められていた。
したり顔の評論家連中のコメントはもっともらしいが、どれも核心をついていない。

 

‘どうでもいい話ばかりだ。

そろそろ、国際金融新聞の木村に「来週のドル円相場予測」を送っておくとするか’

 

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木村様

 

ドルは堅調に見えますが、そろそろ調整が入る頃かと考えています。

目先でドルが買われても、114円以上は上髭と踏んでいます。

 

予測レンジ:112円~114円73銭。

 

今日の午後、大阪から帰ってきたばかりで少し疲れているため、短文にて失礼致します。

 

IBT国際金融本部外国為替課長 仙崎 了

 

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メールを出し終えると、ソファーに横たわった。

BGMに流しておいたMelody Garnet の アルバムが丁度‘The Rain’に差し掛かったところだ。

Rain came down in the sheets that night and you and I stared out to the left to the right・・・・・・

甘く悩ましい、そして少し枯れた声が静かに流れ、まどろみを誘った。

「了、強く抱きしめて」
確かに夢の中で志保の声を聞いた。

 

(つづく)

 

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第二巻 第11回 「情報操作」

MLBワールドシリーズは最長7試合で先に4勝したチームがチャンピオンの名を手にする。

週初の月曜日(10月29日)、ボストン・レッドソックスが第5戦目でLAドジャーズを退け、対戦成績4-1でチャンピオンシップをものにした。

これで今年のMLBも完全に終了である。

MLBが終わるこの時期、毎年喪失感が心の中に湧くが、それはニューヨーク時代から変わらない。

そんな心模様の中、為替市場は静かな展開が続き、ドル円相場も112円の手前での小動きが続く。

ただ、どことなくドルに底堅さが感じられる。

 

 

ドル円が跳ねたのはその日のニューヨーク時間のことだった。

米国債10年債利回りが3.1%台を回復したことが要因だが、値動きを見ると誰かの大きなドル買いが入った様にも見える。

ラフロイグを注いだグラスを片手にモニターを追っていると、山下から電話が入った。

「遅くにすみません。今よろしいでしょうか?」

「よろしくなくても、話があるんだろ?」

「はい。

実は今朝、横尾さんが私のデスクまで来て、‘お前の読みはどうなんだ?’と聞いてきました。

先週は112円台後半でドルの上値が重たかったので、ここは(112円半ばでは)一旦売っても良いと考えてますと答えたんですが、

‘仙崎に仕込まれたお前の相場観もその程度か。
俺は、今日からドルは売らない方が良いと思う。
聞く耳を持つか持たないかはお前次第だがな。
ただ、忠告したことだけは忘れるなよ’

と言い残して、自席へと戻って行きました」

「なるほど、ちょっとした脅しだな。
もっとも、そこまで言うからには余程の自信があるんだろう。

さっきから値動きを見ていたが、彼の頼みでサポーターのファンドがドルを買ったんじゃないのか?

お前のポジションは、今ショート(ドルの売り持ち)か?」

「はい、30本だけですが・・・。
さっき客が45(112円45銭)で50本買ったうちの30本がアンカバー(ドルショート)になっています」

「そっか。今、ショートを持っていて居心地が良いか?」

「いえ、上値は重たい感じですが、かと言ってそんなに下もない様に思います。
こっちの長期金利も上がってきたので・・・」

「それじゃ、ショートは何処かで閉じておいた方が良いな。
今、昼前か・・・。

午後に入ったら、横尾がドル買いを頼んだサポーターのファンドがロングを落としてくる(ドルを売ってくる)と思う。

聞くところでは、彼の知り合いのファンドは皆、つるんで短期の利鞘稼ぎで立ち回ってるらしいから、ロングを落としてくるハズだ。

その時に、買戻しておくといい。

お前の処理が終わったら、横尾に伝えておいてくれ。
俺が明日(火曜日)の東京で200本買い、3円台(113円台)に乗ってから徐々に利食うと」

 

‘俺のロングを利食わせたくないとすれば、必ず何処かでドルを売ってくる’

 

「了解しました。

それでは失礼します。

おやすみなさい」

 

翌日(火曜日)の東京市場が開けると、直ぐに山下から電話があった。

「昨晩の打ち合わせ通り、課長の伝言を伝えておきました」

「そっか、今38(112円38銭)で100本買った、残りの100本も今買う。

横尾や彼のサポーターはきっと、3円に乗せる前に大きな売りを入れてくるはずだ。

そこでドルが下がったら、俺は追加でドルを買う。

横尾等のショートを切らすまでな。

どうせ肝っ玉の小さい連中だ。

3円台に乗ったら慌てて切るさ」

「いよいよ面白くなってきましたね。

課長のお役に立てる時間帯がニューヨーク市場だと良いんですが」

「多分、今日のニューヨークでそうなる。

その時はしっかり頼むぞ」

「了解です」

山下との会話を終えた後、トランプ大統領の「対中貿易で素晴らしい取引を見込む」との発言で株式市場がリスクオンの姿勢となった。

日経平均株価の大幅上昇に連れて、ドル円は112円74銭まで上昇した。

ここからが肝の水準である。
前の週にドル円は113円台に乗っていないため、有象無象の売りが出やすいからだ。

 

案の定、市場の中心がロンドンからニューヨークに移り出すと、ドル円の売りが出始めた。

90(112円90銭)に届くと弛みなく売りが出る。

社宅のデスクのPCを見つめながら、ドルが下がるのを待った。

山下の情報では、横尾達は55~60(112円55~60銭)程度での買い戻しを狙ってる様だ。

 

‘そろそろ、山下に電話を入れるとするか’

 

「あっ、課長。いよいよ動き出しますか?」

「今、いくらだ?」

「80-82です」

「そっか、80がgivenしたら(ドルが80で売りになったら)50本ずつ買い続け、75がgivenしたらそこで買うのを止めてくれ。

これからロンドンの岸井に、75givenでの買いを頼むつもりだ。

了さん、いえ課長は彼らにショートを切らせることで3円台(113円台)を狙ってるんですね。

そこで跳ねたところで売る」

「まぁ、そんなところだ。
後で何本買えたか、メールを入れてくれ」

「了解です」

山下との電話を終えると直ぐにロンドンの岸井に電話を入れ、75givenで50本ずつ買う様に頼んだ。

 

結局ポジションは、昨日買った200本と合わせて都合600本のドルロング(ドル買い持ち)となった。

完全に限度オーバーだ。

しくじれば重い懲罰が下り、儲けても何らかの罰が下される。
今回は収益目標ではないだけにより罰は重い

東城には本件の話をしていない。

言えば、東城は‘お前の好きな様にやれ’と言うに違いないが、今回はそれを躊躇った。

 

‘自分だけで責任を取るつもりだ’

 

翌日の東京(水曜日)でドルは113円34銭まで跳ね上がった。

山下の話では、横尾達のドルショートは113円に乗せたところで買い戻しに転じたという。
NYダウの反発がアジア株全体を押し上げ、ドル円がそれに連れたことも幸いした。

俺の600本のドルロングは、東京で113円20、ニューヨークで113円30で売り捌いた。
収益は3億を優に超えたが、あまり後味の良い儲けではない。

 

翌日の朝、すべてを報告すべく東城の執務室を訪れた。

早朝にメールで一連の顛末を報告してあったので、東城の結論は早かった。

「俺のオバーナイトの限度は300本ある。

俺が自分自身のディールをお前に一任しておいたことにすればいい。

つまりお前の限度300本と合わせて600本だ。
お前の限度オーバーにはならないな。

それで何か問題があるか?

さっき、バックオフィスの山根君にもアカウントコレクション(口座訂正)の依頼もしてある。

もう一蓮托生だな」
と笑いながら言う。

頭を深く下げながら、
「ありがとうございます」とのみ言った。

と言うよりも、あまりの心の広さに触れ、それ以上の言葉が出なかったのだ。

熱くなる目頭を東城に見せるのを避ける様に、短く「失礼します」と言って、ドアに向かった。

「無理するなよ」
という言葉を背中で聞いた様な気がする。

部屋を出ると、ドア越しに深々と頭を下げた。
再び目頭が熱くなるのを覚えた。

 

‘この件は早晩、田村や嶺に伝わることになる。
そうなれば、俺だけでなく、東城も責めを負う。
それにも関わらず、あの人は・・・’

 

その日以降もドル円は112円半ばを割り込むこともなく、113円20銭近辺で週を跨いだ。

米10月の雇用統計で、NFP(非農業部門雇用者数)増が予想を上回ったことや、前年同月比の平均賃金の伸び率が高かったことがドルの背中を押した。

山下の話では、ショートを踏まれた後の横尾は心なしか意気消沈している様子だという。

 

‘だが、あの程度のダメージで手を引くような横尾じゃないはずだ’

 

土曜日の晩、定例となった国際金融新聞の木村へのドル円相場予測を書くため、ラフロイグのボトルとグラスを持ってデスクへと向かった。

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木村様

米中間選挙では民主党が議席数を増やし、捻じれを懸念する声が多い様ですね。

もっともトランプ弾劾については、上院改選議席数をすべて民主党が獲得しても、採決に必要な上院議席数三分の二までは至らない。

とすれば、イベント一過で、市場の反応は薄いかと見ています。

FOMCは12月利上げの地ならし程度の解釈といった感じでしょうか。

経験則から、米雇用統計が良好だった翌週はあまりドルが上がらない様な気がします。

ただ相場の焦点が少しぼやけてきたので、実践では柔軟性を持って対応したいと考えています。

来週のドル円予測レンジ:111円50銭~114円10銭

 

IBT国際金融本部外国為替課長 仙崎 了

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(つづく)

 

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。