月別アーカイブ: 2018年3月

第42回 「山下を襲う知らざる敵」

週初19日(月曜日)、財務省文書改竄問題で揺れる安倍政権の支持率が急低下するなか、株式市場に急落の兆しが見え始めた。

そんな状況下、為替市場は円買いに動いた。
106円近辺で寄り付いたドル円は、いきなり105円68銭まで下落。

 

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日本株の軟調で円買いに動くのは不自然だが、世の中に不透明感や地政学的リスクが漂い始めると、為替市場は慣行的にそんな動きをする。

これを、新聞の経済欄は真面な論調で ‘相対的に安全度が高い資産である円が買われた’ などと表現する。

円が通貨である以上、資産には違いないが、そんな表現は稚拙であり、記者の程度が知れる。

こんな時に円買いに動く参加者の多くの拠り処は、脳内に深く刷り込まれてしまった「相対的に安全資産である円」というフレーズである。

短絡的だが、短期のスペック(投機)はそれに乗らないと、日銭が稼げない。
そうしたなかで、市場の機微を見分けらながら、俊敏に立ち回れる為替ディーラーのみが生き残れる。
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それ以降、ドル円相場は106円を挟んで揉み合う展開となった。

106円半ばに近づくとドル売りが出る、105円台に入るとドル買いが出る。
そんな展開である。

21日(水曜日)のNY時間に開催されたFOMCでは、FFレートの目標値が従来の1.50%から1.75%に引き上げられることが決定され、利上げペースも今回を含んで年内3回という見込みも不変だった。

市場の予測通りの結果だ。

ドルを積極的に買う向きはいない。

声明後の記者会見でパウエル議長から「遅すぎる利上げは経済にリスクを齎す」というタカ派的なコメントが発せられたが、市場はドル買いに動かなかった。

逆に言えば、今回利上げがなかったとすれば、ドル売りが殺到するという見方もできる。
市場はドル買い材料に反応せず、ドル売り材料に反応する、そうした展開が続いていると考えるべきだ。

106円を挟んだ展開が続いているが、やはりドルの急落が起きそうな気配を感じる。

ドル円の下落では、ドル売りなのか円買いなのかを見極める必要がある。
一連のドルの下落では、両方の動きが重なるという混沌の中で、資本筋や実需の動きが複雑に絡み合う。

森友文書改竄→日本株売り、トランプの無手勝な通商政策→内外経済への悪影響→米株売り、こんな状況の中で ‘リスクオフ(回避)’ というフレーズがメディアによって吹聴されれば、市場参加者の円買い(ドル売り)を勇気づける。

決して円が安全通貨ではないのに。

‘節目の105円を試す展開は近い’

先週の土曜日に国際金融新聞の木村に送った「ドル円相場予測」では、ドルの下値(円の高値)を103円50銭に置いた。
そこまで届くかどうかは別としても、節目の105円を割り込む’ことは間違いない。

果たしてそんな展開は22日(木曜日)に訪れた。

トランプが中国に対する貿易制裁発動を命ずる文書に署名したことを契機に、NYダウが急落した。
それに連れて、ドル売りが加速し出したのだ。

その日、ドル円は105円26銭で踏み止まったが、翌日の週末には一時1000円を超える日経平均の急落に連れる格好で104円65銭まで沈んだ。

そんな折、東城からお呼びがかかった。

 

東城の執務室のドアをノックすると、
いつも通りの「おう、入れ」という落ち着いた声が聞こえた。

「お早うございます。
だめですね、ドルは」

「そうだろうな。
貿易戦争という怪しいフレーズが流布するなか、来週には佐川氏の証人喚問とあっては、
市場が不安心理に駆られても当然か。

それにしても、まだメディアは‘リスク回避の円買い’だなんて言葉を使ってるのか。
異常な金融緩和が続いてる一方で、政局がこんな状況だ。
それに日経平均も2万円の大台割れが迫っている。
円が安全通貨とは呆れるな。

スペックが円を買うだけなら、それはそれで勝手にさせておけば良いが、知らぬ間に大台が変わると、資本や実需が慌てることになる。
やっかいだな。

国際通貨としての諸機能をすべて満たしているドルが有事通貨だった遠い昔、そんなものかとも思った。

だが、円は第三国通貨としての利用度は数パーセントに過ぎないローカル・カレンシーだ。
もっとも、理論尽くめで読めないのが相場だからな」

「はい、円買いが市場の反応なら仕方ないですね。
こんなとき、市場の動きに合わせて反応しなければならないインターバンクの連中は辛いですよ」

「そうだな。
それはそうと、山下君は来週、ニューヨークに向かう予定だったな。
これを渡しておいてくれ」
餞別の品である。

「お気遣いありがとうございます。
彼が少し慣れたところで、奥さんとお子さんが向かうそうです」

「そうか。
それが、良い。

車の免許など、家族を呼び寄せる前に本人のやるべきことは多いし、仕事にも慣れておく必要がある」

「そうですね。
もっとも、ボードに座るのは同じですし、仕事の方は問題ないかと思いますが」

「ああ、ただ少し心配ごとが出てきた。
トレジャラー(為替資金部長)の山際の体調が悪いらしい。

本人は鬱気味だというが、恐らくは5年間の重責で疲れが溜まってのことだ。
こっちで暫く、楽な仕事に就かせてあげたい。

問題は人材だ。
この件は、嶺常務にも伝えてある。

嶺さんはスイスの横尾を推してきた。
統合前の片割れである日和銀行では屈指の為替ディーラーと言われた男だ。
だが、彼は性格に難点がある。

気性の良い山下と真逆の性格の持ち主、その二人のディーリングの力が同じだとしたら拙いことになりそうだ」

「そうですか、山際さんなら山下を預けても問題ないと思ったのですが、それは拙いですね。
と言って、あそこのトレジャラーのポジションは重要ですから、力のない人間は送れないですよね」

「そうだな。
もう嶺さんはニューヨーク支店長に話をしている様だから、ほぼ決まるだろう。
俺も色々と考えてみたが、今は横尾に優る人材は見つからない。

まだチューリッヒの内部事情もあって、入れ替えは数カ月先になると思うが、山際の体調のこともある。
悪戯に時間を延ばすわけにもいかない。

山下には一応、このことを伝えておいてくれ」

「仕方のないところでしょうか・・・」
東城もその言葉を引き取らない。

‘そのまま受け入れるかしかないか’

「了解しました」
と言い残し、部屋を辞した。

‘拙いな。
やはり二人に確執が生じそうで気懸りだ‘

 

その晩のニューヨークでも、ドルの軟調地合いは続いたが、ドル円は東京の安値104円65銭を下回ることはなかった。

そして104円70銭近辺で、週を終えた。

 

土曜日の晩、山下の先々のことが気になり、外食に出る気になれず、宅配ピザを頼んだ。
宅配ピザが届いたが、何となく食欲がない。
冷蔵庫からハートランドを取り出すと、ボトルごと液体を胃に流し込んだ。

いつもならBGMの選択に躊躇はないが、今日は何も思い浮かばない。
仕方なしにCDボックスから無作為に一枚を取り出した。

Kimiko Itoh の ‘Best of Best’ である。
もう内容も忘れたアルバム、一曲目のトラックは‘follow me’ だった。

Follow me to a land across the shining sea
Waiting beyond the world we have known
Beyond the world the dream could be
And the joy we have tasted

今頃、山下は憧れていたニューヨークでの楽しい生活を思い描いているはずだ。
‘間の悪いアルバムを抜いてしまった様だな’

来週早々にも、彼にニューヨークの人事について話さなければならない。
横山については人伝にしか聞いていないが、伝聞通りだとすれば、最悪の性格だ。

山下が持前の明るさで乗り切ってくれれば良いが、俺がかつて経験した様なことが彼に起きれば、潰れるかもしれない。

‘やり切れない’

半分ほど液体が残っているハートランドのボトルを一気に飲み干すと、ラフロイグのボトルとウィスキーグラスを持って、PCの置いてあるデスクへと向かった。

国際金融新聞の木村に来週のドル円相場の予測を送る前のいつものプロセスである。

 

木村様

来週のドル円相場の予測をお送りします。

まだ基調に変化はないと思います。

こうした流れはドルが急落し、そして急反発する様な形で一相場が終わることが多いと考えています。
まだそんな相場展開にはなっていません。

与件が多い、否多すぎるので、深読みし過ぎると相場に乗り遅れる、そんな感じの展開が続くと思います。

今週、シカゴ(IMM)筋が大きく投機的円ショートを手仕舞いましたが、そんな彼等の動きが今の流れを象徴しているのかと。

うちの実需(輸出関連企業)の取引先にも少し焦りがある様で、105円台でドルを売り出しました。

この先、ドルの戻り高値が105円台前半でキャップされる様だと、ドルの一段安、つまり100円割れを意識する必要があるかもしれません。

ただ、来週は102円台が一杯かと考えています。

予測レンジ:102円50銭~106円20銭

埋め草はお任せします。

 

IBT国際金融本部外国為替課長 仙崎了

 

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第41回 「春来たれり」

週初の12日(月曜日)、森友文書問題で日本中がざわつくなか、外国為替市場は模様眺めの展開となり、朝方からドル円は106円台後半での保ち合い状態が続いている。

先週の金曜日に発表された米2月雇用統計の結果だけで判断すれば、多少はドルが買われも良いはずだが、107円を試す雰囲気もない。

‘この様子だと、今週もドルの上値は重いはずだ。
ここはドルを売っても悪くはないが、期末を控えて余計なことはしたくない’

そんなことを考えていると、自分専用の電話が鳴った。

財務省の坂本からである。
「貴様、誰に何を頼んだ?」
いきなり怒り狂った様な声で食って掛かってきた。

財務省主計局から札幌財務局への転勤、しかも主計課付きという空気の様な立場での転勤は、‘将来は局長の上も間違いなし’と踏んでいた彼にとって、想像すらしなかった厳しい宣告だったに違いない。

電話の怒声に今の彼の気持ちが滲む。

「ご転勤だそうで、吉住さんから聞きました。
坂本さんは私がその件に関わったと言いたいのですか?」

「ああ、そうだ。
だから、誰に何を頼んだと聞いている」
怒りが収まっていないのか、まだ声が震えている。

こんなとき、こっちは冷静に受け止めればいい。
「勉強会の日、この先余計なことをすれば、‘霞が関にあなたの居場所がなくなる’と伝えたはずです。

それを単なる私のブラフと受け取ったあなたの思慮が足りなかったのでは?

’官邸の意向なら聴く’耳を持つあなたが、一民間銀行の為替ディーラーの言うことを無視した。

それだけのことでしょう。

でも良かったじゃないですか、主計畑だそうで」

「貴様、俺を馬鹿にするのか。
一度左遷されたら、ほとんどカムバックはない」

「あなたなら出来ますよ。
同期の中でトップを走ってきたそうじゃないですか。

でも、パワハラだけは気を付けた方が良い」

「貴様、どこまで知ってるんだ。
いつか必ずこの仕返しはしてやるから、覚えてろ!」
凄まじい声で捨て台詞を残すと、彼の方から電話を切った。
エリートを誇った男にしては、有体の捨て台詞である。

坂本の左遷理由は公にはならないが、吉住によればパワハラだという。
課内だけでなく他部署に於いても、彼の言葉によるハラスメントは相当酷かったそうである。
俺を無理やり勉強会の講師に仕立て上げたのも、そんな彼の圧力が働いてのことだった。

永田町の意向云々が取り沙汰されるなか、今回の件で俺はその意向を使った。
岬と志保を守ることが出来たが、世間で官邸主導に傾斜する政治のあり方が取り沙汰されているなか、少し負い目を感じざるを得ない。

佐川氏が理財局長だった頃の国有地売却価格を巡る決済文書問題では、オリジナル文書があまりにも克明に記され過ぎている。

その不自然な文書は、官邸により行政が歪められたことを示すエヴィデンスとして、当時の佐川理財局長とその配下の一部が残したものだったのかも知れない。

‘真相が分かれば良いが’

事の起こりや性質は異なるが、リクルート事件の影響は内閣総辞職に及んだ。
当時の首相は竹下登、そして蔵相(現財務相)は宮沢喜一。

今回は、安倍晋三首相、そして財務大臣は麻生太郎。
今、彼等の立場が問われている。

 

翌日(13日、火曜日)以降、ドル円は一時107円30銭を付けたが、伸びに欠けた。
テクニカル上では20日~25日移動平均線がドルの上値を抑えた格好である。
移動平均線はその期間の売買コストを概ね意味する。

であれば、その水準で投機筋のドルロングの投げが出やすく、ドルショートを持ちたい投機筋の売りが出やすい。

ドル建ての輸入筋は高値でのドル買いを手控える一方、その逆にドル建ての輸出筋はドルの戻り売りを狙う。

そしてドル建て資産を持つ資本筋は未ヘッジ部分を減らす*一方で、期末を控えて新規の海外証券投資を手控える。

ドルの上値が重たくなるのは当然だ。

週末(16日、金曜日)に、ドル円は105円60銭まで下落した。

 

土曜日の晩、岬からの電話があった。

「今日、主人から印鑑の押してある離婚届けが送られてきたの。
同封された手紙には札幌に転勤する旨とこれまでの詫びが書かれていたわ。

でも、これまでの主人らしくないの。
まるで人が変わったみたいに穏やかな筆致だった。

了、この間、‘何が起きても構わないか?’って私に聞いたわよね。
彼に何かした?」

‘志保の父親に働きかけたことを言える訳がない’

「いや、特に何も・・・」
言葉が続かない。
その間合いに何かを感じ取った彼女の様子が電話越しに伝わってくる。
‘拙いな’

「そう、それならいいわ。
安心した。

了には色々と心配を掛けたけど、これからは全て前向きに考えられそうな気がする。

月末までに官舎を引き払う必要があるらしいの。
それが終わるまではばたばたしそう。

ところで、山下さん、もう直ぐニューヨークね。
淋しいでしょ、了?」

「まあな。
これであいつが飲み食いする分の支払いは減るけど、正直言って淋しいよ」

「でも、毎日電話で話するんでしょう?

羨ましいわ、了と山下さんとの関係、それに東城さんとの関係もね。

私とどっちが大事?・・・・・・
なーんて、ありふれた質問はしないから大丈夫よ」

‘最後の台詞は彼女の強がりだろうか’
ふと、岬の心が遠のいて行く不安に駆られ、慌てて言葉を繋いだ。

「ありふれた質問って?

そんなことはないと思うけど。

でも、いつか他の言葉で面と向かって聞いてみたら」

「分かったわ。‘つまり、つまり’ってことね。
それじゃおやすみなさい」

電話の向こうで‘In other words,・・・・・’と彼女が歌い出す。

「ああ、おやすみ」
‘hold my hand’
‘ please be true’
という結びのフレイズまで聴くことはできなかったが、心が満たされた。

いずれにしても、坂本から離婚届けが送られてきたのは良い知らせだ。

でも、坂本はどんな内容で転勤話を岬に伝えたのだろうか。
見えを張り続けたであろう彼のこと、札幌での自分の新たな立場は伝えていないはずだ。
彼の気持ちを思うと、少し心に痛みを覚える。

‘彼が売ってきた喧嘩を買って出たまでのことだ。
売りと買いは為替ディーラーの宿命か’

頭を振りながら、テーブルの上のウィスキー・ボトルのネックを掴むと、PCの置いてあるデスクへと向かった。

昨日から洗わないままのグラスにラフロイグを注ぐと、一気に飲み干した。
そしていつもの様に、国際金融新聞の木村宛てのメールを打ち出した。

 

木村様

来週のドル円相場予測をお送りします。

内外で与件が多くて、木村さんも忙しいのでしょうね。

僕も多すぎる与件に辟易としています。

そうしたなかで、FOMCが一つの焦点ですが、利上げ決定云々よりもドットチャート(政策金利見通し)の方が気になります。

現在、長期の中立金利・中央値は2.75%ですが、これが一挙に3.25%や3.5%という水準になるまで政策メンバーの気持ちが景気過熱制御に傾いているとは思えません。
この先、精々3.0%が良い処でしょうか。

本邦では、「麻生辞任→安倍政権の崩壊」というイメージが市場で強まっている点でしょうか。

つまり、アベノミクスによる円安・株高のシナリオが崩れ、株暴落・ドル円急落という展開は有り勝ちかと。

今はそうした短絡的な読みこそが、市場に受け入れられやすいのだと考えています。

現局面では、損得勘定を気にしなくても済むエコノミストやストラテジストが綺麗に仕立て上げた悠長な相場予測は不要ということです。

そうしたなかで、ドットチャートの中立金利の水準調整はまともに採り上げて良い与件の様な気がします。・・・木村さんなら、これで一味違う記事を書けると思います。

一応、来週のFOMCにおけるドットチャートの中央値は+10bp程度(2.85%)を考えています。

予測レンジ:103円50銭~107円90銭

IBT国際金融本部外国為替課長 仙崎了

 

(つづく)

注:
*未ヘッジ部分を減らす=ヘッジ率の引き上げ→ドル建て資産であれば、フォワードのドル売りを増やすか、ドルプットの購入を増やすことで、先のドル安リスクを軽減する行為

 

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第40回 「左遷」

週初(5日)から週半ばまでドル円の下値を試す展開が続いたが、直近最安値の105円24銭(3月2日)を下回ることはなかった。

週後半の木曜日(8日)、米国の鉄鋼・アルミの関税措置問題では同盟国が除外される可能性が浮上する一方で、北朝鮮関連ではリスク回避の動きが弱まり、ドルに底堅さが生まれ出した。

ドルの上値は重いものの、積極的に売る気配も途絶え、朝からドル円は106円程度で模様眺めの展開が続いていた。

‘神経を尖らせる様な相場ではない’
こんな日は保存フォルダーを一挙に整理するのに適している。

20件ほどメールを読み終えたところで、
「課長、財務省の吉住さんからお電話です」の声。

「‘俺の専用電話へかけ直してくれ’と言ってくれ」
吉住は大学の同好会の後輩である。
遠慮は要らない。

「吉住です。
先日はありがとうございました」
勉強会で講師を務めたことへの礼である。

「どうした今日は?
市場は静かだが・・・」

「先輩、坂本が転勤になるそうです」

「ふーん、そうか」
しらばっくれた。

「何だか知っていた様な口ぶりですね?」

「いや、関心がないだけだ。
それで、何処へ?」

「札幌財務局だそうです。
しかも、‘主計課付き’。

つまり、決められた役職・業務がないということになります。
将来を嘱望されていると自負していた人だけに、内示が出た瞬間は大荒れだったそうです」

「主計系統なら将来の復帰もあるし、良いんじゃないのか」

「仙崎さん、それはもう、無理ですね。
銀行員も子会社・関連会社に出向した後、本店に戻るケースは少ないと聞いていますが、
それと一緒ですよ」

「そっか、まあ会う機会があったら、宜しく言っておいてくれ。
他に用事がなければ、切るぞ」

「ドルも一旦、105円台で下げ止まった様だし、特にお聞きすることもありません。
あと、局長が近いうちに一杯やりたいと言ってました」

「分かった。
連絡、ありがとな」

 

週末の金曜日(9日)、財務省内は蜂の巣をつついた様な騒ぎになった。
森友学園への国有地売却に携わった近畿財務局員の自殺、そして佐川国税庁長官の辞任とあれば、当然のことだ。

今夜10時半に米2月雇用統計の発表を控えていたが、気分が乗らない。
公文書の書き換えや忖度疑惑の真偽は分からないが、犠牲者まで出してしまったことに大きな憤りを感じる。
憤りは当然、安倍首相や麻生財務相に向くが、官僚組織のあり方にも向く。

官僚組織の中でもがき苦しんだであろう犠牲者と、9年前の自分が重なる。

当時俺を追い込んだ田村が今、自分の後ろでのうのうとテレビを見ながら‘こりゃ、麻生はもうだめだ’とか‘安倍も危ないな’とか、声高に騒いでいる。

昨年日本海上との揉め事が起きた際に彼を潰しておけば良かったのかもしれない。
こういうヤツを放って置くと、再び俺みたいな犠牲者が出る。

当時、自死という考えは微塵もなかったが、組織への不信を抱き、IBTを辞す直前までいった。

そして大事な岬をも失った。
強く握った彼女の手を離さなければ、坂本と結婚することもなかったろうに・・・。

 

東京の10時半、米雇用統計が発表された。
注目されたNFP(非農業部門雇用者数)は前月比31万人増と、事前予想の20万人増を大きく上回ったが、平均時給が伸び悩んだ。

発表前106円台で推移していたドル円は一時107円05銭まで跳ねたが、それを追いかけて買う気配はない。

顧客のディールも、すべてドル売りである。

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FEDは「物価の安定」と「雇用の最大化」というデュアルマンデートを担う。
雇用が安定的に拡大していても、賃金が伸び悩めば「物価の安定」が遠のく。

3月のFOMCでは利上げが実施されるだろうが、今年3回と見込まれている利上げ回数を増やすためには、賃金の上昇が裾野にまで広がることが前提となる。
イエレン前議長が‘緩やかな正常化’を主張してきたのはこの点が確認できなかったからだ。

だが、大幅な税制改革が法人の設備投資を煽り、そしてウォール街の狂気を過熱させてからでは、強烈な利上げが必要となる。

その場合、景気をクラッシュさせてしまう可能性がある。

‘正常化は進めるが、急がない’というイエレン流をパウエルが踏襲するのか、あるいは一歩タカ派的な政策に打って出るのか’

新生FED内部でコンセンサスを見る日は遠い。
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為替市場の現場は今日の統計結果をそこまで深読みして動いているわけではないが、日付が変わってもドルは伸び悩んだ。

インターバンクでは、山下の他に二人、コーポレートデスクでは浅沼の他に二人が残っている。

「もう今日はここまでだな。
酒でも飲みに行くか」
皆を誘う様に言う。

「はい」・「いいですね」と一斉に嬉しそうな声が上がった。

その日‘Keith’で思い思いに飲み食いしながら過ごした。

閉店時間は疾うに過ぎていたが、マスターは不快な顔を見せない。

それどころか、
「皆さん、明るくて良い人達ですね。
でも、決して大騒ぎはしない。

流石、仙崎さんの部下ってとこですか」
と笑みを浮かべながら言う。

「ありがとう。
ところで、先日話した山下の送別会の件、30名ほどだけどお願いします」

「淋しくなりますね」

「ええ、相棒というか、弟みたいなもんですからね。
僕は先に帰りますから、20~30分したら、皆を締め出してください。
本当に遅くまで済みませんでした」
クレディット・カードの伝票にサインし終えると、会話を楽しんでいる部下を横目に店を後にした。

 

社宅に着いたとき、時計は3時を回っていた。
‘東海岸は午後1時過ぎか。
志保に電話をするには丁度良い時間だな‘。

「俺だ。
この間はありがとう。
例の財務省の件は決着がついた。
折が合ったら、お父さんにも礼を言っておいてくれ」

「そう、それは良かったわね。
雑誌の方も問題なさそう。

当初のゲラは坂本とかいう人が大学の後輩である編集者に無理やり書かせたものらしいわ。
パパの秘書の話では‘インターナショナル・レディーズ’に相応しくない内容なので、編集長自身で大幅に修正したそうよ。

でも写真は使いたかったらしいけど。
別に品が悪い写真じゃないものね」

「えっ、それで?」

「大丈夫、ここで撮った写真を送り、それと差し替えてあるはずよ。
もう雑誌発売になってるはずだから、暇があったら見ておいて。

あっ、了、ごめん。
これから会議なの」
電話の後ろで 彼女を呼ぶ声が聞こえる。

 

土曜の晩、国際金融新聞の木村に電話を入れた。
森友の一件、メディアの反応を聞いておきたかった。

「仙崎さん、珍しいですね。
そちらから電話とは」

「ええ、財務省の件、どこまで行きますかね?」

「安倍一強政権を危惧する声が相当に強いので、‘麻生さん、安倍さんの順に叩く’。
そんな感じですかね。

うちも書きますよ。
相当に強く。

ところで、来週の相場はどうでしょう?」

「日経平均がどこまで下がるかじゃないでしょうか。
米朝首脳会談決定でリスクオンとか、ニューヨーク・ダウ続伸とか言ってますが、それとは無関係に日経平均は危ない様な気がします。

佐川辞任の件は海外であまり反応してませんが、こっちは深刻ですからね。
‘日経平均下落に連れてドル円も軟調’なんてヘッドラインが並ぶ様な気もしますが。

その場合は、トランプの保護貿易主義がことさらに取沙汰されて、円高の支援材料になるって感じでしょうか。
9日の日米電話会談では、トランプも対日赤字に言及しているそうですし。

予測レンジは103円20銭~108円と幅を持たせます。

また、面白い話、聞かせて下さい」

「こちらこそ。
来週も宜しくお願い致します」

 

木村と話終えた後も、大きな何かが起きる予感がしてならなかった。

頭を振りながら、テーブルの上のウィスキーボトルに手を伸ばした。
BGMにはDave Grusin のサントラ・アルバム ’The Fabulous Baker Boys’ を選んだ。

ミシェル・ファイファーとジェフ・ブリッジズが演じた大人の恋物語。
映像とトランペットの音色が絶妙に合う映画だ。

‘次、岬に会えるのはいつだろう’

 

(つづく)

 

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第39回 「雪夜のしじま」

土曜日(24日)の夜、山下から‘岬の行方が分からなくなった’との連絡を受けた。

失踪の原因は、夫・坂本が彼女の留守中に母親に預けた封筒だ。
封筒には例の写真が入っていたに違いない。

だが、彼女が向かった先は見当が付いている。
奈川のペンション‘野麦倶楽部’のはずだ。

 

翌日(25日、日曜日)の早朝、四ツ谷にあるトヨタレンタカーでプラドを調達し、ひたすら関越道を走った。

更埴ICで長野道に入ると、少し空腹感を覚えた。
時間は正午になりかけている。
気付けば、朝から何も口にしていなかった。

姨捨SAに立ち寄ることにした。
この辺りまで来ると、晴れた日でもこの時期の長野は流石に寒い。
車を降りると、冷たい空気が肺に沁みる。

関東甲信越では評判の高いSAだけあって、建物の内装や土産物が洗練されている。
だが、今はのんびりと土産物を見てる余裕はない。
レストランにも入らず、サンドイッチとコーヒーを調達し終えると車に戻った。

腹が満たされ、コーヒーで少し体が温まると、シートを倒し込んだ。
昨晩浴びる様に飲んだラフロイグが今頃効いて来たのか、眠気を覚えた。

‘この先の道中のことを考え、少し仮眠を取った方が良い’
アウトドア用の腕時計SUUNTOのALARMを15分後にセットし、目を瞑った。

ALARMに起こされると、直ぐに脳は覚醒した。
就寝中に海外の電話で起こされることの多い為替ディーラーは覚醒するのが速い。

時刻は12時45分、松本ICまでは30分足らずである。
本線に戻るとプラドのアクセルを踏み込んだ。

 

松本ICから右に折れると上高地・奈川方面、左に折れると松本の市街地方面である。
市街でクラフト店を営む岬の母に会っておきたかったが、遠回りになる。
ステアリングを右に切った。

500メートルほど走ると右手にシェルのガスステーションが見える。
車をステーションに入れ、寄って来た店員に‘ハイオク満タン’と告げた。
給油中、店員二人が泥雪で汚れた窓ガラスを拭いてくれている。

岬が‘野麦倶楽部’にいることに確信はあったが、念のためペンションに電話を入れてみた。

電話にはご主人が出た。
ペンションを営む夫妻は仙崎のことをよく知っている。

「仙崎です。
お久しぶりです。
お変わりないですか?」

「ああ、仙崎さん。
去年の夏は釣りにならなくて悪かったね。

この電話は預かり物の件だね?
ちゃんと預かってるから大丈夫だ」
ビンゴである。

「そうですか。
ありがとうございます」

「ところで、今は何処かね?」

「松本インターを出たところです。
保管を宜しくお願いします」

「ああ、預かり物は今家内とダイニングでお茶してるよ。
君が来ることは内緒にしておくけど、それで良いんだな」

「はい、お願いします」

「新島々を過ぎるとカーブが多く、両サイドに雪が積まれてる。
道が普段より狭いから気を付けてな」

「はい、ありがとうございます。
それじゃ、また後ほど」

窓拭きを終えた店員が電話の終わるのを待っている。
寒いのに悪いことをした。
慌てて料金を支払い終えると、車線を跨いで右へとステアリングを切った。

 

ペンションの主人が言っていた様に道の両サイドに雪が積まれている。
新島々を過ぎると、道は少しずつ上りになる。
運転に集中した。
辺りは真っ白な雪景色だが、それを楽しむ余裕はない。

国道158号線、通称野麦街道は梓湖で分岐する。
梓湖を右に折れれば上高地方面へ、左に進めば野麦峠方面へとつながる。
ペンションへは野麦方面に向かう。

ここからはトンネルが幾つかあるため、より慎重にステアリングを操作し、野麦街道を進んだ。
30分も進むと、奈川村の中心部に近づいた。

中心部の手前から迂回の新道が出来ている。
幅員も広い新道を選択し、左へとステアリングを切った。

事故が起きたのはその直後だった。
対向車が雪で滑ったのか、こっちの車線に飛び込んできたのである。

衝突を避けようとステアリングを思いきり左に切ったが、その勢いで車は積み上げられていた雪の中に突っ込んでしまった。
相手の車も、同じ側の積まれた雪の中に突っ込んでいる。

幸いなことに体は何ともなさそうだ。
車から出ると、20代と見られる若者が‘済みません’と言いながら、こっちに近づいてくる。
怒りを覚えたが、冷静に‘大丈夫か?’と相手の体を気遣った。
‘はい、大丈夫です’と言って再び詫びる。

互いの体に問題はなさそうだが、一応事故なので警察を呼んだ。

2台とも車には損傷がある様だ。
こっちのプラドは左側のフェンダーが潰れ、タイヤと干渉している。
このままだと運転は無理だ。

四ツ谷のトヨタレンタカーに電話を入れ、後処理を任せた。
相手も保険会社とJAFに電話を入れて対応している様だ。

20分程でミニパトに乗って現れた警官から事情聴取を受けることになった。
相手のせいであることに納得した警官は、車に戻って良いと言う。

車は動かせないが、ギアをパーキングに入れ、車の中でレッカー車を待った。
車中からペンションのご主人に電話を入れ、事情を説明した。

「やはりそうか。
あまり遅いので、事故にでもあったのかと心配していたところだ」

「そんな訳で、もう少しで一通りの処理は終わります。
申し訳ありませんが、迎えに来て頂けますか?」

「分かった。
そうなると、岬ちゃんに事情を言っておいた方がいいな。
無事だったことだし。
30分ほどでそっちに行く」

 

二人を乗せたフォレスターがペンションに着いたのはもう5時近かった。
午後に入り少し曇って来たせいか、辺りは結構暗くなっている。

ペンションは道路から一段下がったところの傾斜地に建てられている。
「階段滑るから、気を付けてな」とご主人が気遣う。

念のためLLBeanのブーツを履いてきたが、それでも足下が心もとない。
何とか入口まで辿り着くと、ブーツの雪を落としてからドアを押した。

目の前に女性の二人が立っている。
奥さんと岬である。

岬は「了の馬鹿、心配したわ」
と言いながら、涙を隠さなかった。

そんな岬の姿を見た奥さんが二人をダイニングの隅に誘ってくれた。
今日はスキーに来たお客さんも全員チェックアウトした後なので、客は俺と岬だけだと言い残し、キッチンに入って行った。

話を切り出したのは俺の方からだった。
「凡その話は山下から聞いた。
お母さんには居場所は分かってると伝えてある」

「ここしかないものね。
私の来る場所。
着の身着のままで店を出て、直ぐにタクシーに乗ったのはいいけど、肝心の行く先が分からなかった。
運転手さんから‘何処へ’と聞かれて、突然‘奈川’って答えてた」

「そうか、まあ無事で良かったよ」

「ごめんね。
私のせいで、事故まで起こさせてしまって。
少し横になると良いわ。

私、料理の手伝いをしてくるから。
了の部屋は‘シラカバ’だっておばさんが言ってたわ。
夕飯できたら、呼ぶからそれまで寝てて」

 

シャワーを浴び、ベッドに横になると直ぐに睡魔に襲われたらしい。

夢の中で‘お夕食よ’という岬の声を聞いた様な気がした。
目を覚ますと、再び‘お夕食よ’という声が聞こえた。
今度は現実の声である。

気だるい感じを覚えながら、やっとの思いでベッドから這い出た。
社宅から走り尽くめで運転し、最後の最後で事故に会った。
‘疲れるのも無理はないな’

階下のダイニング・ルームに行くと、三人がテーブルを囲んで待っていてくれた。
他の泊り客がいないので、皆で食事と酒を楽しむ。
楽しい時間が過ぎるのは速い。

時間は10時を回っていた。
「それじゃそろそろお開きにするか」
主人がテーブルに両手をつきながら言う。

「私、片づけ手伝ってから行く。
了、‘例のところ’で待ってて」と言って、キッチンに食器を運び出した。
まるで老夫婦の娘の様に甲斐甲斐しく働くのが微笑ましい。

 

‘例のところ’とは、階段を上がった踊り場から奥まったところにある六畳ほどの空間のことだ。
昼間の’例のところ’は窓枠が額縁となり、その中に乗鞍岳が浮き上がる。

夜になると、漆黒の闇に星空が迫る。

かつて二人でここを訪れた初秋の夜、その空間にリクライニング・チェアを並べ、いつまでも数え切れないほどの星を眺めていたのが思い出される。

暫くすると、階段を上がってくる足音が聞こえてきた。
「お待たせ」と言いながら、
サイドテーブルの上にワインボトルとグラスを二つ置いた。
ご夫婦の差し入れだと言う。

雪で埋もれた山あいの夜のしじまは音一つしない。
二人は時折り、グラスに口をつけながら、額縁の中の星空を無言で眺めた。
普通ならば会話も要らないシチュエーションだが、今日はなぜか静けさがたまらなく辛い。

それに耐え切れなくなり、
「封筒の中身は写真だったのか?」
と切り出した。

「ええ、それと妙な文章が」
と言いながら、チノパンの後ろのポケットから折畳んだB5サイズほどの紙を広げて寄こした。

紙片は雑誌のゲラの様である。
それには
‘阿久津志保さん、熱愛中’
のタイトルで―――美人ポートフォリオ・マネージャーとしてニューヨークで活躍する阿久津志保がエリート銀行員と・・・―――。と書かれている。
そして紙片の余白に手書きで『インターナショナル・レディーズ4月号』と書かれている。

「うーん。
なるほどね。
ここまでやるかってとこだな。
それで、岬は何を気にして店を飛び出した?」

「最初は写真に写る男性の後ろ姿が了だったってことかな。
でもそれより、写真やその紙を持って夫が母の店まで訪ねてきてことが恐かったの。
まだ、近くにいる様な気がした」

「阿久津志保は確かにニューヨーク時代の恋人で、俺に就職の相談で帰国していた。
現場の写真はIBTの人間が撮ったものだ。

それが坂本さん、つまり君のご主人に渡ったということだ。
しかし執拗だな、坂本さんも。

このままでは、延々と終わらないな。
岬とご主人の関係、そして俺と彼との関係もな。

そこまではまだしも、無関係の志保にまで・・・」

「ごめんね、了」

「まあ、岬はすべてを忘れた方が良い。
すべて、俺が決着を付ける。
少し手荒いが、構わないか?」

「ええ、私は大丈夫」

「ところで、その月刊誌、発売日はいつだ?」

「月刊誌の発売は第一週のものが多いハズだけど、その月刊誌は分からないわ」

「そうか、まあ良い。
さぁ、ワインでも飲もう」
暫くそのまま星空を見ていた。
岬は志保とのことは何も聞いてこなかった。

すると、
「後で了の部屋に行っても良い?」
と言う。

もはや断る理由は何もなかった。

 

部屋に戻ると、大き目のデイパックからスキットルを取り出し、そこに入っている液体を一飲みした。
ラフロイグである。

ついでにBose のMini Sound Linkを取り出すと、WALKMANとBluetooth接続した。
BGMにBeegie Adairのアルバム ’I’ll take Romance’を流した。

1時間ほどすると、岬が部屋にやってきた。
白のワイシャツにチノパン姿である。

‘そっか、パジャマも持たずに飛び出てきたのか’

デイパックからスウェットを引っ張りだすと、それを岬に渡した。
大分サイズオーバーだが、チノパンを脱いだ姿に似合う。
というか、やけに色っぽい。

「何か聴きたい音楽はあるか?」

「ええ、’fly me to the moon’ が良いわ」

「この部屋からは星空しか見えないけど・・・」

「でも、詩の中に’let me play among the stars‘という箇所もあるわ。
だから、今のシチュエーションよ。
できれば、Nat King Coleのね」

Poets often use many words・・・・・
Nat King Cole の甘く優しい声が流れ出した。

倒れ込む様に胸に飛び込んできた岬をしっかりと受け止めた。

 

月曜日(26日)、銀行には寄らず、社宅に直行した。
志保に電話を入れるためである。

‘あっちは午前2時だが、まぁいいか’

「珍しいわね。
了の方から電話を掛けてくるなんて。
こういう時の了の電話は頼みごとよね」
少し眠そうな声だ。

「図星だ。
早速で悪いが、本題に入らせてくれ。
時間がないんだ。

‘財務省主計局の特別税制課に所属する坂本という男を本省から外してほしい。

『インターナショナル・レディーズ4月号』に志保の記事が掲載される。
帝国ホテルでの志保のハグが原因、というよりその時に撮られた写真が悪用されそうだ。

ゲラを見たが、あまり筋の良くない記事だ。
これもボツにする様に頼んでくれ」
志保の実の父は民亊党の元幹事長である。
彼女の母は彼の妾だった。
まだ永田町では相当な力を持つ人物と聞く。

「分かったわ。
急ぐ様だから、直ぐに電話を掛けてみる。
それと、マイクは本当に良い人ね。
ここでなら、良い仕事ができそう」

「それは良かった。
それじゃ、頼んだぞ」

 

火曜日(27日)、新FRB議長パウエルの議会証言があった。
ややハト派的と見られていたパウエルの発言は予想外にタカ派的なものだった。

発言で市場はドル買いに動いたが、ドル円は107円68銭で止まった。

年初からの抵抗線や先週の高値107円90銭の手前で有象無象の売りが湧く。
当然の市場行動だ。

木曜日(29日)、トランプの「鉄鋼・アルミに対して追加関税を課す」発言が飛び出た。
世界の金融市場が大きく反応した。

株売り・ドル売りが止まらず、金曜日にドル円は直近安値の105円55銭を抜き、105円25銭へと沈んだ。

 

その晩、志保からのメールが入った。
「例の件、問題ないと思う。
母と私を見捨てた負い目があるせいか、パパは何でも私の言うこと聞いてくれるから。

特に本件は私の問題が絡むから、真剣にやると思う。
それじゃ、また」

「ありがとう」とだけ書いて、返信した。

 

土曜日(3日)の晩、国際金融新聞の木村宛てに来週のドル円相場予測を書いた。

木村様

揉み合いを熟してドル急落。

また予測が当ってしまいました。

ここまで来れば、来週も「ドルの下値テスト」で行きましょう。

ただ、一応経験則では節目の105円を叩けば、達成感が出る可能性があります。

予測レンジ:103円50銭~107円50銭

埋め草は適当に

IBT国際金融本部外国為替課長 仙崎了

 

(つづく)