月別アーカイブ: 2017年10月

第21回 「財務省からの電話」

 衆院選での与党圧勝が確定的となった日曜(22日)の夜、ニューヨークの沖田から電話があった。

「今晩は。
自民は強いですね」

「まあ、小池や前原の失態の裏返しという側面もあるが、自民は強いな。

これでアベノミクスが再評価され、市場は束の間、日銀の超金融緩和継続を囃すと言ったところか。

明日のオセアニアでドル円がギャップアップしてオープンするのは間違いなさそうだな」

「課長はドル円で何かやりますか?」

「多分何もしない。

13円44(113円44銭)から11円65まで反落する局面で、ロングすれば良かったが、あの時はショートの利食いばかりを考えていて、頭を切り替えられなかった。

あれ以降どうも手が出ないんだ。

でも、相場感を失っている訳ではない。
今週は5月と7月に上値の重たかった14円半ばを試しに行くと思う。

問題は何かするかどうかだな・・・。
俺は当分ドル円でポジションを取るのを止めるが、お前はどうする?」

「そうですね。
課長の言う様にあそこを試しに行くと思います。

ただ、仮に13円台後半でロングを仕込めたとしても、小掬いに終わりそうで面白くなさそうですね」

「うーん、そうだな。
14円半ばは一挙に抜けないだろうから、14円台で一旦売ってみても良いんじゃないか。

5月以降の相場展開を考えれば、実需は14円台で必ずドルを売ってくる。
ロングはその動きを見てからでも遅くはないと思う。

その線で行けば、お前の今週の出だしは好調なはずだ。
俺は暫く、ユーロドルで勝負してみる」

「分かりました。
それじゃ、シドニーで14円台を売ってみます。

課長は1850(1.1850)のユーロドルショート50本を一旦1750で閉じた様ですが、その後新たに1825で50本、1800givenで50本のショートを作ったんでしたよね。

まだユーロが下がるとお思いなんですか?」

「ユーロ圏というよりも、どうも欧州全体の雰囲気が気持ち悪い。
カタルーニャ州の問題がスコットランド独立やイタリアの南北問題に伝播する可能性もある。

それにマクロンとメルケルが目論んでいるEUの深化も画餅に終わる可能性が高い。

ユーロ圏に限って言えば、ECBはAPP*の期間延長と減額という選択をしそうだが、それもユーロ売りに繋がる。

8月以降に形成されたヘッドアンドショルダーのネックラインは1660近辺だったと思うが、そこを抜けるとやばいな。

とりあえずは、1500を抜くかどうか眺めることにするよ。

まー、そんなところかな。
じゃ、また明日からも宜しく頼む」

「ありがとうございました。
それじゃ、お休みなさい」

 週初(23日)の東京、ドル円は寄り付き前に14円10(114円10銭)を付けたが、久しぶりに14円台を見たことで、やはり輸出のドル売り意欲が旺盛だった。

ドルがじり安の展開となり、海外ではロングの投げを巻き込みながら、13円25銭へと下落した。

沖田は今日、そこそこ稼いだはずだ。
‘良かった’

ドル円はその日以降、毎日14円台を付けるものの、市場は7月の高値14円49を試そうともしなかった。

週半ばには、米10年債利回りが節目の2.4%を上回ったことで面白い展開になるかと思ったが、14円24止まりと、市場には49を試す雰囲気も見られない。

‘やはり相当に14円前半は重たいな’
そんなことを感じながら人事関連のメールに目を通していると、ジュニアの前島が
「課長、MOF(財務省)から電話です」と少し声を低めて言う。

「はい、仙崎ですが」

「先輩、吉住です。
円はどうですか?」
吉住は東京外語大時代の同好会の後輩で、国際金融部外国為替市場課*に所属している。

「どうせ、他行の連中にも聞いた後で俺のところに掛けてきたんだろ。
俺も他と大体同じだ。

少しだけ違うとすれば、円安はこのところの米系ファンドの日本株買いに関係しているという点かもな。

少なくても俺の親友が運営している米系ヘッジファンドは日本株を買い、その為替ヘッジで円を売っている。

つまり、ドル買いの与件が多い中で、‘そうした彼等の動きがドル高円安を加速させている’というのが俺の見方だ。

その辺りはそっちのルートで調べれば、分かるところだから信憑性は自分で調べろ。

いずれにしても、ドルはもう少し上だと思うが、14円ハーフが勝負処だ。

これで十分か?」

「はい、ありがとうございます。
ところで、先輩にお願いがあるのですが・・・」

「おい、まだあるのか?
お前は俺のことを相当に暇だと思ってるな」

「まさか。
たまには思いますが」

「馬鹿、もう切るぞ」

いつもながらの先輩後輩のやりとりだ。

「実は先日、省内の勉強会で座長を務める人から先輩に講師を頼んでくれないかと言われました。

彼は僕と先輩が同じ出身校ということを知りませんが、僕が外国為替市場課だから先輩を知っていると思ってのことらしいです。

何とかお願いできませんか?」

「下期が始まったばかりだから、当分は無理だ。
それに他行に幾らでも人材はいるだろう」
と突き放した。

「いや、座長がこの世界で一目置かれている仙崎さんに目を付けてのことで、たってのご指名です。

また、近いうちに電話しますので、是非考えておいて下さい」

「まあな。
ところで、その座長の所属と名前は?」

「主計局・特別税制課*の坂本です」

「ふーん、主計も為替の勉強をするのか?」

「はい、省内の勉強会ということなので、各局が持ち回りで色々と。
相場の話、ありがとうございました。
それじゃ、失礼します」
と言って、電話を切った。

依頼の理屈は通っているが、確か岬の夫も財務省の主計だと聞いている。
‘少し不可解だな。苗字は坂本か、週末にでも岬の苗字を聞いてみるか’

 週末、ドル円は14円44を付けた後に13円64まで反落し、ユーロドルは1.1575まで下落した。

相場感を失ったドル円のポジションはないが、ユーロドルのショートが機能してるのが嬉しい。

 土曜の夜、神楽坂のイタリアン・レストラン‘カターニア’で食事を済ませた後、岬に電話を入れてみた。

「変わりはないか?
ほぼ毎日メールでやりとりしてるのに、そんなことを聞くのは変だな」

「そんなことないわ。
やはり声を直接聞ける電話での気遣いは嬉しいものよ」

「そんなもんか」

暫く取り止めのない話を交わした後、今の岬の苗字を尋ねてみた。

「坂本だけど。
突然、何でそんなこと聞くの?」

先日の吉住の依頼の件を話すと、

「主計ならば、主人に間違いないわ。
単なる偶然だとは思うけど、この間の件もあるし、少し注意した方が良いと思う」
と申し訳なさそうに言葉を返してきた。

「分かった。引き受けた訳ではないし、吉住には悪いが断ることにするか。

それより、そっちは栗の美味い季節だな。

小布施の‘竹風堂’の栗強飯や‘栗の木テラス’のモンブランも食べたいけど、週末は混んでいるんだろうな。

でも、近いうちにそっちに行くよ」

「本当! 嬉しいわ。
必ずね。
それじゃ、そろそろNHKのワールドMLBの時間だから切るわ。
了の一番の楽しみを奪っちゃ悪いものね」
屈託のない笑い声が聞こえた。

「こいつ。
おやすみ」

既に日中のLIVEでドジャーズが負けたことを知っているが、それでもコントローラーのBS1を押した。

ドジャーズはダルビッシュを先発に立て満を持したが、スライダーのコントロールが定まらないまま2回に4点を失い、それが致命傷となった。

1勝2敗で迎える明日の第4戦もドジャーズが負けるかもしれない。
ホームでのアストロズは驚異的な強さを発揮する。

ここは、ワールド・シリーズに入ってから不調のベリンジャーに期待するしかない。

(つづく)


*APP:拡大資産購入プログラム
*国際金融局外国為替市場課:実際の財務省の外国為替部門は国際局為替市場課の所管である。
*主計局・特別税制課:主計局は存在するが、特別税制課は存在しない。

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第20回 「下がらないドル」

 週初16日、ドル円相場は111円90前後で始まった。

仲値にかけてドルが買われる展開となったが、12円08止まりで買いが続かない。
どこかでもう一度ドルが売られそうな気配がある。

だが、その後も積極的なドル売りは見られず、ややじり安の展開で東京は終わろうとしていた。

そんな中、欧州市場に入りかけた頃、ドルがグラッときた。
東京での上値の重たい展開を見て、ドル売りが出たのだ。

それでも、安値は11円65止まりと、期待してたほどドルが落ちない。

「山下、先週末の71(12円71銭)のショート50本、どうも根っこのポジションにはなりそうにないな。
この辺で30本だけ買い戻すけど、お前はどうする?」

「はい、ここら辺りが良いところですかね。
僕も一緒に買い戻します」
山下が素早くEBS(電子ブローキング・システム)のキーを叩き出した。

「82です」

「了解。
残りの20本は11円11と12円丁度のOCO*でリーブを入れてくれ。
5時過ぎに東城さんに呼ばれているので、後はよろしく頼む」

 東城の執務室のドアをノックすると、
「おう、入れ」という声が聞こえた。
いつもの落ち着いた声である。

ドアを開けると、皇居の森と対峙するかの様に立つ、凛とした東城の後ろ姿が目に入った。

「雨で良く見えませんね」
皇居の森はその輪郭だけがぼんやりと見える程度である。

こんな情景も時に悪くはないが、この頃の自分の気持ちには相応しくない。
半期末は何とか乗り切ったものの、下期に入ってから顧客との問題や内部の事務処理で稼ぎの方が進んでいないことが気に懸っている。

「そうだな、少し鬱陶しい天気だな。
どうだ、市場は?」

「ドルが落ちそうで落ちませんね。
先週末に2円後半で売ってみたのですが、根っこのポジションにはなりそうもないので、手仕舞うことにしました。
シカゴ(IMM)が強気に円ショート(ドルロング)を膨らましているのも気懸りで、まだ(ドルが)上に伸び切っていないのかもしれません。
ところで、お話しがおありとか?」

「その件だが、大学時代の友人がテレビ国際の役員をやってるのは、以前話したことがあったな。
彼のところの経済番組・ワールドファイナンスに週一でレギュラー出演してくれないかという依頼があった。
むろん、お前への話だ。
NYCBTの経済番組にお前が出演していたのを見ていて、帰国後に出演を依頼しようと思っていたと言ってる。
一度親会社の国際金融新聞の木村君経由で依頼したが、お前ににべもなく断られたと言って笑ってたよ。
でも、俺に義理立てする必要はないぞ。
お前が決めれば良い。
どうする?」

「そうですね。
僕はエコノミストやストラテジストと違って、ただ喋ったり書いたりして給料を貰っているわけではありません。
市場で稼がなければならない人間です。
それに時間もないので、今は二束の草鞋は無理かと・・・。
ただ、東城さんのご友人の依頼とあっては、素気無く断るのも拙いですよね。
とりあえずは、通年の収益見通しが付いてからとお答えしておいてください。
多分、来年以降の話ですが」

「そうか、お前らしい答えだな。
少しは俺の顔も立つってとこか」
その顔に少し微笑みが浮かんでいる。
‘やはり、無下に断らずに良かった’

「それは何よりです。
でも、うちは出演料や原稿料を当人が受け取れない規則ですから、出演料は東城さんの奢りで‘下田’の寿司ということで宜しいでしょうか?」

「こいつ、調子づくなよ。
お前は独身だから自由に給料を使えるけど、俺は家内から小遣いを貰ってる身だ」
と言いながらも、顔は嬉しそうである。

「世の中、Pay it Forward ですから。
僕も大食いや酒豪の部下を抱えているので」と笑いながら言い、部屋を辞した。
Pay it Forward とは、ある人から受けた恩(善意)を他の人に渡していくことを言う。

 ドル円はその日のニューヨークで12円台に上った。
12円71の20本ショートの利食いが上で付いてしまったということだ。
ドルが少し跳ねそうな気がする。

その日の夜中、ニューヨークの沖田に電話を入れてみた。
「どうだ?」

「ドル円は目先、12円を割りそうもないですね。
何かしますか?」

「ユーロドルを少し売りたいが、18台(1.18台)はありそうか?」

「少しショート気味なので、可能性はありますが、もう少し先でしょうか・・・。
カタルーニャの件で、まだ下があると思ってる連中が結構多い様です」

「分かった。
それじゃ、1.1850で50本、until further noticeでリーブを頼む。
それと、お前の転勤の件だが、来月には内示が出ると思う」

「ありがとうございます。
家内も喜ぶかと・・・。
それでは失礼します」

 その後、ドル円は11円台を見ることもなく、週末には13円56銭まで跳ねた。
ユーロドルは木曜から週末にかけて、1.18半ばで時間足のトリプルトップを付けてから1.1763まで反落した。

 世間が衆院選で喧しい週末、興味はヤンキースのリーグ・チャンピオンシップにあった。

選挙当日、3勝-3敗のタイで迎えたアスレティックスとの第7戦目が行われ、ヤンキースは0-4で負けた。
2009年以来のWS(ワールドシリーズ)への出場を逃してしまったのだ。

呆然とする田中将大の顔がTVの画面にアップで映る。
為替の世界では幾度も勝負できるが、メジャーリーガーがWSで戦える機会はそう簡単には訪れてくれない。

ふと外を見ると、雨が小降りになった感じがする。
神楽坂のイタリアン・レストランで、一人ヤンキース敗退残念会を開くことに決めた。

坂上から坂下に向かって左側二つ目の路地を曲がったところにある‘カターニア’のカウンター席に座ると、辛口の白ワインとポルチーニのクリーム・パスタを注文した。

冷えた白ワインをビールの様に飲み干すと、ヤンキース敗退で沈んだ気持ちが少し癒された感じがする。

 雨のせいか、いつもなら混み合う日曜のこの時間、客もそれ程多くない。
それでも、日曜の午後を楽しむカップルがそこそこいる。
二杯目の白ワインを飲みながら、語らいあうカップル達を見ていると、岬のことがたまらなく懐かしく思えてきた。

‘社宅に帰ったら、電話をしてみよう’

(つづく)


*OCO: One side done then Cancel the Other order (One Cancel Other)
‘二つのオーダーを同時に出し、一つがdone になったら、他のオーダーはcancelする’リーブオーダーの出し方

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第19回 「一件落着」

週初の9日、日米が休日のなか、北朝鮮・朝鮮労働党創設記念日を翌日に控えていることもあって、どの通貨ペアも小動きに終始した。

ドル円も112円台で動意に欠ける展開だったが、どことなく上値に重たさが感じられる気配だ。

そんな日の早朝、コネティカット社のオーエンから浅沼に電話が入った。

「ドルを売りたいそうで、課長の意見を聞いてくれとのことです。
先週、損失の半分を取り戻したせいで、少し調子づいているのかも知れませんね。
どうしましょうか?」
浅沼が困った様に言う。

「多分、お前の言う通りだ。
相場は簡単だと思わせてしまうと、上司である彼自身がスペック(投機)にのめり込んでしまう可能性があるな。
そうなれば、また含み損を抱えかねない。
あまり俺もこの件だけに関わっているわけにもいかないし、
そろそろで決着を付けるか」

「申し訳ありません。
こっちの件で課長の足を引っ張ってしまって・・・」
やや俯き加減に浅沼が言う。

「いや、そんなことはどうでも良い。
とりあえず、彼に‘俺が何故、先週ドルロングのポジションをとらせたのか分かるか’と聞いてくれないか。
そして‘その答え次第で、ドルショートを取らせると言うのが俺の申し送りだ’と伝えてくれ」

「なるほど、‘コネティカット社東京の本来の為替エクスポージャー(晒されているリスク)が何なのかを考えてみろ’ってことですね。
了解です。
僕は課長の様に流暢に英語が喋れませんから、上手く言えるかどうか分かりませんが、やってみます」

「お前は将来また、海外に出たいんだろ?
英語でやりとりが出来なくてどうする。
大丈夫だ、頑張ってこい」
浅沼は20代の頃、トレイニーとしてロンドン支店で1年間勤めている。
この程度の英語なら喋れるはずだ。

自席に戻った浅沼が電話を掛けるのを見届けて、スクリーンに目を戻した。
ドル円は12円70(112円70銭)前後の小動きだが、どうやら13円に届く気配はない。

コーポレート・デスクの方から浅沼が英語で話しているのが聞こえた。
少したどたどしいが、正確に喋っている。
‘問題ないな’

 30分ほど経った頃、浅沼がオーエンの答えを持ってきた。

「‘彼等の実需のエクスポージャーがドルショートであり、ドルロングのポジションであれば、たとえhead wind(アゲインスト)になっても、それを本店向けの決済に当てられる’というのが彼の答えでした。
どうやら、ドルロングを彼に持たせた課長の真意を理解した様ですね」

「そうらしいな。
それを理解しているなら、ここは売らせても良いか。
但し、損失を全部回収したら、‘スペックにはもう手を出さないことが条件だ’と言ってくれ。
40本売って、60銭抜ければ、先週の利益と合わせて損失はほぼ回収できるな。
今70~72か。
よし、オーエンに電話して、俺が‘ドルの上値は重いと言ってる’と伝えてくれ」

「了解です」

数分後、ディーリング・ルームに浅沼の声が響いた。
「円(ドル円)、50本」
その右手人差し指は下*を向いている。
オーエンがドル50本売ってきたのだ。

それを見て、自分もドルを売ることにした。
自分で暗にドル売りを薦めた以上売らないわけにはいかない。
「山下、50本売ってくれ」

「71です」

「了解。ストップを45(113円45銭)で頼む。
利食いは入れなくて良い」

数分後、浅沼が‘オーエンが利食いのリーブ・オーダーを20(112円20銭)で20本、10(112円10銭)で30本、置いてきた’と伝えてきた。

その日の海外でドル円は111円99銭を付けた。
‘これでやっと、コネティカットの件も決着が付いたな’

 週後半のドルは112円半ばまで戻すのが精一杯となり、111円台は間違いない状況になっていた。

年初来安値の107円32銭を付けた後、ドルは112円台まで順調に上昇してきたが、その後は時間の割に伸びに欠ける展開が続いている。

上値遊びが長過ぎるのだ。
こうした状況は調整局面を迎えるか、一相場の終わりを示す兆候である。

そんなことを考えていた週末の夕方、山下が
「スポットが転換線を下回りだしてから一週間です。
どうやら、あのポジションが根っこになる可能性が高いですね。
僕も課長に乗っかって、同じ水準で20本ショートしてみました」

「それは良かった。
まだ利食ってないのか?」

「はい」

「じゃ、’Don’t count your chickens before they are hatched.’ ってところか」

「何ですか、それ」

「捕らぬタヌキの何とやらって感じかな。
ところで、今夜何処か行くか?」

「はい、少し寒くなってきたので、おでんで熱燗はどうでしょう?」

「それは良い。
浅沼も誘っておいてくれ。
ここのところ、あいつもコネティカットの件で疲れているはずだ」

 山下の選択した店は湯島にある‘こなから’だった。
金曜の夜の予約は難しいと言われる店だが、運良く空いていたという。
新丸ビル店などの支店もあるが、‘本店の味がどことなく良い’というのが彼の評価である。

「浅沼、ご苦労様。
これでオーエンも、晴れて本社の役員に成れるってことか」

「今回の件ではお世話になりました。
彼も相当に課長には感謝している様です。
お蔭様で、あそこの為替は全部うちにくれることになりました」

「そうか。
それは何よりだ。
サイドも分かる玉だからインターバンクにとっても楽なフローだな、山下」

「はい・・・。
何の話でしょうか?
ちょっとおでんの選択に気を取られ、聞き逃してしまいました。
すみません」

「本当に食い意地が張ってるな、お前ってヤツは。
また腹が少し出てきてないか」

それを聞いた浅沼が大きな声を上げて笑うと、客が一斉にこっちを振り向いた。

‘和やかな夜だ’

 楽しいひと時を過ごした後、タクシーを拾うと、‘銀座へ’と告げた。
目的はカウンター・バーの‘やま河’である。

「今夜はお一人?」

「ええ、今まで山下等と飲んでいたところです。
最後は一人で過ごしたくて、ここに来ました。
いつものヤツをお願いします。
それと、先日僕が持ってきたビージー・アデー(Beegie Adair)のCDを他のお客さんに迷惑にならない音量でかけてくれますか?」

「はい、了解」

ラフロイグ、チェイサー、ドライド・フィグ(干しイチジク)がカウンターに並ぶと、
Beegie Adairの女性らしいピアノの音色が丁度良い音量で流れ出した。
‘Love me tender’、’Smile’と続く。

近くの客が、
「良いメロディーだね。何ていうアルバム?」
とママに聞いている。

至福の時が流れ出した。

‘来週もまだ、ドルが下がりそうだな。
頑張るか’

 (つづく)


*手振りで売買を示す場合、yours(ここではドル売り)では人差し指を下に、mine(同ドル買い)では人差し指を上に向ける。
また、yoursでは手の平を相手(ここではインターバンク)に向けて倒し、mineでは自分の方に向けて引く様な仕草をすることもある。

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第18回 「ミーティング」

―――9月末の最終週にコネティカット・ファーマシーとの取引に疑問が生じた。

急増した取引、膨らむ含み損の背景に何があるのか?

コネティカット社の上層部も事実を知っていれば問題ない。
だが、財務・経理担当者の一存による取引の結果がもたらした含み損であれば、話が拗れる可能性がある。

先方の担当者とコーポレート・ディーラーの安居とが男女の関係にあるとの噂もある。

猶予はならない状況だ。

今回の件はJMIが一方的に理不尽な要求を突き付けてきた問題とは話が違う。

早急に先方の上層部に会う必要がある―――

 週初2日の朝方に公表された日銀短観は大企業製造業のDIが4期連続の改善となったが、為替市場への影響は限定的だった。

ドル円は112円66銭でオープンしたが、動意が薄い。

‘今日は12円後半でのキャッチボール相場になる’と決め込んで、コーポレート・デスクの浅沼をディーリング・ルームに近い会議室に呼んだ。

「どうだった? コネティカットのコンファメーションに不自然な点はなかったか?」

「そうですね。直近のディール分まで全て戻ってきています。代理人届が済んでいるSignatureもあるので、表面上は問題ありません」

「手掛かりはなしか・・・。
ところで、担当者の直属の上司はあっちの人間か?」

「はい、Jason Owen というアメリカ人で、肩書はCFOです」

「自分でコンファメーションにサインしながらも、ここまでの含み損を見過ごしてきたのだから、為替には無頓着なのかな?」

「はい、一度会ったことがありますが、年齢40歳位の誠実そうな人物です。
アカウンティングやファイナンスは詳しい様ですが、為替にはあまり関心がなさそうです」

スラックスのカフは3cm強、靴はプレイントウという出で立ちで、IVY リーグ出身らしい人物像が浮かぶ。
本国に帰れば、ボードメンバーの席が約束されているといったところか。

全米有数の製薬メーカーのボードメンバーに加わるためには、大きなミスは許されないはずだ。
とすれば、今回の問題を解く鍵はその辺りにあるのかもしれない。

「そうか。それで、安居と先方の担当者との関係について、何か分かったか」

「彼女は付き合ってる事実はないときっぱり言ってました。
先方の堂島という担当者が彼女のことを気に入ってしまった様で、気を引くために取引を頻繁に行い、幾度も食事に誘ってきたというのが真相のようです」

不透明な部分もあるが、それ以上考えても下種の勘繰りになるだけだ。

「分かった。
Courtesy Call(表敬訪問)ということで、早速オーエン氏とアポを取ってくれないか。
日時は先方の都合に合わせる。
それと安居をインターバンクに異動、インターバンクの中村をコーポレートに異動。
それで良いか?
丁度期が移ったところで不自然ではないと思うが」

「了解しました。
アポの件、早速手配します」

 オーエンとのアポは4日11時に決まった。

「Nice to meet you, Mr. Owen. 」

「Thank you for coming today, Mr.Senzaki」

「How’s your business going on?」

「Everything’s going well, busy though.
What about yours?」

「The same as usual」

暫く今年のMLBなど世間話をした後、例の話を切り出した。
オーエンは瞬きもせずに話を聞きながら、時折メモを取っている。
一通りの説明をし終えると、少し戸惑いを見せながら語り始めた。

「What I’m gonna tell you is still confidential.
So, can you keep it between us?」

「Sure, I will promise you. Please go ahead.」

「I’m supposed to be transferred to Head Quarter next year.
You know what I mean?」

「You will be promoted, right?」

「Exactly. So, I need your help, Mr. Senzaki.」
ボードメンバー(経営陣)に加わる予定だという。

‘助けを求めている。そうであれば、話は早い’

「How can I help you?」

部下が作った損失だが、自分が管理を怠ったのが悪い。
だから、自分で含み損を取り戻したいという。
為替取引の経験はないが、アドヴァイスしてくれないかと懇願する。

彼の真摯な態度が気に入り、
「Ok, I’ll do all what I can do.」
と言うと、挨拶した時の笑顔に戻った。

もっとも、銀行が’売れとか買え’とかの直接的な指示を顧客に行えば法に触れる。

「コーポレート・デスクの浅沼が私の相場感を伝えるために電話を掛け、そこで貴方が売買の判断をする。
それで良いですか?」 
と提案した。

「Can I do it?」
不安そうに言う。

「I’ll be there for you」
と言うと、’Thank you, Thank you’ と幾度も言いながら、握手を求めてきた。

一応の方針が決まったところで、
オーエンに浅沼に電話を掛ける様、促した。
現在のポジションをすべて手仕舞うためである。

含み損は実現損となった。
これで、前向きなディールを行えることになる。

約4500万円の損失だ。
‘直ぐに取り戻せる金額である’

別れ際、
「Ryo-san, doumo arigato gozaimasita」
と、たどたどしい日本語で礼を言う。

「どう致しまして」
と笑って返した。

 銀行に戻ると直ぐに浅沼を呼び、オーエンとのミーティングの内容を伝えた。

「どうもありがとうございました。
でも、彼に稼がせなければなりませんね」
と心配そうに言う。

「それは問題ない、俺が稼がせる。
浅沼、俺が出かけている間、ドル円はどんな様子だった?」

「実需の買いが入るせいか、50(12円50銭)近辺はそこそこビッドですが、もう少し下がる様な気がします」

「そうか、オーエンに電話を入れて、40近辺でリーブを出させる様に誘導してくれ。
今週はもう、’ドルがそれ程下がらない’というのが俺の見立てだと伝えろ。
ただ、くれぐれも言っておくが、お前からリーブの水準、金額、サイドは一切言うな。
法に触れる。
ここはコーポレート・ディーラーとしてのお前の手腕が問われるところだな」
最後の言葉に笑いを添えた。

暫くすると、浅沼から報告があった。
「40で20本、35で20本のドル買いを置いて来ました」

「そうか。良くやった。
それじゃ、次に80~90で利食いのオーダーを取ってこい」

オーエンに電話を掛けながら、浅沼がこっちに向けて右手の親指を立てた。
‘順調だ’

 その日の3時過ぎ、一連の顛末を東城に報告した。

「お前も苦労が絶えないな。
労い酒と行くか」

「良いですね」

その日の晩、二人で銀座の寿司処‘下田’に出向いた。
‘本当にここの寿司は旨いな’

 週末に公表された米9月の雇用統計では、NFP(非農業部門雇用者数)がかなり悪化したものの、賃金の上昇が確認された。

NFPの悪化はハリケーンの影響がある。
そして市場は賃金上昇だけを捉え、発表直後にドルを買った。

ドル円は直近最高値の13円26銭を抜き、13円43銭を付けた。
だが、‘北朝鮮が長距離ミサイルの試射準備を行っている’との報を受けて、ドルは敢え無く12円61まで反落した。

‘上値が伸びない割に、時間を食い過ぎてる・・・。
そろそろドルの反落に備える必要があるのかもしれないな’

(つづく)

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第17回 「顧客の含み損」

―――9月期も今週で終える。

帰国してから5カ月も経っていないが、多くの出来事があった。

収益改善での苦労、JMI(日本海上保険)とのトラブル、田村との確執、部下の前島の失踪などが脳裏に浮かぶ。

こうした問題の多くは、尊敬する上司の東城、必死に自分をサポートしてくれる部下の山下、そして社外の友人・知人のお蔭で何とか解決してきた。

もっとも、解決の糸口すら見つかっていない問題もある。
かつての恋人・岬との関係だけは、彼女が人妻である以上はどうにもならない。
夫と別居中の身とは言え、簡単に彼女との距離を縮めるわけにはいかないのだ。

だが、まだ攻め時は来ていない。
もしかしたら、永遠に攻め時は来ないのかもしれない。
‘辛い関係が続きそうだな’

いずれにしても来週からは下期が始まる。
‘頑張らねばならないな’―――

週前半(25日~26日)、ドル円は12円半ば(112円半ば)で上値の重たい展開から11円半ばまで反落した。

市場が先週の高値12円72~99銭(昨年12月の高値118円66銭からの安値107円32銭の半値戻し)を攻めることに躊躇しているのだ。

しかしながら、週半ばにはイエレンFRB議長のタカ派的発言で、ドルの買い方が勢いづき、2カ月半ぶりの水準となる13円26銭を付けた。

9月末でなければ、関心を抱く状況だが、この時点で収益を振らすことはできない。

ここは少し相場から離れる良い機会と捉え、事務仕事に専念することにした。

そんな折、廊下ですれ違ったバックオフィスの山根美佐子が耳に入れておきたい話があると声を掛けてきた。

山根には外国為替部に異動になった当初、事務的なことで随分と世話になった。

為替取引やマネー取引に関する知識が豊富であることや、国内外のバンキング・システムにも通じていることが評価され、今は事務管理統括部長にまで昇進している。

インテリジェンスの権化みたいな風貌でややきつい顔つきに見えるが、根はやさしい人である。

「仙崎君、君の管轄だから当然カスタマーの収益管理もしてるわよね?」
相当に歳下なので、昔から君づけで呼ばれているが、気にしたこともない。

「もちろんしてますけど、何か?」

「ここ半年急速に為替の取引高と収益が増えている企業があるけど、何か変だと思わない?」

「それって、コネティカット・ファーマシーのことですよね。
チーフの浅沼にその辺のことは聞いてますが、担当の安居真紀が頑張って取引を増やしてきたという話なので、彼の言葉を文字通り受け取っています」

「少し気を付けた方が良いかもね。
先日うちの若い子達と食事に行ったときの話だけど、彼女達がこの夏、銀座のイタリアン・レストランで安居さんと30代の男性とが一緒に食事をしてるところに出くわしたらしいの。
そのときはコネティカットの担当者だと紹介され、接待だと言ってたそうよ。
でも、若い子達の一人が数日後にまた青山通りでその二人が仲良さそうに歩いているのを見かけたと言ってる。
まあ、だとすると恐らくそういう話よね」

「銀行の顧客担当が顧客企業の担当者と付き合う、それはあり勝ちな話ですよね。
仮に二人が真剣に付き合っていれば問題はないでしょうが、取引が急増したというのは色々な意味で拙いかもしれませんね。
情報、ありがとうございます。
早速調べてみます。
山根さんのことだから、本件、彼女達には他言無用と言って頂いてますよね」

「当たり前でしょ。
それにうちの子達全員、仙崎君のファンだから、あなたに不利になる様なことは言わないわ。
それより、たまにはおばさんとも付き合いなさいよ。
昔より美貌は衰えてるけどね」
と笑いながら言う。

「今でも、美貌を十分に維持してるじゃないですか。
それじゃ、失礼します」
と言って、その場を辞した。
別れ際、どことなく彼女の顔が赤らんだ様に見えた。

 デスクに戻り、改めてカスタマーの取引状況を確認すると、確かにコネティカットの取引高が急増し、コミッション収益も前年比で3倍に上っている。

この点では問題はないが、コネティカットの含み損が大きいのが気懸りだ。

確かに未決済残高(決済期日前の残高)はリミットこそ超えていないものの、含み損はリミットの5000万円に近い。

コネティカットの担当の上司はこのことに気付いているのだろうか。

外資系企業は経理・財務関連部署を少人数でやりくりしているケースが多い。

チェック機能が十分に働かなくなる可能性がある。

一応、全てのディールのコンファメーション(確認書)が戻ってきているかを確認しておく必要がある。

コーポレート・デスクのチーフ浅沼に電話を入れ、5分後に社食で会うことにした。
2時過ぎともなると、もう利用者はいないはずである。

「山下、社食に行ってくるが、後は頼む」
と言って、席を離れた。

既に浅沼は皇居の森が一望できる窓際の特等席に座っていた。

山根との会話のあらましを話した上で、
「取引が急増してるのは兎も角としても、含み損が大分増えているのが気になる。
仮にそのことを担当者の上司が知らないと拙い。
土台、製薬会社がこんなに沢山のスペック(投機取引)を行っているのも不自然だ。
まずは、先方から戻ってきた今期のコンファメーションに不信な点がないか調べてくれないか?
本件は山根さんも心得ているから、バックオフィスからコンファメーションを借りることに問題はない」

「そうですね。うちから提供しているクレディット・ライン(与信枠)や損失リミットには抵触してませんが、担当者が何か隠していると拙いですね。
了解しました」

「それと、安居君と担当者との関係も気になる。
それとなく探りを入れておいてくれ。
先方との接待の回数とかもな。
お前も月末・期末で忙しいだろうから、来週初辺りまでに調べておいてくれればいい。
話はそれだけだ。
今期もご苦労だったな。
大分お前のところの収益も回復してきた様で良かった。
それじゃ、本件、また来週に話そう」

 週後半のドル円は再び直近高値の13円26銭を試したが、抜けないまま再び12円台に押し戻された。
実需のドル売りが出るなか、少し高値警戒感もある。

週末の東京市場は12円半ばを中心とした模様眺めの展開に終始し、海外市場も動意薄の展開になりそうな雰囲気である。

 
 週末の夜、久々に山下を誘い、銀座のカウンターバー‘やま河’に出向いた。
「9月期はご苦労さん、お蔭で助かったよ。
まずは、ビールで乾杯だな」

直ぐにカウンターにラガービールのボトルと麻布十番の塩豆が置かれた。

塩豆を一つ二つ口に放り込みながら一杯目を飲みほしたところで、グレフィデックのロックとラフロイグのロックを注文した。

ウィスキーグラスがカウンターに置かれるや否や、山下が
「タマゴサンド1.5、野菜サンド1.5、それに何かこれに会いそうなアテをお願いします」
とママに頼んだ。

「それは俺の分も入れてのオーダーだろうな」

「もちろんですよ。
減量中ですからね」
と半ばふてくされて言う。

ロックが二杯目に移ったところで、コネティカットの話を持ち出した。
「そうだったのですか。この半年あそこのディールが増えているのは分かっていたのですが、少しやっかいな問題に発展しそうですね」
心配しているのだろうが、彼の問題ではない。
トレーディング収益に追われ、カスタマー管理に目が行き届かなかった俺の責任が大きい。

「そうだな。男女の関係にビジネスが絡んでいるとなると、ちょっと拙いな。
なかなか全ては上手く行かないもんだ」
溜息をふーっと吐いた。

そんな様子を見て山下が励ます様に言う。
「岬さんという、心の支えがあるじゃないですか」

「ばか、今は心の支えどころではなく、むしろ心配の種だ。
彼女の夫が岬の身辺を探っているらしいという話も何となく気懸りだしな。
まあ、残念ながら岬の件は当分、様子見だな」

「そうですね。家内も心配なので、毎日の様に電話を入れている様です。
今日はとりあえず、飲みましょう。
了さんの相場予測をつまみにして」

「俺の今の予測はだめだ。このところ、JMIや前島の件があったので真剣に相場を見ていない。
お前の方が相場が見えてるんじゃないのか。
どうなんだ?」

「今週、市場は実需の(ドル)売りを意識していた様です。
ドルが続騰してますから、ディーラー仲間も相当に高値警戒感を持っているのも事実です。
でも、予想外にドルの下値が堅いですね。
シカゴがまた円売りに動いたというのも気になります。
一応、来週は13円26が抜けた場合は14円台前半もあり、抜けない場合は10円台後半もありといったところでしょうか」

「本邦では週初の日銀短観、衆院選を控えての株価動向、アメリカではISM、米雇用統計、気の緩んだところでの米朝問題復活など、盛りだくさんだな。
お前の言う様に、10円台~14円台程度で構えておくのが無難か。
まぁ、期初だから慎重に行くか」

(つづく)

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。