月別アーカイブ: 2018年1月

第34回 「110円を割れたドル」

 ―――週初(22日)の東京は110円台後半で、比較的穏やかな相場付きだった。

まだドルは下がると思うが、売り時が分からない。

そんな思いで窓際に立ち、皇居の森を眺めていると、下期の出来事や業務のことが脳裏に浮かんできた―――

下期入りした10月以降、ディーリング以外の出来事に時間と労力を割かれたことで、思う様に収益を重ねることができなかった。

そんななかでも、11月初旬に作った114円台の50本(5000万ドル)のドルショートが根っこのポジションとなり、何とか収益を支えている。

毎日値洗いされているものの、ドル円の金利差*は僅かだから、現在の持ち値も大きな影響を受けてない。

本数は50本と金額は少ないが、下期の拠り処となってきたポジションである。

 プロップ・トレーダーとして収益を残すためには根っこのポジションは重要だ。

基調としてのトレンドを捉えるのは難しいが、方向を見定めてポジションを持つ必要がある。

時にポジション・メイキングの水準を間違えれば、ストップロスを入れ、そして再び根っこのポジションを作る。

根っこと決めたポジションを滅多に切ることはないが、潔さを欠くと後々のディールに響くことを常に頭に入れ、不屈の精神で次に望む。

こうしたプロップ・トレーダーとしての信念を持ち、俺はここまで生き延びてきた。

もっとも、インターバンク・ディーラー時代は根っこのポジションを持つことは難しかった。

インターバンク・ディーラーは常に顧客のカバーに追われているため、根っこのポジションを作るタイミングを見失うことが多いからだ。

時折りインターバンクのチーフディーラーである山下には「お前のディール・スパンは短いな」と言って冷やかすが、それは彼の力量や度量の問題ではない。

彼のディール・スパンが短いのはそうしたインターバンク・ディーラーとしての役割故である。

「お前の利食いは早いな」と俺に言われても、彼は‘利食い千人力ですから’などと言って受け流すが、自分の業務をわきまえている証拠だ。

もっとも、大銀行の外国為替課長である俺のプロップのポジションの取り方も難しい。

インターバンク全体のポジションを管理する立場では、自分本位のポジションばかりをとっていられないからだ。

かつて山下が、
「課長、朝のミーティングではドルは下だと言っていたのに、何故ロングしてるんですか?」
と尋ねてきたことがあった。

「お前等全員がドルを売ってるのに、俺も売ったらデスク全体が総ヤラレになるかもしれない。

俺だってショートにしたいとこだが、ここは仕方がない。

まぁ、立場上、当然のことをしているだけだけどな。

そしてこれは、俺がまだジュニアだった頃に東城さんもやっていたことだ」

次の担い手である山下を鼓舞するつもりでそう答えた。

 翌日(23日)もドル円の上値は重たそうだった。

「山下、昨日のニューヨークのドル円高値は18(111円18銭)だったな。
つまり、前日の高値22(111円22銭)を抜けなかったってことだから、そろそろ売っておく方が良いな」

「そうですね。
私もそう思います」

「昨日の安値が56(110円56銭)だから、そこを抜けたら売るか。
50givenなら間違いなくドルは下がる。
50givenで50本、丁度(110円)givenで50本、リーヴしてくれ」

「了解です。
僕も50givenで乗っかります」
勢いよく山下が言う。

その後二人はディーリングルームに残ることにしたものの、ドルは下げ渋った。

ドルが下がり出したのは東京の午後8時を回ってからのことである。

それを見届けた二人は、銀座の‘やま河’へと向かった。

‘やま河’は元外資系銀行の人事部長だった山河里美が営むカウンター・バーである。

 「課長、上手く行くと良いですね」

「ああ、大丈夫だ。
間違いなくドルは落ちる。

まあ、飲もう。
お前は相変わらず、グレンリヴェットか」

「課長は、ラフロイグですね」

店内には、耳障りにならない程度の音量でBill Evans のPeace Pieceが流れる。

テイスティンググラスを傾けながら山下が
「至福の時ですね」
と気どって言う。

「体形に似合わず、お前も随分と気の利いたことを言う様になったな。
もういっぱしのニューヨーカー気取りってとこか」

「‘体形に似合わず’ってのは余分じゃないですか。
これでも最近3キロも痩せたんですから」

ママの里美がこっちを見ながらカウンター越しに少し控えめな声で笑っている。
‘笑顔の美しい女性は良いものだ’

俺以外に客のいなかったとき、彼女の方から‘10歳年上の妻子持ちの彼氏がいる’と聞いたことがある。
‘世の中、上手く行かないものだ’

 翌日以降、ドル円相場は急落し、週末には108円28銭まで下落した。

米国のセーフガード発動、ムニューシン米財務長官のドル安容認発言、そして黒田総裁のややタカ派的発言がドル安の背中を押したのだ。

今週売った100本は、9円60銭と8円50銭で手仕舞った。
そしてまだ、114円台のショート50本は残っている。

 土曜日の晩、例によって国際金融新聞の木村に来週のドル円相場予測のメールを送った。

木村様

 今週のドル安、少し速過ぎる感があります。

ムニューシン財務長官の発言はいささか唐突ですね。
経常赤字国・対外債務国の米国財務長官としては軽々過ぎる発言かと。

いずれにしても米国が経常赤字を外国の資本流入で補填している国である以上、ドル安容認はありえない話なので、発言は真意ではないのでしょう。

黒田さんの発言は、正常化プロセスでFEDやECBに遅れをとっているためのその場凌ぎの発言としか受け取れません。

問題はムニューシン発言、あるいは米国要人が今後もドル安容認を繰り返してきたときでしょうか。

ドルに下降モメンタムがついているときだけに、その点には注意が必要です。

来週のドル円予測レンジ:107円~111円

追記:
オシレーター系のチャートを見ても少しオーバーソールドで、短期的にドルが戻す様な気がします。

ただ、ドルの下値が固まっていないのでこの先まだドルが落ちると見ています。
IMMの投機的円売りポジションの縮小が遅れているのも気に懸るところです。

今週は少しドル売りを手控えます・・・。

IBT国際金融本部外国為替課長 仙崎 了

(つづく)


*ドル円金利差:過去からドル円金利はドル金利>円金利である。
この状態ではドルの先物はディスカウントとなり、先物レートは金利差(直先スプレッド)分だけ低くなる。
つまり、ドルショートのコストはロールオーバー(先送り)すればするほど悪くなり、
逆にドルロングのコストは低くなる(良くなる)ことになる。

第33回 「崩れたドル」

前の週から急速に悪化したドルの地合いは今週になっても回復しなかった。

週初(15日)に日銀が公表した‘さくらレポート(地域経済報告)’で三地域が景気判断を引き上げたことで、「日銀が2018年の経済見通しで強気を報告をする」との観測が円高の背中を押した。

テーパリングではFEDに周回遅れとなっている黒田日銀には焦りがある。
それだけに、市場は日銀サイドからの正常化プロセスに向けての示唆を気にしているのだ。

そんな中、市場がややドル円売りに前掛かりなのが気にかかる。

水曜日(17日)の東京は、早朝からドル売り一色の状態である。
前日のニューヨークで「ECBが金融政策の正常化を進める(ユーロ買い・ドル売り材料)」との観測が強まり、それが東京にも伝播したのだ。

早朝から顧客のフローも結構多い。

110円台前半で揉み合うなか、大手生保の一社が100本売ってきた。

「あっ!」
山下が声を上げる。
彼が滑ったときに挙げる声である。

彼のサポートに入った二人のジュニアも
同じ様な声を発した。

「何本滑った?」
少し大きめの声で聞いた。

「全部で70本です」
山下が返す。

「プライスは42(110円42銭)。
今、30given(30銭で売り)アラウンドか。
山下、ここは焦らなくていい、そのまま放っておけ!
ここからはもうドルは落ちない。直ぐにコストよりも上でカバーできる」

月曜・火曜と、110円台前半でドルを売って攻め切れなかった。
それに心理的節目の110円、そしてフィボナッチ水準*の110円15銭がドルのサポートとして効いている。

「了解です。
少し様子を見ます」
そう言われて、山下は少し落ち着きを取り戻した様である。

25がgivenしたところで、ドルを買う決意をした。
「山下はこっちで50本、
野口はシング(シンガポール)で50本、買ってくれ」
これで少しショートカットを誘える。

一旦、19(110円19銭)を付けたが、それから相場は反転し始めた。
ショートの踏み上げである。
昼には70(110円70銭)までドルが値を戻していた。

そんな状況を見て、
「山下、さっきのお前の70本、売り時だな。
もう、良い頃だ。
始末しておけ。

俺は東城さんに呼ばれてる。

部屋に行ってくるので、さっきの買い100本の利食いオーダーを入れておいてくれ。
80(110円80銭)で50本、25(111円25銭)で50本。
付かなければ、海外回しで良い。

今週はもう110円割れはないから、ストップは不要だ」

「了解です。
70本の滑り、お蔭様で助かりました。
ありがとうございます」
礼を言う声に張りが戻り、顔も嬉しそうである。

 「仙崎です。
宜しいでしょうか?」

「おう、入れ」
相変わらずの渋い声が迎え入れた。

「失礼します」

「大分ドルが売られてる様だが?」
ソファーに座ると、普段通り相場の話で会話が始まった。

「そうですね。
でも、ここは一息入る水準かと・・・」

「この先は?」

「今週は戻して11円台前半でしょうか。
まだ下の決着は付いてない感じがします」

「そうか、分かった。
ところで、例の堂島の件、大阪支店長の徳田さんから‘当面は忘れくれて良い’と言ってきた」

「どういうことですか?」
少し怪訝そうに聞いた。

「詳しいことは言わなかったが、恐らくこのところのドル安で含み損が減ってきたことが背景にあるのは事実だ」

「そこで三山製作所の方が勝手なことを言ってきた、ということでしょうか?
でも、この時点で決着を付けておかないと、拙いのでは。

3末(3月期末)までに再びドル高に振れれば、また彼等は難癖をつけてくるはずです。
ここで一気に整理しておいた方が良くはないでしょうか?」

「俺もそう思う。

だが、ここは徳田さんの意向もある様な気がする。
堂島での揉め事が露見すると、徳田さんの汚点になる。

大阪支店長は常務の中でもほぼトップに並ぶ位置付だ。
次は本店の筆頭常務、場合によっては専務のイスもある。

だから、次の人事が決まるまでの向こう数カ月の間、波風を立てたくないのかもしれない。

つまり、ドル安円高の加速が、三山、堂島支店、そして徳田さんにとって都合が良いってことだ」

「この話、東城さんや私にとって当分の間の患い事となるだけで、何のメリットもなさそうですね」

「そうでもない。
仮に徳田さんが筆頭常務になれば、国際金融部門の風通しが良くなる可能性がある。

徳田さんは融資畑の人間だが、住井出身だ。

統合してから15年経った今でも、あの年代には住井出身と日和出身との間で派閥争いが残っている。

仮に徳田さんが筆頭常務として東京に戻れば、日和出身の嶺さんの上になることは間違いないからな」
派閥云々を嫌う東城だが、嶺常務の存在が煩わしいことは想像に難くない。

‘ここは東城の意を汲むしかなさそうだな’

「了解しました。
取り敢えず、相場の成り行きを見ましょう」
と言い残して、ドアに向かって歩き出した。

ドアを開けかけたところで、
「いつも済まんな」
と詫びの声がかかった。

振り向きざま、
右手の親指を立てて微笑みを返した。

 翌日の木曜日、日経平均株価が91年以来の高値水準となる24000円台を付けたことを受けてドル円は111円48銭へと反発した。

しかしながら、ドル自体の地合いが回復したわけではない。
折から米国では政府機関閉鎖の可能性が示唆されていたこともあるが、ドルが軟調となってから日が浅い。

米10年債利回りが壁となっていた2.6%を超え、米株も堅調だが、ドルが本格的に反転するにはまだ早過ぎる。

それにテクニカル的にはフィボナッチ水準の111円55銭*の存在もある。

果たしてロンドン時間で、再びドルは110円台後半に下落した。

金曜日(19日)の午後になり、ドルが下に振れ出し、110円台前半を覗きかかったが110円49銭で止まった。

そんな折、財務省の吉住から勉強会の日取りが決まった旨、連絡が入った。
省内の都合で当初予定されていた1月下旬から延期され、2月7日に決定されたという。

 その晩、久しぶりに山下を誘い、青山のジャズバー’Kieth‘に出向いた。

入口を入って右手の奥にあるテーブル席に座ると、山下が慣れた様子で適当にオーダーを入れた。
BGMのオーダーも忘れない。
最近はColtraneに凝っているらしい。
「マスター、BGMはColtraneの’Ballads’で」

「山下さん、仙崎さんに選曲が似て来ましたね。
もっとも、風貌は全然違いますが」
マスターがからかう様に言う。

「えっ、それって‘どっちがどっち’ってこと?」

「ご想像にお任せします」
とマスターが笑いながら言う。

そうかわされては、もう山下も返す言葉もなさそうである。
「お疲れ様でした」
と言って、ビールグラスを持ち上げた。

週末の土曜日の晩、例によって来週のドル円相場予測を国際金融新聞の木村にメールした。

―――
木村様

予測レンジ:109円50銭~112円

有体で済みませんが、一応ドルの下値テストを予測します。

埋め草は沢山あるので、木村さんにお任せします。

*12月の短観に記載されていた「2017年度の大企業想定レート110円18銭」を記事に挿入すると、読者受けするかもしれませんね。
今週の最安値が110円19銭でしたから。

その下に110円15銭(61.8%、107円32銭&114円73銭)もあるので、それも絡めるとより木村さんのとこらしい記事になるかもしれませんね。

精々他紙が触れても節目の110円程度でしょう。

それでは失礼します。

IBT国際金融本部外国為替課 仙崎了
―――

数分後に木村から礼のメールが届いた。

―――
仙崎様

いつもありがとうございます。

最近は相場が予測通りに展開していて絶好調ですね。

国際金融新聞 市場部編集委員 木村

続け様に、OUTLOOKに着信の音がした。

添付付きの志保からのメールである。

―――
了へ

この間はどうもありがとう。

レジュメ、添付しておきました。
宜しく。

ところでもう、私達やり直せないのかしら?

志保
―――

簡単なメールである。

だが、最後の一行は重い。

これについては、返事の書き様がなかった。

返信には

―――
志保へ

マイクのファンドへの転職は心配しなくて良い。

また連絡する。


―――

(つづく)


*110円15銭(61.8%戻し、昨年最安値107.32&昨年11月の高値114.73)
*111円55銭(38.2%戻し、113円75銭&直近安値110.19)

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第32回 「志保の悩み」

 昨晩(6日の夜)遅く、志保から待ち合わせ場所と時間を知らせるメールが届いた。
場所は帝国ホテルのロビー、時間は6時である。

ホテルの車寄せにタクシーが着いたのは6時5分前だった。
彼女はこれまでに待ち合わせ時間に遅れたことがないから、間違いなくロビーで待っているはずだ。

メインエントランスを抜け、ロビーの左前方に目をやると、直ぐに志保の姿が目に飛び込んできた。

プロポーション抜群で30代半ばの美人が高級ホテルのロビーのピラーに背を持たれながらニューヨーカーを何気に読んでいる。

ジーンズにホワイトのシャツ、その上に質の良さそうなヘザーグレーのカーディガンを胸前で結ぶといったさり気ない出で立ちだが、それが妙に彼女を際立たせている。

一瞬、そんな風に思えた。

彼女も自分を見つけたらしく、ふたりの目があった。

彼女が小走りに近づいてくる。

ふたりの距離が1メートルほどに縮まったとき、彼女が「久しぶり、了」と言いながら胸に飛び込んできた。

彼女はハグのつもりだろうが、傍から見ればそうは見えない。

ふたりの頬が接した瞬間、
「おい、ここは日本だぞ、少しオーバーじゃないか」
と耳元に囁いた。

「良いのよ、了となら」
と平気で言う。

良く分からないままに、束の間抱きしめる格好となってしまった。

彼女の肩を軽く押し戻しながら、
「結構、元気そうだな。
でも、志保が元気そうな様子を敢えて見せるときは悩みを抱えているときが多い。
何か、問題か?」
と聞いてみた。

「ええ、まあ。
でも、取り敢えず、食事にしましょ。
地下の‘なだ万’に予約を入れておいたけど、和食で良かった?」

「問題ないけど」

「ね、二人で歩くとき離れて歩くの難しいの。
腕を組んでも良い?」

「まあ、俺は良いけど、志保は拙くないのか?
有名人らしいからな」
少し茶化してみた。

「‘外国で活躍する日本人女性’ってやつ。
ニューヨークで働いているだけで、別に活躍してるわけじゃないのにね」
と言いながら、既に右腕を俺の左腕に絡めている。

‘なだ万’での懐石料理も終わり、デザートが運ばれてきた頃、問わず語りに志保が悩みを打ち明けてきた。

「了と知り合う前、イーストリバーの妻子持ちの人と付き合っていたことは以前に話したわよね。

その彼が離婚するから、また付き合ってくれと言ってきたの。

もちろん、付き合ってもいないし、そのつもりもない」

「だったら、別に問題ないはずだが」
素っ気なく言う。

「それが、そうではないのよね。
昨年4月に彼がナンバー・ツーにプロモートされ、運用部門の全ての人事権を持つことになったの。

了が帰国してから数カ月経った頃、彼自身の運用のアシストをしてくれと頼まれ、仕方なしに引き受けることになった。

ベースは一挙に10万ドルアップしたし、来月貰う予定のインセンティヴ・ボーナスも相当な高額に上ったのは喜ばしいことだけど、毎日が大変」

「同じ個室で仕事をし、毎日の様に口説かれてるってわけか。
それで、どうしたいんだ?」

「給料は魅力的だけど、居心地が悪すぎる。
他に仕事を探すしかないと思ってる。
困ったわ」

「まだポートフォリオ・マネージャーの仕事を続けたいのか?」

「ええ、楽しいし、過去のトラックレコードも悪くないから。
多分、私に向いている仕事だと思ってる」

「それで、どこで仕事がしたい。
ニューヨーク、ロンドン、どこでも紹介できるけど」

「まだ暫くは、ニューヨークにいたい。
でも、人間として信頼している人の下で働きたい。

この世界、どこか腐ってる人が多すぎるわ」

「まあ、腐ってる人間はどの世界にもいる。
まだ、そっちの世界にだってまともな人間は少なからずいるよ。

ニューヨークじゃないけど、コネティカットに行く気はないか?
そう、志保も良く知ってるマイクのファンドだ」

「えっ、本当!
彼なら信頼できるし、一度オールドグリニッジにも住んでみたかったの。
お願い、頼んでみて」
真剣な口調だ。

どうやら元カレは毎日、彼女に陰湿に言い寄っていたのに違いない。
その彼から逃れられるという安堵の気持ちが働いたのか、嬉し涙らしいものが彼女の目に滲んでいる。

「あっちに戻ったらレジュメをメールしておいてくれ。
マイクには話しておく。

もう大丈夫だ。
安心しろ。

ただ、イーストリバーを辞めるのはボーナスを貰ってからにしておけよ」

「そうね、お金って大切だもんね」
笑って言う。
もうすっかり元気を取り戻した様だ。

 その夜、彼女を抱いた。
二人の関係は本店への転勤でなし崩し的状態になっていたが、きっぱりと別れたわけではない。
それだけに、会えばそうなるのは分かっていた。

 成人式の週初(8日)、東京市場がクローズのなか、相場は113円前半でもたついた。

その日の夜中、ニューヨークの沖田に電話をかけた。
「どうだ?」

「ドル円の上は重いですね。
何となく、落ちそうな気配がします。

ユーロドルはややオファー気味ですが、ポジション調整後は買いだと思います。

何かしますか?」

「そうだな、ドル円50本売ってくれ」

「04(113円04銭)です」

「了解。
それと10分後に、もう50本売っておいてくれ。
レベルは構わない。
円に関しては、その後のリーブは不要だ。

あとユーロドルを50本買いたいが、何処が良い?」

「60(1.1960)辺りでしょうか?」

「じゃ、60でリーブを頼む。
ストップは丁度(1.1900)givenで良い。

忙しいところ、どうもありがとう。
それじゃ」

「お疲れ様でした。
お休みなさい」
いつもの静かな沖田の声で会話は終わった。

翌日の朝、山下からニューヨークでの取引内容の報告を受けた。
追加のドル円の売り50本は13円07、ユーロドルの買い50本は1.1960でダンとなった。

「どの様に処理しておきますか?」
山下が聞く。

「3円04の50本の売りは先週の12円台の利食いに当てておいてくれ。

これで現在のポジションは、ドル円は14円台の売り50本、13円07の売り50本、ユーロドルは1.1960の買い50本。

それで良いか?」

「はい、間違いありません。
乗ってきましたね」

「まあな、ただお前以外はパットしないから、10~12(10月~12月)は全体で少し未達だ。

俺もプラスだが、大したことはない。
ここらで頑張らないと、3月末の数字が厳しくなる」

「そうですね。
ところで、大阪の件の真相はどうなんでしょうか?」

「明日には浅沼の調査が終わるから、明後日には真相が分かる。
どうせ俺が片づけることになるのだろうが・・・。

ともかくそれはそれで、稼げるときに稼いでおくしかないな」

会話を終えて、ふとスクリーンを見ると、みるみるとドル円が急落して行く。
午前中に50(12円50銭)がgivenした。

日銀の超長期国債買い入れオペが予想外の減額となったことで、テーパリングが進むとの思惑が市場に走ったためである。

そして翌日には、‘中国が米債投資を辞める’との報が流れ、ドル下落が続き、週末には110円91銭を付けて、週を終えた。
少しツキが回ってきた様である。

週末の土曜日の午前、ベッドに横たわりながら大阪の件を考えていた。
堂島支店・柿山の話、そして三山製作所の話、どちらも噛み合いそうで噛み合わない。

柿山は108円台の時点で、‘110円まで戻す可能性は極めて低いから、売った方が良い’と三山に強く勧めたという。

だが、話の半分が本当だったとしても、為替予約は顧客である三山の意思で行うものであり、銀行が強要できるものではない。

やはり、真相を暴くためには‘面倒でも自分で大阪に出向くしかないな’

その晩、国際金融新聞の木村宛てに来週のドル円相場予測を書いた。

木村様

やっと、予測してきた様に相場が動き出しました。

114円台のショートが根っことなり、活躍しています。
新たに113円台でショート、そして1.19台でユーロドルをロングしたので、ディールの方はまずまずです。

日銀の超長期債の買いオペの減額とテーパリングが結び付けられ、円が急騰しましたが、
確証はありません。

ドルが落ちたのは、今のところポジションの投げが主因と判断しています。

米法人税減税とFEDの正常化プロセス継続という好条件がありながらも、115円を試せなかったため、‘日銀のテーパリング話がドルロング(円ショート)の投げに繋がった’程度の話で捉えておいた方が無難かと。

もっとも、米国のNAFTA離脱話や中国の米国債購入の減額話の信憑性が高いのであれば、この先サイコロジカル水準の110円を試す展開があっても不自然ではありませんが・・・。

ユーロドルが1.21を抜いているので、これもドル円の押し下げ要因には違いありません。

こんなところで適当に行間を埋めておいて下さい。

予測レンジ:109円~112円75銭

IBT国際金融本部外国為替課長 仙崎了

(つづく)

第31回 「新たな問題」

 2日の昼過ぎまで横浜・永田町の実家で過ごした。

帰りがけに玄関で靴を履きながら、
「いつも遠いのに、社宅の掃除に来てくれてありがとう。
それに料理も助かるよ」
と母に礼を言うと、その目が潤み出している。

単なる別れの涙もあるのだろうが、いつまでも結婚もしない息子に対する複雑な思いが涙に籠ってる感じがした。

「随分とお前も大変なんだろ。
母さんはお前の仕事のこと、何も分からないけどあまり無理しないで」
と言う。
母親が息子との別れ際にかける有体な言葉だが、それが自分の母親のものであれば特別である。
自然と心に疼きを覚えた。

呼んでおいたタクシーが既に門の前で待っている。
それを口実にドアを押し開き表に出ると、後を追う様に出てきた母に封筒を手渡した。
50万円入っている。

「お前、こんなに・・・」と戸惑う様な母の声を背中に聞きながら、タクシーに飛び乗った。
車窓越しに少し左手を挙げて母を見やると、手を振りながら何か言ってる。
‘ありがとう、元気で’と読めた。

 その日ドル円は、北朝鮮・金正恩による米国への威嚇発言でリスクオフの雰囲気が拡がり、112円06銭まで下落した。

だが、複数のテクニカル・ポイントが112円近辺に絡んでいるため、ドルに下げ渋り感がある。

その日以降、日米株価の上昇やISM製造業景気指数など良好な米経済統計がドルの背中を押し、ドル円は米12月雇用統計が発表される週末前に113円方向へと動いて行った。

 夜に米雇用統計の発表を控えた金曜日の10時過ぎ、東城から呼び出しがあった。
大阪管轄の客との揉め事で話があるという。

執務室に入ると、晴れ渡った空の下にくっきりと浮かぶ皇居の森を眺める東城の背中が目に入った。
相変わらず、背筋が伸び、凛とした後ろ姿である。

だが、その後ろ姿とは反対に、振り向いた顔には若干屈託の色が滲んでいた。

「まあ、座れ」の言葉を待って、ソファーに腰かけると、
東城も向かい側に腰を下ろした。

「市場はどうだ?」
開口一番の言葉はいつも通りである。

「複数のチャートポイントが絡む12円近辺ではドルが底堅い様です。
あそこが抜けると、面白かったのですが、残念ながら13円方向に戻ってきてしまいました。

ユーロドルは1.20台に乗ってから上値に重たさが感じられますが、9月の高値(1.2092)近辺ですから無理もないことかと。

もっとも、根本的にユーロを見直す時期が近づいているのかも知れません。
世界の外準(外貨準備)に占める通貨別シェアは、このところドル建てが減少し、僅かながらユーロ建てが伸びています。

昨年6月にドラギが「デフレ圧力はリフレ圧力に置き換わった」と発言していますが、あの辺りからユーロ相場に潮目の変化が見られます。

早晩、ユーロドルのレンジの下値が1.20に変わる可能性があるのかと・・・」

「そうか、分かった。

ところで、ちょっと大阪で問題が起きてる。
あっちで上手く片付けば良いが、どうも大阪支店長の話だと拗れそうだ。

堂島支店の企業担当が工作機械メーカーの三山製作所に3年先までの輸出(ドル売り円買い)予約を強いたらしい。

‘らしい’というのは、堂島支店の担当が客も納得した上でのことだと言い張ってるからだ。

とは言っても、責任転嫁をしている時間はない。
3月末が迫っているため、このままドル高が進行すれば、三山の決算期における為替評価損が膨らむことになる。

コストは108円台、予約残は60本だから、現状のレートで換算すると含み損は約2億数千万円だ。

それと、三山の輸出先である米国企業からの受注が激減しているという話もある。
仮にその状態が続けば、未使用のショートポジションが発生するから、事は結構深刻だ」

「でも何故、うちの堂島支店の担当が、そこまで長期のフォワードを予約させたのでしょうか?」

「以前にシンガポール支店のトレジャリー部門にいた柿山が担当だ。
彼は市場部門から外されたことを今でも根に持ってるそうだ。
その辺りに原因がありそうだが、もう少し事情を調べてみてくれ」

「了解しました。
至急、コーポレート・デスクの浅沼を大阪に行かせます」

「そうか、分かった。
でも、最終的にはお前が決着を付けるマターだ。
出来る男には、次から次へと難題が降りかかるな」
笑いながら言う。

「本部長、ここは笑うところじゃないでしょう」
半ばむっとした表情を浮かべながら言う。
無論、東城だから許される口のきき方である。

「悪い、悪い」と言いながら、東城はデスクに向かって歩き出していた。

もう話は終わりだということである。

ドアを開けようとしたところで、
「新年会は近い中に‘下田’で良いか?」
と、後ろから声がかかった。
労いを入れるところが東城らしい。

「はい、ありがとうございます」
向き直って、軽く会釈をしながら答えた。
わざとらしく少し笑みを添えるのも忘れなかった。

自席に戻るなり、
「浅沼、ちょっとこっちに来てくれ」
と声を掛けた。

今しがた東城から聞かされた話をそのまま彼に伝え、
来週早々に大阪出張を命じた。

その日の晩、米12月雇用統計の発表があったが、銀行には残らず、社宅でラフロイグのグラスを傾けながら統計結果を待った。

統計結果は思わしくなかった。
NFP(非農業部門雇用者数)が市場の予測を下回り、ドル円は13円前半で伸び悩んだ。

ニューヨークの沖田に電話を入れたが、‘もうこっちの連中はやる気はなさそうです’と言う。

それを聞いて、モニターから逃れることにした。

ベッド脇のテーブルにグラスとボトルを運び、そしてBGMにAnn Burtonの気怠いボーカルを選んだ。

ベッドに寝転ぶと、少し酔いの回った頭の中で予測が空回りした。
それでも何とか当りを付けた。

来週は短期の保ち合いを放れる。
先週後半の値動きから上に放れそうだが、そろそろ需給が緩みそうな(実需のドル売りがでそうな)気配もあり、基調としてのドル買いにはならないはずだ。

現在のポジションは14円前半のショート50本、12円30のロング50本のみである。

できれば50本ロングを適当に利食い、そしてショートはそのまま残しておきたい。
そんな展開になれば良いが・・・。

 土曜日の晩、国際金融新聞の木村に来週のドル円予測を送った。

木村様

明けまして、おめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。

13円台は値頃感、相場勘、そしてチャートポイントが絡み合い、揉み合いかと思います。

依然として基本的には、ドルの上値は重たく、ベアリッシュ・バイアスです。

予測レンジ:111円~114円10銭
キー水準:上は113円75銭、下は112円前後

いつも通り、行間の埋め草は適当に頼みます。

以下、ご参考まで

米税制改革法案の実現やFEDの正常化プロセス(利上げ)という与件がありながら、ドルに力強さが感じられない。

昨年を振り返れば、米利上げがドルを押し上げた経緯はない。
昨年12月のFOMCでは今年2~3回の利上げを行うというのが内部のコンセンサスの様だが、それがドル高を牽引するとは思われない。

以前にお話した米イールドカーブの「フラットニング→逆イールドカーブ」が徐々に顕在化しつつあり、「株のクラッシュ→ドル急落」には警戒を要する。

IBT国際金融本部外国為替課長 仙崎了

 メールを出し終わった直後、スマホが鳴動した。
阿久津志保からの電話である。
「了、明日会える?」

昨年からの約束である。
断る訳にはいかなかった。
「ああ、良いけど」

「何だか、疲れてるみたい。
それじゃ、後で時間と場所をメールしておくから、明日必ず来てね」

「分かった」
二人同時にスマホを切った。

会えば抱くことになるのが分かっている。
それが今は億劫でもあり、憂鬱でもある。

(つづく)

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第30回 「語られた真実」

ホリデーシーズンの真っただ中、市場は週初(25日)から週半ばまで動意なく過ぎた。
ドル円相場は113円前半での保ち合いに終始し、市場からすべての参加者が消えてしまったかの様だ。

この時期、毎年同じ状況が繰り返されるため、いっそのことクリスマス前後の数日間、市場がクローズしてしまえば良いのかもしれない。

だが、市場には市場の機微があり、そんな相場付きでも微妙に何かが動いているはずだ。
そんな微妙な動きを読めるときもあるから、動意ない相場も無視できない。

米大リーグ(MLB)では、今年から監督による申告敬遠が採用された。
監督がアンパイアに敬遠のフォアボールを申告すれば、投手は4回の投球を行う必要がなくなったのだ。
4回分の投球時間がセーブされ、試合時間の短縮に貢献するという。

そんな新ルールを、「4球の間の空気感があるでしょ、面白くないですよね」と切り捨てた大リーガーがいる。
日本が生んだ稀代の大リーガー‘イチロー’である。

4球の間の空気感、どこか動かない為替市場にも似ている。

足下のドルは一カ月間も買い進まれた局面で、上にも下にも行けない状態だ。
だとすれば、ポジション調整で少しドルが落ちるのかもしれない。
そんな空気感が動きの失われた113円台前半に漂う。

果たしてドルは木曜日からジンワリと落ちだし、今年最後の市場で112円47銭へと下落した。

年末に短期のドル調達コスト(金利)が上昇したのは例年通りだが、今年の急騰は酷過ぎる。
FED(米連銀)が正常化(利上げ)路線を進めるなかでのこの状況、それでもドル買いが進まない。

不自然さがそこにある。

高すぎる調達コストに辟易とした向きが、ドル資金を敬遠すれば、調達コストが低下するはずだ。
新年早々、それが切っ掛けでドルが落ちるかもしれない。

依然として114円台前半の50本ショートを持ち続けたままだ。
盤石の根っこのポジションとは言えないが、これを軸に数回転の売買ができ、それなりの利益を生んでいる。
今の処、このショートが虎の子のポジションである。
もう少しこのショートをキープしておくしかない。

複数のテクニカル・ポイントが集中する112円前後、ここが抜ければ、1月に110円台もあり得る。
そんな展開を期待したい。

 年末年始を家族向けの社宅で過ごすのは侘しい。
年末の土曜日(30日)、横浜市の永田町にある実家に戻ることにした。
年が明けて1日には姉夫婦と姪・甥も来るという。

皆が集まると、必ず俺の結婚話になるので鬱陶しいが、久々に家族らしい雰囲気で迎える正月は良いものだ。

実家には自分の部屋が大学時代のまま残っている。
母親の手が入っているせいか、清潔感が漂っている。

自室のベッドで暫く横になった後、夕飯目的で母を中華街に誘ったが、自分が作ると言い張った。

‘この歳になっても我が子は我が子である。
手料理を食べさせたい気持ちが働くのだろう。

勝手な理屈だが、独身であり続けることは一種の親孝行なのかも知れない’

結局その日は、母親の料理で夕飯を済ませることにした。
サバの味噌煮、カキフライなど、自分の好物がテーブルに並ぶ。
それらをつまみに母と息子は、ビールを飲みながら世間話で時を埋める努力をしたが、会話はそう長くは続かなかった。

間を繕う様に
「岬さん、今頃どうしてるのかしらね?」
と聞いてきた。

母は岬を気に入っていた。
心の中では今も、‘岬が俺の嫁さんであったら良かったのに’と思っているのに違いない。

「人伝だけど、元気にしてるらしい」
それ以外答えようがなかった。

会話が途切れ途切れになったのを頃合いに、
「少し疲れた」と言って、自室に引き上げた。

 自室のベッドに横たわると、岬のことが脳裏に浮かんできた。
彼女には財務省の勉強会の前に聞いておかなければならないことがある。

勉強会では岬の夫が何等かの言いがかりをつけてくるに違いない。
それに備えて置く必要がある。

枕の横に置いてあるスマホを手にした。

「こんばんわ、寒いわね」
少し声が明るい。

「元気か?」

「ええ、このところ松本も寒波で大分冷え込んだけど、大丈夫。
了は?」

「ああ、今、実家でのんびりしてるよ。

いつもながら、お袋が岬のことに触れてくるけど。
それが結構、辛い。

岬のことを気に入ってたから仕方ないけど」
そう言ってから、‘拙い’と思った。

かつてだったら岬にとって嬉しい話に違いないが、今となっては後悔を深めてしまう言葉に過ぎない。

少し会話が途絶えたが、
「機会があったら、またお母様にお会いしたいわ」
と落ち着いた声が返ってきた。

「そうだな、そんな日が来ると良い。
ところで、例の財務省の勉強会が1月の中下旬に行われることになった。
そこで、岬に聞いておきたいことがある。
坂本さんとの間に‘本当は何があったのか’を教えてくれないか?」

躊躇いもあるのだろうか、少し間が空いたが、
凛とした声が返ってきた。

「了も薄々は感じてるでしょうけど、夫と貴方とは真逆の性格とでも言えば良いのかしら、あるいは陰と陽かも。

了がニューヨークのテレビ番組に出演していたときの事は、以前に話したわよね。
あの時、夫は了が私の元の恋人だったことに気付いたと思う。

その後、夫との諍いごとがあったときのこと、‘彼だったら、そんな言い方をしないわ’って言ってしまったの。

軽率だった。

‘彼って、あいつのことか?’って聞いてきた。
私は否定も肯定もしなかったの。

もう夫婦関係に疲れてたから、あの時はどうでも良かった。

それが今の了に結びつくなんて、考えてもみなかったわ。
ごめんなさい、本当に・・・」

そこまで話すのがやっとの様子である。

「もう、それ以上は話さなくて良い。辛かったな。
俺の方は大丈夫だ。

多分勉強会の当日、何かを仕掛けてくるだろうが、心配いらない。
だからもう泣くな。

今日は伯父さんの処へでも行って、旨い酒でも飲んでこい」

岬の伯父は松本で‘縣倶楽部’という割烹を営む。

まだ嗚咽している様だが、
「分かったわ、行ってくる。
お店、年内は今日が最後らしいから、残りものの整理に丁度良いわね」
少し元気を取り戻した様だ。

「そうだ、それが良い。
それじゃ、伯父さんに‘良いお年を’と伝えておいてくれ。
おやすみ」

「おやすみなさい、風邪、引かない様にね」

 電話を切ると、自室の窓を全開した。
12月末の外気は冷たいが、気持ちが良い。

これで岬の夫と戦う準備ができた。

部屋の隅にパタゴニアのキャリーバッグが置いてある。
衣類、PC、ラフロイグのボトル、ショットグラス、BOSEのSound Link MINIなど、数日間の滞在に必要なすべてが入っている。

ラフロイグをグラスになみなみと注ぐと、ipodとSound Link MINIをBluetooth接続した。

BGMにはPat Methenyの’One Quiet Night‘を選んだ。

男っぽいギターの音色がラフロイグに妙に合う。

(つづく)

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。