第24回 「甦った相場感」

週初(13日)の東京、ドル円は3円台(113円台)後半で保ち合った後、海外で3円25まで下落した。

それでも前の週に4円15で作ったショート50本(5000万ドル)を利食わずに、キープしてある。

3円を割り込めば、根っこのポジションになる可能性があるからだ。

翌日(14日)の東京も前日と同じようなレベルで寄り付いた。
予想外に3円近辺が底堅い。

ここを割り込めば、間違いなく面白い相場になるはずだが、そう簡単には行きそうにない。
この日も事務仕事をこなしながら、ときおり山下等のサポートに回った。

4時過ぎ、東城から電話があった。
ドル円が3円60程度で膠着しているのを見計らっての呼び出しである。

 断りを入れから執務室のドアを開けると、皇居の森を眺めている東城の後ろ姿があった。
相変わらず背筋が伸びていて、53歳の年齢を感じさせない。

「まあ、座れ」と言いながら、自身もソファーの方に歩み寄ってきた。

「ドル円の感覚が戻ってきた様だな」

「はい、本部長の先日のアドヴァイスのお蔭で。

もっとも、追加のショートを作れなくて逡巡しています。
どこかで、50本売り増しておきたいのですが・・・。

勝負所ならここで売っても、もう少し上で売っても同じですが、その辺りの決断の鈍さがあります。

まだ本調子でない証拠でしょうか?」

「そうだな。
1.18台からのユーロドルのショートが上手く回転し出したときは流石と思ったが、結局は1.15台止まりだった。

利益は出ているが、まぁ、絶好調ではなさそうだな。
でも、どこかで踏ん切りを付けないと、良い時期を逃すかもな」
‘さり気なく話しているが、アドヴァイスの様だ’

「そうですね。
ちょっと済みません、一分電話をさせて下さい」
と断って、直ぐにスマホで山下を呼び出した。

「山下です。
今、東城さんの部屋ですよね。
何か?」

「場はどうだ?」

「丁度今、75 がtakenされたところで、少しビッド気味です」

「分かった。
80で50本のリーブを頼む。
それと‘俺が動き出したこと’を客に仄めかす様に浅沼に伝えてくれ」

「了解です」

「済みませんでした」
話を遮ったことを東城に詫びた。

「俺の話でスイッチが入ったのか?」
東城が言う。
嬉しそうな顔だ。

「はい、勝負に出ます」

「ところで、さっきMOFの国際金融局長から電話があった。
勉強会の講師依頼を断ったそうだな。

主計からの依頼ごとで、何とかお前に頼めないかとのことだ。
何か断った理由はあるのか?」

「わざわざ竹中さんが本部長に電話をしてきたのですか?
それは参りましたね。
本件の依頼元が岬のご主人らしいので、万が一のことを考えて断りました」

「そうか。
その辺りが絡むとなると、ここで話す様な内容じゃなさそうだな。

たまには、一杯やるか。
そろそろ鍋の季節だな。

新橋の‘末げん’で良いか?」
‘末げん’は三島由紀夫が最後の晩餐をとったことでも知られる鳥料理を中心とした新橋の割烹料理屋で、今でも著名人が通う老舗である。

「‘末げん’の鳥鍋と熱燗の組合せですか、この季節、最高ですね。
今晩でしょうか?」

「いや、今週は木曜日以外は難しい。
それで良いか?」

「はい、大丈夫です」

「お前もあの時以降、苦労が絶えないな」
あの時とは、田村の仕掛けた罠に嵌り、1日で1億以上の損失を出した日のことである。

確かにあのことがなければ、恐らく岬と結婚していたはずだ。
だがそれを悔いても仕方がない。

「ええ、プラザ合意*前夜のレート(240円台)で作ったドルロングを抱えてる様なものですね。

もっとも、プラザ合意当時の僕はまだ洟垂れ小僧で為替の‘か’の字も知りませんでしたが」

「でも、今では世界で屈指の為替ディーラーじゃないか。

今年もインターナショナル・マネー・ウォッチャーズ誌でナンバー2に選ばれてる。
大したもんだ」
部下の成長を素直に喜んでくれているのが嬉しい。

「本部長のお陰です。
それじゃ、木曜の晩、楽しみにしています」
部屋を辞しながら頭を下げると、東城はいつも通り右手を少し挙げて微笑んだ。

 席に戻るなり、
「80、出来てます」
と山下が言う。

「了解。
やはり、4円はもう覗けないか。
今週中に3円割れは間違いないな」

「大分、力が入ってきましたね。
僕も80でショートを振ってみました」
嬉しそうだ。

「ああ、良いポジションになる。
お前も、がつがつ利食わないで少し我慢してキープしておけ」

「がつがつはないでしょう、課長。
利食い千人力ですから、多少手仕舞いが早いだけですよ」
二人の笑声がディーリング・ルームに響き渡った。

 翌日(水曜日)の海外でドル円は113円を割り込み2円前半まで沈んだが、翌日には再び3円台へと反発してきた。

だが、50(3円50)がtaken されなければ、もう一段下がある。
ここは踏ん張りどころだ。
‘我慢しよう’

 木曜の夜、約束の7時前に‘末げん’着いたが、既に東城は部屋で待っていた。

「お疲れ様。
熱燗は注文しておいたが、あとは面倒なのでお任せにした。
場はどうだ?」

「3円前半ですが、昨日の高値3円49を付けなければ、また下がると思います。
念のために、4円があれば電話を貰うことにしてありますが」

「そうか。
どこまで下がると思ってるんだ?」

「目先は1円後半(111円後半)ですが、その先は10円前半もあり得ると考えてます。
でも、2円直前は今日のニューヨークで50本買っておこうと思います。
ショートの利食いに当てるかどうかは、来週の展開を見てからにしますが」

相場の話や世間話をしながら徳利を4本空けたところで、
話はMOFの勉強会の件に移った。

一連の経緯を話し終えると、
「なるほど、お前と岬君の懸念が当ってるかもな。
お前が講師の依頼を断ったのも無理がないってとこか」
と頷きながら東城が言う。

「委員会ならともかく、有志の勉強会の講師役にそこまで固執するのは理解できません。

局長クラスを動かせる人物だとすれば、彼女の夫は相当将来を嘱望されてるってことですかね」

「そうなるかな。

いずれにしても、講師を引き受けたところでお前のプラスになることは一つもない。

気を付けるに越したことはないから、この話、断っておくよ」
東城は平然と言い放った。

だが、国際金融局長からの直々の依頼である。
断れば、銀行のマイナスになりかねないことを東城は承知しているはずだ。

「東城さん、もう少し考えさせて下さい。

国家予算を編成する部署で嘱望されている人物であれば、かなり上の人物ともつながりがあるはずです。

受けて立つしかないのかも知れませんね」

「まあ、あまり無理をするな」
部下を気遣う気持ちが東城の顔に滲む。

それから暫く酒と鳥料理を楽しんだ後、二人は新橋駅前で別れた。

 ドル円は週末のニューヨークで111円94銭まで下落した後、112円15近辺で週を終えた。

 土曜の午後、国際金融新聞の木村にメールを送った。
月曜朝刊の‘今週の為替相場予測’用の原稿である。

「引き続きドルの下値を試す展開を予測する。
テクニカル・ポイントの多い111円台後半を破れば、110円台前半もありえるか。
但し、111円台後半で下げ渋る様であれば、113円台後半までの反発も。
予想レンジは110円~113円80銭」

IBT国際金融本部外国為替課長:仙崎了

行間の埋め草は木村が書く。
それが原稿を引き受けた際の条件である。
時折り意にそぐわない埋め草が書かれていることもあるが、意図が伝われば良い。

(つづく)


*プラザ合意(1985年9月22日):1980年代前半、当時のレーガン米大統領の経済政策が失敗に終わり、米経常収支は史上最悪の赤字を記録した。

これを是正すべく、米政権は日独など対米黒字国の中央銀行総裁・蔵相を呼びつけ、ドル高是正合意を結ばせた。

これがドル円相場の分水嶺となる。
合意名は会議が開かれたセントラルパーク・サウスに位置するプラザホテルの名に因む。

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。