第49回 「久々のTV出演」

テレビの経済番組に出演するのは久々のことである。
昨年の今頃までニューヨークのテレビ局の経済番組に出演していたが、それ以来のことだ。

番組の放送が始まるのは午後11時、とてもやっかいな時間だ。
相場が動いているときは、銀行で市場と向き合っていればいいが、相場が死んでいるときはそうもいかない。

番組出演の初日(7日)の欧州時間、ロンドン市場が休場で銀行に残るほどのこともなさそうな相場付きだった。

‘一旦、社宅に帰って、テレビ局に向かうことにするか’

緊急時の出勤や居残り以外は銀行からタクシー代は支給されないが、帰国後の通勤はタクシーである。

この日も銀行を出ると日比谷通りの反対側に渡り、タクシーを拾って神楽坂の社宅に戻った。

 

社宅の敷地に入ると、何故か自分の部屋の灯りが点いている。

不思議に思いながら、自室のある棟の階段を上がりだすと、そこで母と出くわした。

「あら早いのね、今日は」
時刻は午後7時半である。

「なんだ、母さんか。
部屋に灯りが点いていたので、誰かと思ったよ。

今日から毎週月曜日にテレビ出演するんだけど、番組までに時間があるから、一旦社宅に戻ることにしたんだ。

外で酒を飲んでから生出演するってのも流石に問題があるからな」

「そうなの。
それなら、丁度良かった。

お前の好きな稲荷寿司と簡単なおかずを作っておいたから、それを食べてから出掛けるといいわ」

「本当、そいつは良い。
ありがとう、いつも助かるよ」

「いい加減、お嫁さんを貰ってよ。
こっちはもう歳で、家政婦仕事でこんな遠くまで出かけて来るのも大変だからね。

その後、岬さんとのお付き合いはどうなの?」

‘痛いところを突かれた’

「ああ、だめそうだな」
小さい頃から母には誤魔化しが効かないので、正直に答えた。

「そう、残念ね。
まぁ、こればっかりは縁だから。

ところで、今日はテレビ何時から。
どうせお前の出る番組だから、局はテレビ国際だろうけど」

「ああ、11時からだ」

「そう、でも今日はお前の顔を見ちゃったから、番組を見る必要ないわね。
それじゃ、帰るわ」
微笑みながら言う母の顔は年齢を感じさせながらも、若かった頃の美しい面影を残している。

「気を付けてな・・・。

週末には永田に帰るから、中華街に何か旨いものでも食べに行こう」
少し大きな声で言った。

今度の日曜日は母の日である。

‘たまには親孝行もしないとな’

 

麹町のテレビ国際には10時半に着いた。
初日とあって、セキュリティー・ルームの前で若手局員が出迎えてくれ、10階にある経済部の応接室へと案内してくれた。

「時間が来たら、また私がお迎えに上がりますが、その前に中尾が5分程度打ち合わせにくると思います」
と言い残すと、若手局員は部屋から出て行った。

ほどなくして、ノックと同時にドアが開いた。
中尾佐江とアシスタントと見られる中堅の男子局員である。

「お疲れのところ、今日はありがとうございます。
さっそくで恐縮ですが、打ち合わせをさせてください」

番組の打ち合わせ場所を兼ねている応接室のテーブルは少し高い。

男子局員が今日の番組スケジュールをテーブルに広げて、こっちに向けた。
テーマと進行時間が書かれている。

「仙崎さんには、11時20分ぐらいからお話をお伺いする予定です。

今のホットな話題となっている米中貿易摩擦などを私の方で適当に話させて頂きます。

その後、仙崎さんをご紹介させて頂き、FRBの金融政策、それに市場のお話をお聞きしたいと考えておりますが、それで宜しいでしょうか?」
畳み込むように中尾が言う。

「結構です」

「それに仙崎さん、今日は初めてのご出演なので、プロとしての市場の考え方についてお聞かせ願えればと・・・」
こっちの出方を窺う様に言葉を切った。

「構いませんが、市場の機微を語ると長くなるので、大凡でということであれば・・・」
こっちも、言葉を切った。

「ええ、それでもちろん結構です。
それでは、本日は宜しくお願い致します」
言い残すと、素早くドアの方へと歩き出した。
その後を男子局員が追う。

‘小池都知事も人気経済番組のキャスターを務めていたそうだ。
その頃の彼女、こんな感じだったのだろうか’
高校生の当時、小池百合子の番組を見た記憶がないので、二人を結びつけることはできない。

 

11時5分前になると例の若手局員が応接室にやってきてスタジオのゲスト・コメンテーターの席まで案内してくれた。

11時になると、番組のテーマ音楽が勢いよく流れ出した。
ニューヨークのTV局よりも若干音が大きく聞こえる。

「今日はまず、このニュースからです」という言葉で番組は始まり、米中貿易摩擦問題、米長期金利上昇と新興国利上げなど、主要なテーマが紹介されていく。

予定の11時20分になると、中尾の声のトーンが少し変わった。
「ところで今日は、新たなゲスト・コメンテーターとして、東京国際銀行の仙崎了さんをお招きしております」

一台のカメラが寄ってくるのが分かる。
カメラの先端部にある赤色の光を向けられると、自然とそこに目が向く。
カメラ目線に自然となっていくのが分かる。

少し長い様に思われた紹介も終わり、今年の米金融政策についてのコメントを求められた。

この手合いの質問の答えは簡単である。
有体の答えにプロとしてのコメントを少しだけ付け加えた。

俺のコメントに対して、
「なるほど、流石プロらしいお考えですね」と言って、中尾がほめてきた。

次の質問が難しかった。
「ところで先崎さんは、為替市場でのキャリアがお長いですが、為替ディーラーとして生き残るための秘訣とは何でしょうか?」
時速100マイルのフォーシームを苦手なインサイド高目に投げ込まれてきた感じだ。

‘体を後ろにステップして逃れれば、今度は外角について行けなくなる’

上半身のみをスウェイして、かわした。

「そうですね、短時間で市場の機微まで答えるのは難しいですが、一言で言えば、‘市場のポジションの偏りを把握すること’でしょうか」

「つまり、市場で言うところの逆張りですか?」
案の定、外角のスライダーが投げ込まれてきた。

「むろん、その意味も含みますが、市場参加者の立場によってその捉え方は異なるのかと考えています。

インターバンク・ディーラー、ポジション・テーカー、機関投資家、そして実需筋など、それぞれの立場でポジションの考え方が異なります。

刹那刹那のポジションの偏り、中長期の基礎的需給はどうなのか、という様に」
下半身が浮くのを必死に堪えながら、アームを一杯に伸ばし、少しだけ手首のコックを解いてバットをボールに当てた。

そして間違いなく、右打ちの俺が打ったボールはファーストの頭上を越えて行った。

‘時間が限られた中で語ることのできる、プロとしてのコメントはこれが限界だ’

中尾もそれを察知した様だ。
「なるほど、流石ワールド・ファイナンス誌で常にトップ・ディーラーの座を維持している仙崎さんならではのコメントですね。

仙崎さん、本日はどうもありがとうございました」
打ち合わせでは、自分のコーナーが終わったら退席して良いことになっている。

中尾の
「それでは、ここでトレンド・ビジネスについてのコーナーに移らせて頂きます」
という言葉を聞き終えると、スタジオから出た。

エレベーターに向かう通路の途中で、誰かの呼び止める声が聞こえた。
先刻案内してくれたの若手局員である。

俺に追い着いた彼は、十数枚程度のA4版の一束を渡して寄越した。

「これは今、視聴者から局に送られてきたメールの一部です。
中尾にも渡されているものですが、仙崎さんにお渡しすることは伏せてあります。

凄い評判ですね。
本日はどうもありがとうございました」
彼はそう言い残すと、再びスタジオの方に戻って行った。

‘なぜ、俺に渡すことを伏せておくのだろうか’

正面玄関の車寄せには数台のハイヤーが待っていた。
局員から告げられたナンバーのハイヤーを見つけると、‘東京国際銀行の仙崎ですが’と告げて乗り込んだ。

神楽坂の社宅までは僅かの距離だが、手持無沙汰に先刻渡された紙の束に目をやった。

・・・先崎さんの様な方がコメンテーターになることを待ち望んでいました・・・
・・・流石に市場のど真ん中にいる人のコメントは迫力がある。彼にもっと市場のことを語らせる時間を与えてほしい・・・

どのメールにもそんな内容のことが書かれたいた。

‘なるほどね。
今はそんな時代なのか’

 

その日以降、ドル円相場は強含みに推移し、木曜日(10日)には10円02(110円02銭)まで上昇した後、9円40で週を終えた。

市場から北朝鮮絡みの地政学的リスクという言葉が忘れ去られ、「WTIの上昇が米物価上昇期待を煽り、その結果FEDが利上げを加速させる」といった観測が今はドル買いの軸になっている。

‘そう簡単に行くのだろうか’

 

土曜の晩、ラフロイグを注いだグラスを片手に国際金融新聞の木村にメールを送った。

木村様

110円台でうちが預かっているドル売り、ほとんど捌けていません。

こんな状況は知らない方が良いのか、知っていた方が良いのか。

不思議なことに、一つのオーダーが外れると、それを見ていた様に、別のオーダーも外れて行くことがあり、気を付けたいところです。

そんなことを思いながらも、まだドル・ショートで頑張ってますが(笑)。

来週の予想レンジ:107円50銭~110円20銭。

 

IBT国際金融本部外国為替課長 仙崎了

 

(つづく)

 

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。