第二巻 第17回 「逆転」

週初月曜(10日)の早朝、東城の執務室に出向いた。

先週のうちにメールでニューヨークでの調査結果は報告済みだったが、改めて口頭で説明するためである。

「出張、ご苦労だったな。
先週のメールで、横尾君の行為に悪意があったことは承知した。

ただ、お前のディールがいたずらに市場を混乱させたことで、MOF(財務省)から注意・勧告を受けたことが、懲罰に値するかどうかが今回の会議の目的だ。

確かにその切っ掛けを作ったのは横尾君だが、それで多少、場が荒れたのも事実だ」

「仰る通りです。
従って、会議では受け入れるべきところは受け入れるつもりです。

しかしながら、これを機会により深いところに切り込んでいけたらとも考えています。

つまり、この会議を本部内にある軋轢の除去や不逞の輩を排斥する切っ掛けにしいたい、そう考えているのですが、如何でしょうか?」

東城はソファーから立ち上がり、日比谷通りに面した窓際に歩き出した。
皇居の森を眺めるためだ。
深く物事を考えるときの彼の習慣である。

暫くすると、振り返り、落ち着いた低い声で語り始めた。
「曇天の下の皇居の森はどこか師走を感じさせるな。
平成最後の年の瀬か・・・。

そこに何の意味もないが、これを機に本部内も整理を付けるときが来たってことか。
お前がやりたい様にやれば良い。

ただ、お前には国際金融本部に残ってほしいと思っている。
お前が辞めるのは、本部だけでなく、我が行の将来にとってマイナスだ。

将来はお前が本部の核となり、そして銀行を担って行ってほしい。
そう思ってるのは俺だけじゃない」

既に俺が辞める決意を固めているのを知っていての東城の言葉だ。
「本部長、身に余るお言葉、ありがたく存じます。
私の進退については、考えさせていただきます」
この場では、そう応える以外になかった。

 

‘辞める辞めないは兎も角、眼前に懲罰会議が控えている。
戦うしかないな‘

 

懲罰会議は木曜の午後3時に始まった。
出席者は嶺常務、島人事部長(人事担当役員)、松岡コンプライアンス室長、田村部長、東城本部長、そして俺である。

会議は島人事部長によって仕切られた。

「本件の対象者は仙崎君、それに監督責任の観点から東城本部長です。

本会議は‘仙崎君のディーリングに問題があり、その件でMOFから注意を受けた’点について、その事実関係の確認とそれが処分対象になるかどうかを議論することを目的としています。

まず、田村部長にお伺いします。
田村部長、あなたは本件をMOFからの聴取で確認したとのことですが、それに相違ないですか?」

「相違ありません」
毅然として田村が答える。

「では、MOFのどなたにそれを確認したのですか?」

「守秘義務があるため、お答えできません」
少し田村の目線が島から外れた様に見えた。

「そうですか、それではMOFの外国為替市場課内の誰かですか?」
島の追求は結構厳しい。

「そう受け止めて頂いて結構です」

「相違ないですか?」

「はい」

「そうですか、そうなるとコンプライアンス室長の松岡さんに調べて頂いたこととは少し話が違うのですが・・・。
田村部長、相違ないということで宜しいですね?」
念を押す様に島が言った。

「まさか彼が嘘を言うとは思いませんので・・・」

「実はですね、田村さん。

松岡さんがMOFの外国為替市場課長の山上さんに話を聞いたところ、仙崎君と会ったことは課内の誰にも話していないそうです。

そして、山上さんが仙崎君と会った理由は単に‘市場動向を聞くため’だったということです。

これについてのご意見は?」
鋭く、島が迫った。

 

‘俺が窮地に立てされていることを知った山上の計らいだ’

 

「仮にそうだったとしても、仙崎のディーリングの痕跡と市場の値動きを見れば、場を荒らしたことは歴然としています。

IBTの外国為替課長の立場である人間がとるべき行動ではないと思えますが」
田村が辛うじて応えた。

旗色の悪くなった田村の姿を見ても、嶺は素知らぬ顔で窓の外を眺めているだけだった。

「そうですね、確かに市場を混乱させる様な行動は慎むべきことかも知れません。

ただ、田村さん、あなたの本件の訴えは、仙崎君のディーリングに問題があり、それでMOFから注意・勧告を受けた、そのことに対する問題意識からですよね。

つまり、一つ間違えば、行政処分にもなりかねない仙崎君の行為、これを罰しろというものじゃなかったんですか?」

田村は「はあ」とだけ発するのがやっとだった。

そんな情けない田村の姿を見た島は、彼に助け船を出した。
「仙崎君、君がMOFから注意・勧告を受けた事実はないことが明白になりました。

ただ、田村部長の言う様に、市場を混乱させる様な行動は慎むべきかもしれませんね。

もっとも、君には大きなバジェットが課せられている。
外野席からは分からない事情もあるのでしょう。
その点は十分に理解しています。

ということで、田村部長、あなたが発議した議案について、‘不問にする’という結論で宜しいでしょうか?」

田村は暫く考え込んでいたが、
やがて「はい、結構です」と力のない声で言った。

「それでは、本日の懲罰会議はお開きに致しますが、他に何かご意見は?」

ここぞとばかり、俺は言葉を発した。
「島部長、私の方からハラスメント行為並びに情報の社外漏洩に関する疑いで、行内の然るべき会議に諮って頂きたい件があります。

本日の議案と関係することでもあり、コンプライアンス室長を中心にご検討頂ければと存じます」

「ほう、例えばどんなことですか?」

「ニューヨーク支店の現地行員の自殺に関する件、私のディールが外に漏れていた件などです。

それと思しき事柄を一覧にしておきました。

ちなみに、関連の書類並びにDiscをここに用意してあります。

調査、お願いできますでしょうか?」

「松岡部長、如何でしょう?」
突然の依頼に、戸惑いを覚えた島が松岡に尋ねた。

「仙崎君ほどの人物からの依頼とあっては、調べない訳にはいかないでしょう。
一式、こっちで預からせてもらいしょうか。

内容の真偽に当たりを付けて、必要とあれば、それなりに対処させて頂きます。

島部長、ということで、本日はそろそろ」

「それでは、本日の懲罰会議は終了と致します」

 

会議が終わると、真っ先にMOFの山上に電話を入れた。

「山上さん、うちのコンプライアンス部長からの調査に対して柔軟なご回答を頂き、ありがとうございました」

「ああ、例の件ですか。

先日、東城さんがうちを訪ねて来ましてね。
‘仙崎を救いたい’と頭を下げられました。

私は東城さんから為替市場のことをすべて教わった様なもので、今こうして私があるのもあの人のお陰です。

元々電話で済む話だったにも関わらず、仙崎さんをここにお呼び立てしたことが切っ掛けで、ご迷惑をお掛けしてしまいました。

申し訳ございません。

いずれにしても、礼を言うなら、私より東城さんに言った方が良い」

「そうでしたか。

それじゃ、これから東城の部屋に行ってきます。

ありがとうございました」

 

「仙崎です。
入っても宜しいでしょうか?」

「おう、入れ」
落ち着いた低い声がドア越しに届いた。

ドアを開けるなり、
「ありがとうございました」と、深々と頭を下げながら言った。

「何の件だ?」

「MOFの山上さんからお聞きしました。

本部長が山上さんをお訪ねになったことを」

「おしゃべりめが」
苦笑いを浮かべて言いながら、「明日の晩、寿司でも食いに行くか?」と続けた。

「良いアイディアですね、喜んで。
それでは、失礼致します」と言うが早いか、ドアに向かって踵を返した。

「なんだ、もう帰るのか?」
残念そうな声を背中で聞いた。

「ええ、少しは仕事をしないと拙いですから」
振り向かずにそう応えた。

 

週初に112円25銭まで下落したドル円はこの日(木曜)の海外で113円71銭まで跳ねた。

イタリア予算案の不透明感や独仏の政局混迷が燻る中、ECBが2019年のインフレ見通しを下方修正したことを受けて、ユーロが売られ、ドルが買われた。

ドル円相場もその反動でややドル高に振れたのだ。

ただ、113円台後半ではドルの上値が重たく、週末には113円21銭まで下落した。

国際金融新聞の木村へのドル円相場予測は最近、沖田に任せ放しだ。

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・114円台でのドルの上値は重たい。
・揉み合いが続くが、依然としてドルの下方リスクが高い。

来週の予測レンジ:111円80銭~114円20銭

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こんな相場観と適当なコメントを付けて、メールを送ったという。

 

土曜日の晩、BGMにBill Evansの名盤 ‘You Must Believe in Spring’をBoseのミュージック・システムに滑り込ませた。

 

‘俺にもまた春は来るのかな’

 

ラフロイグを注いだグラスを片手に、過ぎゆく時を感じながら、ニューヨークを想った。

少し心がセンチメンタルになりかけたころ、スマホが鳴った。

志保からだった。

「来週、そっちに行くわ。
待ってて!」

 

‘そう言えば、マイクが20日頃にプレゼントを届けるって言ってたな’

 

「ああ、楽しみにしてるよ。

気を付けてな!」

トラックは‘We will meet again’に移っていた。

 

(つづく)

 

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。