第25回 「勝負のとき」

週初(20日)のオセアニア市場でドル円の下値を試す展開となったが、11円90(111円90銭)までだった。

先週末に予測した通り、テクニカル・ポイントの多い11円台後半は簡単に崩し切れない様だ。

東京では12円台前半で保ち合ったが、その日のニューヨークで12円71まで跳ねた。

9年ぶりの米2年債利回りの上昇が要因である。

だが、翌日(21日)になっても積極的なドル買いは見られない。

相場は12円台後半で膠着した。

木曜日(23日)に日米共に祝日を控えているとは言え、ドル買いに動意が見られない。
‘やはり頭が重い’

14円15でショート50本、13円80でショート50本、それに12円05で暫定の買い50本が現在のドル円のポジションである。

‘買い50本はやはり、上の利食いに当てるのはもったいないな’

客足の途絶えた昼前、
「山下、どう思う?」
と尋ねた。

「ええ、上値が重たそうですね。
下でまだコツンと当たった印象がありませんし、まだ下値を試すと思います」
‘山下が上下の感触を大切にする様になってきたのが嬉しい’

「そうだな、まだ下が正解だな。
俺は100本売る。
50本は下の買いの利食い、残りの50本はショートの積み上げにする」

「勝負に出るつもりですね」

「下にモメンタムが付いている相場で下値が確認できてなければ、売るしかないだろ。

ただこのところ、マイクのファンドと彼の顧客が日本株の為替ヘッジで円売りドル買いに動いていた。

厚みのない市場で、今百数十本売ると、一挙にドルが下がってしまう可能性がある。
義理を欠くと拙いので、先にあいつに連絡を入れておく。

お前は今、売って構わないぞ」

「了解しました。
それじゃ、ここで20本だけ売っておきます」

「そうだな。
それが良い」
と部下を鼓舞する様に言った。

そして直ぐに、マイクが仕事で使っているmobileにメールを入れた。
‘I’m still bearish.
So, I’ll sell 100 bucks just before LDN comes in’

すぐさま、
‘Gotcha!
I’ll go with u.
Thanks’
と返事が返ってきた。

「山下、マイクとスイスのファンドも3時頃から売りに出る」
マイクが運営するファンドにはスイスからの資金も入っている。

「そうですか。
それは心強いですね」

「3時頃に50(12円50)が売りになったところで、東京で50本、ロンドンで50本、売り捌いておいてくれ。

3時から営業部を交えての会議があるから、頼む」
50givenが勝負処である。

「50がgivenしない場合(売りにならない場合)はどうします?」

「given する」
言い切った。

「了解です」

2時間後、会議から戻ると、
「50で50本、49で50本売れました」
と山下が言う。
‘間違いなく、今週中に11円台後半は崩れる’

 
 
 ドル円はその日のニューヨークでは12円17で下げ止まったが、翌日には11円14、そして日米が祝日の23日に11円07まで下落した。

ドル下落の呼び水は22日のイエレンによる「早過ぎる引締めはインフレ率を2%未満に留めかねない」との発言だった。

そしてその後を押したのがニューヨークの朝方に公表された10月分のFOMC議事録である。

議事録で‘中期的に物価の低迷が継続するリスク’を指摘するメンバーが予想外に多かったことが判明したからだ。

ドルの軟調地合いが続くなか、FEDサイドからの二つの大きな発信は格好のドルの下押し材料である。
 
 
 日米の祝日と週末に挟まれた金曜日の東京は、11円前半で模様眺めの展開となった。

そんななか、息抜きに社食にコーヒーを飲みに行くと、バックオフィスを仕切る山根が窓際で休憩をとっていた。

キッチンカウンターからコーヒーを受け取ると、
山根の座るテーブルに近づき、
「ここ、座っても良いですか?」
と声をかけた。

「あら、仙崎君。
良いに決まってるじゃない。
あんたにそう言われて断る女はいないって。
マーケット、暇なの?」
明るい声である。

「あっちもこっちも祝日と週末の狭間で、そんな感じですね。
山根さんは?」

「そうね、暇って言えば暇だけど、やることは山ほどあるわ。
世界から金融市場がなくならない限り、こっちの仕事はエンドレスってとこかしら。
それに仙崎君が戻ってから為替の連中のディール件数が急に増えたのも問題ね」

「済みません」

「ごめん、変な意味はないわ。
どんどん頑張って稼いで。
こっちもボーナス増えるから。

ところで先日、田村から‘仙崎はなかなか結婚しない様だけど、彼女はいなのか?’って聞かれたけど、突然変よね」
山根は田村のことを陰では呼び捨てにするほど嫌っている。

「それで、山根さんは何て答えたんですか?」

「‘あんたと違って、仙崎君はモテて困ってる様だし、心配には及ばない’って言っておいたわ」

「そうですか、何で田村さんがそんなことを山根さんに聞いたのかな?」
と怪訝そうな面持ちで言葉を返したが、少し岬の夫と田村との関係が気になる。
‘だとすれば、東大法学部つながりということか’

時間に追われてるわけではないが、腕時計を見ながら「そろそろ戻らないと、山下に叱れるので」と言って、椅子から立ち上がった。

「オバサンに付き合ってくれてありがとう。
仕事、頑張って!」
笑みを浮かべながら言う。

「はい」と言い残して、その場を後にした。

 
 

 ディーリングルームに戻ると、皇居の森を眺める田村の後ろ姿が目に入った。
身長が低く少し猫背のせいか、少しうらぶれた感じがする。
背筋が通り、凛とした東城の後ろ姿とは比べ物にならない。

「晴れて向こうがスッキリ見えますね」
少し探りを入れるつもりで、田村に声をかけた。

「おう、お前か。
今日みたいな天気だと、ここからの眺めは最高だな。
最近、ディーリングの調子が良い様だが、まだドルは落ちそうか?」

「そうですね。
大分ドルの上を攻めた後ですからね」

「そうか、まぁ、しっかり稼いでくれ」

「はい、そのつもりです。
ところで部長は、大学時代に何かクラブに所属してらしたんですか?」
突拍子もない質問だが、思い切って聞いてみた。

「予算策定研究会っていうところに入っていた。
企業予算や国家予算のあり方を研究するクラブだが、今じゃ何の役にも立ってないな」
少し機嫌の良いせいか、あっさりと言う。

「でも上に行けば、役立ちそうじゃないですか」
もはや彼に上の目はないのは分かっているが、お世辞100%で言った。

「それもそうだな。
じゃ、嶺常務の後でも狙ってみるか」
嬉しそうに言いながら、自席へと踵を返した。

‘東大の研究会つながりかもな’

 
 

 ドル円は海外でも模様眺めの展開に終わり、11円半ばで引けた。
来週は10円割れもありそうな雲行きだが、11円02(111円02銭)次第である。
ここが抜ければ、面白い展開になりそうだ。

ユーロドルは独連立政権樹立に向けての期待の高まりで1.19台まで上昇して引けた。

‘総体的にドルが弱い。弱い通貨には弱気材料が付き、買い材料も無視される’ってとこか。

 
 
土曜の晩、ラフロイグを飲みながら国際金融新聞の木村宛てのメールを書いた。
いつもながらのドル円予測である。

***
木村様

来週のドル円は引き続き下値テストの展開を予測します。

ただ、11円02(107円32銭→114円73銭、50%)が抜けない場合は、一旦プルバックする可能性があります。

予測レンジ:109円80銭~112円80銭

行間の埋め草は適当にお願いします。

IBT国際金融本部外国為替課長:仙崎了

なお、以下のこと、プライベートでお調べ願えますでしょうか。

東大の予算策定研究会に所属していた43歳前後の財務官僚名(法学部出身者のみ)。
***
 
 
直ぐに木村から返信があった。

仙崎様

相場予測、いつもありがとうございます。

プライベートの件、了解しました。

分かり次第ご連絡致します。

国際金融新聞 木村
 
 
この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。