第51回 「岬の決意」

「俄かロングがこの先も踏み止まれるかどうかに疑問があります。

10円台(110円台)の売りを飲み込みながら買っているので、彼らも苦しいはずです。
12円を見る前に一旦落ちても不思議ではないですね。

予想レンジは108円65銭~111円90銭です」

と今週の相場予測を伝えた。

今週の相場は正にそんな展開となった。

週初(21日、月曜)こそ、ドル円は111円39銭を付けたものの、翌日(火曜)から上値が切り下がり出したのだ。

トランプ米大統領による米朝首脳会談の延期示唆や‘輸入車に25%の関税を賦課する’という示唆がドル売り円買いを誘発し、俄かロングの落としを誘ったのだ。

水曜に心理的節目の110円を割り込むと、木曜には一挙に108円96銭まで下落した。

そんなドル円相場も、週末(金曜)のトランプ米大統領による「今後の(米朝)首脳会談は6月12日に開催される可能性すらある」という発言で、地政学的リスクが後退し、下げ止まった。

だが、米10年債イールドは3%を割り込んだままで、軟調なドルの地合いは変わらず、結局109円40銭前後で週を跨いだ。

111円20銭と30銭で振った都合100本のドルショートは上手く機能した。

109円台前半で50本は利食ったが、残り50本はキープしたままである。

ユーロドルは1.16台へと沈み、先週からキープしている1.1975のユーロドル50本のショートも相当に利が乗っている。

金曜のニューヨーク市場を見届けた後、月曜は休むことを決めた。

土曜日の午前中、国際金融新聞の木村にメールを送った。

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木村様

来週は揉み合う展開と見ますが、バイアスはドルの下方リスク。

再び110円台に乗る様であれば、111円を覗く可能性もありますが、そこからは上値は重たいと予測します。

下値圏では108円65銭が肝で、ここが抜ければ、107円台前半も。

予想レンジ:107円25銭~110円80銭

簡単で申し訳ありません。

IBT国際金融本部外国為替課長 仙崎了

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木村にメールを送った後、沖田に電話を入れた。

「来週の月曜、休むが、いいか?」

「はい、問題ありません。
今週はたっぷり稼いだ様ですから、存分にロッド(竿)を振ってきてください」

‘俺がフライフィッシングに出かけると思ってるらしいが、今回は無理だろうな’

「ありがとう。
それじゃ、休むことにする。
時折、電波が届かない処にいるかもしれないから、その時はお前に一任だ」

「ええ、今週の課長の稼ぎ、全部飛ばすかも知れませんけど」

「お前なら、そんなことはないと信じてるよ。

一応、ドル円50本の利食いは、10円10銭(110円10銭)takenで入れておいてくるれか。
Minimum profit だが、無いよりましだ。

そこが抜けなければ、放っておいてくれ。

ユーロドルもそのままでいい」

神楽坂の社宅を出たときには、既に11時を回っていた。

車は早朝に四ツ谷のトヨタレンタカーで調達してきたプラドである。
関越道・長野道を一気にプラドを駈り、更埴ジャンクションで松本方面へと向かった。

快晴の下、高速をひた走るのは気持ちが良い。
途中、横川SAのタリーズでコーヒーを飲みながら休憩しただけだが、全く眠くならない。

‘最高のドライブ日和だ’

安曇野インターに差し掛かると右手の遠方にまだ雪を残す北アルプスの連山が眩しい。

ふと、Yoshiko Kishino の アルバム 「face」が聴きたくなった。
トラックに‘凛嶺(rinrei)’が入っているからだ。

木住野はこの楽曲を‘雄大で凛とした立山連峰をイメージして作った’という。

かつて岬と付き合っていた頃、‘松本市街から北アルプスを見ると、勇気が湧いていくるの’と彼女が語ったことがあった。

‘凛嶺’のメロディーが岬の言葉と重なって流れる。

‘無性に当時が懐かしい。
もう時間は取り戻せないのか。

9年前に、田村の罠に嵌まり、ディールで1億円のロスを出した。
そのことがきっかけとなって、‘強く握っていた’はずの岬の手を放してしまったことが悔やまれる’

そんな後悔の念が脳裏を強く叩き出したところで、プラドは松本インターに着いた。

インターから20分程のところに宿泊予定のホテル・ブエナビスタがある。
岬と初めて結ばれたホテルだ。

チェックインを済ますと、客室係が12階にあるエグゼプティヴ・ゲストルームへと案内してくれた。

係が部屋を出ていくと、ツインベッドの一つに体を投げ出した。

‘もう何を言われようと、岬の好きにさせておくしかないな。

坂本と結婚した後、岬は長い間苦しみ続けたきた。
そんな今の彼女にとって、俺と結婚することだけが幸せではない’

そんなことを考えているうちに、寝入ってしまった様である。

大分寝た様な感覚で目覚めたが、この時期の日は長い。
時計に目をやると、6時半である。

一人で所在がなくなり、‘縣倶楽部’へと出向くことにした。
‘縣倶楽部’は岬の伯父が営む小料理屋である。

松本では毎年5月の最終土日にクラフトフェアが‘あがたの森公園’で開催される。

初日のこの日、フェアを目当てに県内外からの観光客やクラフトマニアで街は結構な賑わいだ。

岬が以前、‘松本クラフト・フェアは規模・レベル共に日本一よ’と自慢げに言っていたが、
街の賑わいでそのことが良く分かる。

ホテルを出て20分ほどで‘縣倶楽部’に着いた。

季節の良いこの時期、店の一間引き戸の片側が開いている。
暖簾をくぐる様にして入ると、岬の伯父がカウンターの向こうで忙しそうに動いているのが見えた。

「今晩は」と声を掛ける。

「おっ、了さん、やっと来たか」と岬の伯父が応えてくれた。
待ちわびていてくれた様子が声の調子で分かる。

「空いてますか?」

「岬から了さんが来るかも知れないって聞いていたので大丈夫ですよ」

「久しぶりですね。
今日はフェアの初日で店が混雑していて話相手になれないけど、
旨いものを出すからゆっくりしてってください」

「それじゃ、料理はお任せで、アルコールはビールの後に辛口の冷酒にします」

二杯目の冷酒飲み終えたところで酔いが回った。
話し相手のいない、外での一人酒は酔いが回るのが早い。

早々に店を後にして、ぶらぶらと歩きながらホテルへと戻った。

ホテルの部屋に着いたところで、岬に電話を入れた。

「今、伯父さんの店で飲んできたところだ。

ホテルはブエナビスタにした。
部屋番号は12XXだ。

明日、来られそうか?」

「ええ、フェアの打ち上げの途中で抜けるわ。

多分、8時頃になると思う」

「分かった」

「了は明日の日中、どうするの?」

「気が向いたら、奈川。

そうでなかったら、‘あがたの森’にでも行ってみるよ」

「本当に!

了がクラフトに興味を持ってくれるととっても嬉しいわ」
何故だか本当に嬉しそうな声を返してきた。

「へぇー、そうなのか。

意味が良く分からないけど。

それじゃ、明日の晩、待ってるよ」

「おやすみなさい」

‘俺がクラフトに興味か・・・’

結局、翌日の日曜日は奈川に行かなかった。
プラドを飛ばせば、1時間半ほどで行ける場所だが、体が動かなかった。

昼頃、クラフト・フェア会場の‘あがたの森’へと足を向けた。

確かに人気のフェアの様だ。
誰もいなければ、広々とした公園だろうに、人で埋め尽くされている。

人混みを縫う様に園内をザーッと一回りすると、どっと疲れた。
クラフトを見るどころではない。

やっとの思いで公園の外に出ると、旨いコーヒーを飲みたくなり、気に入っている‘まるも’へと足を向けた。

ここも凄い混みようで、店の外に待ち客が並ぶ。

‘こんな日もあるか’と思いつつ、コーヒーも飲まずにホテルへと戻った。

岬が部屋にやってきたのは8時過ぎだった。

「打ち上げ会、上手く抜けられた様だな」

「ええ、結構な人数に上るので一人ぐらい抜けても分からないの」

「そっか、それは良かった」と言うと、いきなり岬が胸に飛び込んできた。
愛おしさに力を込めて抱きしめた。

息苦しくなったのか、少し俺を後ろへ押しながら「シャワーを浴びてくるね」と言って、バス・ルームへと消えて行った。

30分後、バスローブ姿の岬がベッドで寝転ぶ自分の方に近づいてきた。
少し痩せて見えた。

それを確認する様に抱き寄せると、やはり少し痩せた感触が伝わってくる。

’フェアの準備で忙しかったのだろうか’

二人が結ばれたのは、岬が失踪した冬の奈川以来のことである。

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薄明りの下、
「了、話があるの」と恐々と岬が声を出す。

「この間言ってた、真剣に考えてっるて話のことか?」

「ええ、真剣なの」
少し泣き声である。

‘Head wind(向かい風)のポジションか・・・。
市場の向かい風には慣れているが、この向かい風は手強いな’

(つづく)

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。