第18回 「ミーティング」

―――9月末の最終週にコネティカット・ファーマシーとの取引に疑問が生じた。

急増した取引、膨らむ含み損の背景に何があるのか?

コネティカット社の上層部も事実を知っていれば問題ない。
だが、財務・経理担当者の一存による取引の結果がもたらした含み損であれば、話が拗れる可能性がある。

先方の担当者とコーポレート・ディーラーの安居とが男女の関係にあるとの噂もある。

猶予はならない状況だ。

今回の件はJMIが一方的に理不尽な要求を突き付けてきた問題とは話が違う。

早急に先方の上層部に会う必要がある―――

 週初2日の朝方に公表された日銀短観は大企業製造業のDIが4期連続の改善となったが、為替市場への影響は限定的だった。

ドル円は112円66銭でオープンしたが、動意が薄い。

‘今日は12円後半でのキャッチボール相場になる’と決め込んで、コーポレート・デスクの浅沼をディーリング・ルームに近い会議室に呼んだ。

「どうだった? コネティカットのコンファメーションに不自然な点はなかったか?」

「そうですね。直近のディール分まで全て戻ってきています。代理人届が済んでいるSignatureもあるので、表面上は問題ありません」

「手掛かりはなしか・・・。
ところで、担当者の直属の上司はあっちの人間か?」

「はい、Jason Owen というアメリカ人で、肩書はCFOです」

「自分でコンファメーションにサインしながらも、ここまでの含み損を見過ごしてきたのだから、為替には無頓着なのかな?」

「はい、一度会ったことがありますが、年齢40歳位の誠実そうな人物です。
アカウンティングやファイナンスは詳しい様ですが、為替にはあまり関心がなさそうです」

スラックスのカフは3cm強、靴はプレイントウという出で立ちで、IVY リーグ出身らしい人物像が浮かぶ。
本国に帰れば、ボードメンバーの席が約束されているといったところか。

全米有数の製薬メーカーのボードメンバーに加わるためには、大きなミスは許されないはずだ。
とすれば、今回の問題を解く鍵はその辺りにあるのかもしれない。

「そうか。それで、安居と先方の担当者との関係について、何か分かったか」

「彼女は付き合ってる事実はないときっぱり言ってました。
先方の堂島という担当者が彼女のことを気に入ってしまった様で、気を引くために取引を頻繁に行い、幾度も食事に誘ってきたというのが真相のようです」

不透明な部分もあるが、それ以上考えても下種の勘繰りになるだけだ。

「分かった。
Courtesy Call(表敬訪問)ということで、早速オーエン氏とアポを取ってくれないか。
日時は先方の都合に合わせる。
それと安居をインターバンクに異動、インターバンクの中村をコーポレートに異動。
それで良いか?
丁度期が移ったところで不自然ではないと思うが」

「了解しました。
アポの件、早速手配します」

 オーエンとのアポは4日11時に決まった。

「Nice to meet you, Mr. Owen. 」

「Thank you for coming today, Mr.Senzaki」

「How’s your business going on?」

「Everything’s going well, busy though.
What about yours?」

「The same as usual」

暫く今年のMLBなど世間話をした後、例の話を切り出した。
オーエンは瞬きもせずに話を聞きながら、時折メモを取っている。
一通りの説明をし終えると、少し戸惑いを見せながら語り始めた。

「What I’m gonna tell you is still confidential.
So, can you keep it between us?」

「Sure, I will promise you. Please go ahead.」

「I’m supposed to be transferred to Head Quarter next year.
You know what I mean?」

「You will be promoted, right?」

「Exactly. So, I need your help, Mr. Senzaki.」
ボードメンバー(経営陣)に加わる予定だという。

‘助けを求めている。そうであれば、話は早い’

「How can I help you?」

部下が作った損失だが、自分が管理を怠ったのが悪い。
だから、自分で含み損を取り戻したいという。
為替取引の経験はないが、アドヴァイスしてくれないかと懇願する。

彼の真摯な態度が気に入り、
「Ok, I’ll do all what I can do.」
と言うと、挨拶した時の笑顔に戻った。

もっとも、銀行が’売れとか買え’とかの直接的な指示を顧客に行えば法に触れる。

「コーポレート・デスクの浅沼が私の相場感を伝えるために電話を掛け、そこで貴方が売買の判断をする。
それで良いですか?」 
と提案した。

「Can I do it?」
不安そうに言う。

「I’ll be there for you」
と言うと、’Thank you, Thank you’ と幾度も言いながら、握手を求めてきた。

一応の方針が決まったところで、
オーエンに浅沼に電話を掛ける様、促した。
現在のポジションをすべて手仕舞うためである。

含み損は実現損となった。
これで、前向きなディールを行えることになる。

約4500万円の損失だ。
‘直ぐに取り戻せる金額である’

別れ際、
「Ryo-san, doumo arigato gozaimasita」
と、たどたどしい日本語で礼を言う。

「どう致しまして」
と笑って返した。

 銀行に戻ると直ぐに浅沼を呼び、オーエンとのミーティングの内容を伝えた。

「どうもありがとうございました。
でも、彼に稼がせなければなりませんね」
と心配そうに言う。

「それは問題ない、俺が稼がせる。
浅沼、俺が出かけている間、ドル円はどんな様子だった?」

「実需の買いが入るせいか、50(12円50銭)近辺はそこそこビッドですが、もう少し下がる様な気がします」

「そうか、オーエンに電話を入れて、40近辺でリーブを出させる様に誘導してくれ。
今週はもう、’ドルがそれ程下がらない’というのが俺の見立てだと伝えろ。
ただ、くれぐれも言っておくが、お前からリーブの水準、金額、サイドは一切言うな。
法に触れる。
ここはコーポレート・ディーラーとしてのお前の手腕が問われるところだな」
最後の言葉に笑いを添えた。

暫くすると、浅沼から報告があった。
「40で20本、35で20本のドル買いを置いて来ました」

「そうか。良くやった。
それじゃ、次に80~90で利食いのオーダーを取ってこい」

オーエンに電話を掛けながら、浅沼がこっちに向けて右手の親指を立てた。
‘順調だ’

 その日の3時過ぎ、一連の顛末を東城に報告した。

「お前も苦労が絶えないな。
労い酒と行くか」

「良いですね」

その日の晩、二人で銀座の寿司処‘下田’に出向いた。
‘本当にここの寿司は旨いな’

 週末に公表された米9月の雇用統計では、NFP(非農業部門雇用者数)がかなり悪化したものの、賃金の上昇が確認された。

NFPの悪化はハリケーンの影響がある。
そして市場は賃金上昇だけを捉え、発表直後にドルを買った。

ドル円は直近最高値の13円26銭を抜き、13円43銭を付けた。
だが、‘北朝鮮が長距離ミサイルの試射準備を行っている’との報を受けて、ドルは敢え無く12円61まで反落した。

‘上値が伸びない割に、時間を食い過ぎてる・・・。
そろそろドルの反落に備える必要があるのかもしれないな’

(つづく)

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。