月別アーカイブ: 2017年8月

第12回 「大企業とのトラブル」

週初の21日、東京でのドル円相場は9円(109円)前半で動意薄の展開となったが、海外では米韓同時軍事演習が一時ドル売り円買いを誘った。
だが、先週のドル安値8円61を抜くほどの勢いはなく64止まり、そして翌日(火曜日)の東京は109円前後で寄り付いた。

事件が起きたのはその日の朝方だった。
「えっ、冗談ですよね」とコーポレート・デスクの方から大声が聞こえた。
声の主はヘッドの浅沼だった。
ディーリング用の電話ボードに目をやると、日本海上保険(JMI)のネームだけが点灯していた。
電話ボードには主要な顧客が登録されていて、通話中のカウンター・パーティー(相手)の名が液晶パネルに点灯する仕組みになっている。
会話の内容は分からないが、何か揉めごとが起きたのは荒げた声の様子から推測できる。
浅沼は「すぐにかけ直します」と言い残し、一旦電話を切った。
自分では判断できなかったのだろう。
彼が走る様にしてこっちに向かってきた。
話は呆れ返るほどの内容で、
‘02(109円02銭)で50本ドルを売った取引をキャンセルしてくれ’という。
論外の申し入れである。
「‘一度ダンした取引のキャンセルには応じられない’とだけ答えておけ」と半ば命令口調で浅沼に言った。
先方にそのまま伝え終えた浅沼は再び戻ってくると、
「担当の梶田さんが上司に話してみるとのことです」と情けない声で言う。
「どうせ、あの園部が電話を掛けてくるな」と呟くと、彼も頷いた。

数分後に運用部長の園部が‘課長の仙崎を出せ’と名指しで電話をかけてきた。
‘予想した通りだ’

―――バブル期やそれ以前、大口顧客が証券会社に取引のキャンセルや理不尽な要求を平然と突き付けていたという。
その最たる例がJMIであり、そして当時運用部で株取引を担当していたのが園部だった。
JMIの株取引高は尋常でない金額と回数に上り、理不尽な要求を受け入れても証券会社は手数料で十分採算があったのだ。
園部はその当時の悪癖を今も引きずっている。
もしかしたら、前任者はそんな要求を受け入れていたのかもしれない―――

指名された電話に出ない訳にはいかない。
仕方なしに「仙崎です」と言って受話器を取ると、
「なぜ、キャンセルができない? こっちは買うつもりのところを間違って売ってしまっただけだ」と、挨拶もせずに園部が怒鳴ってきた。
「でしたら御社の間違いですから、反対取引をして頂いて新たなディールをすれば済みますが」と、当然の如く言葉を返した。
「馬鹿言うな。今のレートで反対取引をすれば、うちが損するじゃないか」
スクリーンのレートは25~27を指している。
「それは当行にとっても同じですよ。今うちが御社の申し出を受け入れたら、1250万円ほどの損失が出ます。今回、こちらが何かミスをしたのであれば兎も角、どう考えてもキャンセルは不自然ですよね」
「ほー、超一流ディーラーの君なら、そんな金額、直ぐにでも稼げるんじゃないの」
「そういう問題じゃありませんよ、園部部長。為替の世界はフェアがモットーです。キャンセルは無理ですね」
「おい、随分と偉そうな物言いをするな。IBTとは国際ファイナンスの部署とも巨額の取引があるのは知ってるよな。それにIBT証券ともな。そっちに影響が出ても良いのか?」
「今度は恫喝ですか。お好きな様にして下さい。ちなみに言っておきますが、この会話はすべて録音されてますから、ご承知おき下さい」
「貴様、この俺を脅すのか。若造めが」と捨て台詞を残して電話を切った。
その瞬間、ゴツっと音がした。
どうやら受話器をデスクに叩きつけた様だ。
隣で俺の話しを聞いていた山下が心配そうに、
「大丈夫ですかね。後で他部署からクレームが来る様な気がします」
「ああ、多分来るだろうな」と平然と笑って見せた。
‘少し、言い過ぎたかな’

翌日(水曜日)の5時近く、役員室の秘書から
「嶺常務がお部屋の方に来てくださいとのことです」と電話があった。
「了解しました。直ぐに行きますとお伝えください」と言い、常務室に向かった。
‘どうせ、JMIの件だ’
役員室に着くなり、直ぐに秘書の一人が「こちらにどうぞ」と部屋に案内してくれた。
さっき電話をくれた秘書だろう。
秘書が嶺の部屋のドアをノックしながら、「仙崎さんが来られました」と伝えると、
「どうぞ」の声が低く響く。
「お茶はいらない」と言って秘書を帰すと、いきなり嶺が質問を浴びせてきた。
「昨日君は日本マリンの運用部長とやりあったと聞くが、本当か?」
威圧感のある口調だ。
「やりあったかどうかは知りませんが、確かにうちのコーポレート・デスクに理不尽な依頼があり、それをお断りしたのは事実です。それが何か?」
「‘それが何か’だと、ふざけるな!‘JMIが国際フィナンス関連の取引を見合わせたい’と担当部長に申し入れてきたそうだ。それにIBT証券の証券担当常務にも同様の電話があったそうだ。この始末、どうするつもりだ?」
「それは弱りましたね。でも本件は当行に何の落ち度もなく、彼等の言い分が理不尽だっただけのことです。JMIがそれを理解しないとはとても信じられませんが」
「一体、お前は何を考えてるんだ。100億、否1000億単位のビジネスを失うことになるかも知れんのだぞ」
「常務はそういう理由で、うちが1000万を超える彼等の損失を飲めと言うことですか?」
「ああ、そうだ。今からでも、取引をキャンセルしろと言うことだ」
「お断りします。首を掛けてでも、無理なものは無理と言うしかありません」
「もう下がれ、後で泣きを見ても知らんからな」
「それでは、失礼します」
平然と言って、部屋を辞した。

デスクに戻り、
「流石の俺も‘腑抜けなうちの役員にも愛想が尽きた。悪いが今日はもう仕事をする気にもならない。帰るが、問題ないか?」と、少しため息交じりに山下に言った。
「はい、大丈夫ですが、余程の事があった様ですね」
「ああ、JMIもうちも、上の馬鹿どもは救いようがないな」
「今回は本部長ルートでも解決できそうにないですか」
コーポレート・デスクのヘッドの浅沼がこっちを見ながら、二人のやりとりを聞いている。
彼のせいでもないのに、相当気にしている様子だ。
「そうだな。今回はそういう問題ではない。為替ディーラーとしての俺の意地だ。山下、少し浅沼を気遣ってやってくれ。あいつには何の落ち度もない。理不尽なのはJMIだ」
念のため、東城には事のあらましを一昨日に伝えておいたが、
「気にするな。責任は俺がとる」と言っただけだった。
‘相変わらず、肝が据わっている人だ’

 

木曜日(24日)からワイオミング州のジャクソンホールで恒例の経済シンポジウムが始まった。
主要各国の中銀総裁や研究者が集まり、経済政策等を話し合う恒例行事だ。
ドラギECB総裁、イエレンFRB議長、そして日銀の黒田総裁も出席した。
彼等から何が発信されるか分からないだけに、為替市場も動きづらい展開となった。

週末の金曜日もシンポジウムから発せられる言葉を気にして、為替市場はキャッチ・ボール相場となった。しかしながら、特に為替に影響のある話は出なかった様だ。

FRBも、ECBも、新たな局面を迎えている。不用意な発言で敢えて市場に動揺を与えれば、金融政策の正常化がスムーズに行かなくなる。
特にドラギ総裁が今回のシンポジウムで慎重だったことは想像に難くない。6月27日のECB年次フォーラムで「政策手段のパラメーター調整(金融政策の正常化)で景気回復に対応できる」とした発言がユーロの急騰を招いたからだ。
そうした経緯もあり、市場はドラギ総裁からこのところのユーロ高について牽制発言が飛び出るかを懸念していた。
だが、それが出なかったことで週末のユーロドルは一挙に上昇した。

 

土曜日の午後、何処へも出かける気にもならず、社宅でゆっくり過ごすことにした。
もっとも仕事柄か性分か、自然と頭の中には相場のことが浮かんできてしまう。
ベッドに寝そべっていると、ユーロのことが気になり出した。
市場はユーロに強気の様だが、このまま続騰するほど甘くはない様な気もする。
ドラギは何も言わなかったが、この先他のユーロ圏要人からユーロ高牽制発言があるかもしれない。
‘ユーロ高が金融政策の正常化をオフセットし、ユーロ圏の国際競争力を低下させる。だとすれば、ユーロ高牽制発言が飛び出る可能性がある’。
ユーロドルが1.2を超えると相場が一旦伸び切るかもしれない。
この先もユーロ高となる可能性は高いが、一旦相場を冷やすとすれば、丁度良い頃である。
ドル円はまだ下を打った感じがない。
取り敢えずは10円台後半のショート50本はまだ手仕舞わずにキープしておくか。
来週も8円13を潰しに行かない様であれば、一旦買戻しても良い。
その後は10円95~11円05が一杯ってところかな。

暫く相場のことを考えていると、ふとコーヒーが飲みたくなった。
キッチンに置いてあるコーヒー専用のシェルフからコスタリカの入ったジャーを手に取り、15グラムをBonmacのミルで挽く。
丁寧にペーパーフィルターの継ぎ目を折り、ドリッパーのハリオV60にセットする。
沸騰したお湯をドリッピング・ケトルの‘タカヒロ雫’に移し、85度になるまで待つ。
いつもの手順である。

BGMは気分を爽快にするために Age Garciaのピアノ・アルバム‘Alabastro’を選んだ。
何処かに気分を浮遊させてくれるアルバムである。

10分後に、至福の時が約束されているのは間違いない。
少しささくれ立った心が次第に癒されていく。

(つづく)

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第11回 「脅し」

普段なら翌週の相場展開を概ね練り上げることができる。
だが、先週末はどうも考えがまとまらなかった。
‘8円台・9円台は揉んでも不自然ではない水準’という確信だけはあったが、それ以上のことは思い浮かばなかったのである。

実際に週初(14日)のドル円は、9円半ば(109円半ば)を中心に揉み合う展開となった。
やはり少し(ドル)ショートなのだ。
そして考えがまとまらないまま、結局は先週売っておいた10円75の20本と76(10円76 銭)の30本は、9円55で買い戻すことにした。

翌日(15日火曜日)からドルが上昇し出した。
昨日の海外で米朝のチキンゲームが一時的に緩和したことから、ショーカバーが出だしたのだ。
ディーリング・ルームには ’mine(ドル買い)’ の声が早朝から飛び交い出した。
五井商事や菱田物産もドル買いに動いている。
所謂5・10日*ということもあって、実需筋もドル買いを入れてくる。
コーポレート・デスク(顧客担当デスク)のフローを捌くのでインターバンク・デスクは朝から慌ただしい。
ドル円はショートカットを巻き込みながら、10円45を付けたが、自分ではこの時点でも新しいポジションを持てず仕舞いだった。
忙しかった山下等をサポートしたこともあったが、実際に相場を読み切れなかったせいもある。

仕方なしに、10円80と90で50本ずつのドル売りリーブを置いた。
値頃感からのリーブなので、’If done’ のストップはタイトに11円05銭とした。
11円05は、8月に入りドルが軟調となった後の戻り高値(8月4日)である。
ここがtaken されれば、12円前半まで持って行かれる可能性がある。
値頃感での売買は、所詮はジョビング向きだ。
だから、そんなポジションのストップや手返しは早いに越したことはない。
ジョビングでシコったポジションを引き摺っても時間が無駄になるだけである。
‘今の俺にはそんな時間は残されていない。ともかくリーブが付いてドルが下がってくれれば、それで良い’

その日のニューヨークでドルは10円85まで上昇し、80の50本だけがダンとなった。
その翌日(水曜日)もドルは堅調に推移し、週半ばのニューヨークで10円95を付け、90でも50本を売ることができた。
ニューヨークのその日の午後、高値圏で模様眺めの展開となった。
社宅に帰った後も、ジーッとデスクに置いたモニターを見ていたが数銭しか動かない。
ここは前週のドル高値(10円92)近辺ということもあって、誰も追いかけてドルを買おうとはしない。
’これは良い兆候だ。もしかしたら、あれは良いリーブだったのかもしれない’
少し期待が膨らんだ。

そんなとき、ドル円が左に振れ、ユーロドルが右に振れ出した。
‘a few others suggested that continuing low inflation expectations may have been downward pressure on inflation…’
今し方発表された7月のFOMC議事録の内容に‘インフレの先行き見通しに不透明が増した’との見方を示す文章が散見される。
読めば読むほどFED内部にテーパリングに対する慎重論が少なくないことを示すセンテンスが多い。
‘ラッキーだ’
午後に入ると10円03まで急落した。
そして翌日(木曜日)の東京でも、ドルは売られ、9円台へと下落した。

朝方ディーリング・ルームが少し騒々しい雰囲気に包まれたが、大きな動きはなく、少し余裕を持ちながらモニターを眺めていた。
そんななか、デスクの横に人影を感じた。
部長の田村である。
「ちょっと時間あるか?」と低めの声で聞く。
「良いですよ」と素気無く答えた。
「じゃあ、あっちで話そう」と、インターバンク・デスクから少し離れた処にある窓際のテーブルを指した。簡単な打ち合わせ用のテーブル席だ。
「山下、ドル円、50本の買い、8円85で出しておいてくれるか。 Until further noticeで良い。何だか知らないが、部長がお呼びだ」
10円85と95で作ったショート100本のうち、とりあえず50本で利食うことに決め、残りは放って置くことにした。

 

「相変わらず、調子が良いようだな」と言いながら、田村が愛想笑いを浮かべた。
口角を少しだけ緩めただけの薄気味の悪い笑いだ。
「まあ、何とか。ところで、お話しとは何でしょうか?」
「最近、いやお前が帰国してからというのが正確かな、アカウントのコレクション(訂正)が多い様だが、少し注意が足りないんじゃないか」
確かに多い。
だが、多くなっているのには理由がある。
帰国した頃のインターバンクには、無能だった前任の課長やチーフ・ディーラーの行状の悪さから沈滞ムードが蔓延していた。
市場に向かう姿勢が失われていたのである。
この状況を一新させるためには、部下達に勇気を持って市場に向かわせるしかなかった。
収益が上がってくれば、彼等も自信を取り戻していくハズである。
だから、自分のポジションを彼等の損失を減らすために使った。
それが、アカウント・コレクションの理由だが、それをこいつに言っても理解されない。
‘ここは、素直に聞いておくのが得策だ’

「そうでしたか、それは申し訳けありません。以後、気を付ける様に部下にも伝えておきます」
「やけに素直だな。だがな、圧倒的にお前のアカウント絡みのコレクションが多いのが気に懸る。何か特別な訳があるんじゃないだろうな?」
「いや、そんなことはありません。少し疲れが溜まっているせいかもしれません。何と言っても、為替ディーラーは不眠不休の日が続くことも少なくないので。その辺のことは部長もよくご存じですよね」と、二の句が継げない様に力強く言った。
「・・・。だが、コンプライアンスがうるさい昨今、あまりコレクションが多いと、事後調の指摘対象になる。そうなれば、査問員会騒ぎになるぞ」
「でもそうなれば、部長も監督責任を問われることになりませんか?」
「お前ってやつは、・・・」
言葉を無くした田村は「まあ、9月期を終えたら、覚悟しておくんだな」と捨て台詞を残すと、椅子を蹴るようにして部長席に戻って行った。
‘とうとう圧力をかけてきたか’

デスクに戻ると、
「課長、部長が大分怒っていた様ですが、大丈夫ですか?」と山下が心配そうに聞いてきた。
「ああ、心配するな。ところで、リーブは付きそうにないな。付くのは明日のニューヨークかな。‘果報は寝て待て’か」

週末の金曜日、東城と二人で銀座の寿司処‘下田’に出向いた。
「了、冷酒にするか?」、とりあえずのビールを飲み終えた後、東城が聞く。
「はい、良いですね、冷酒。それにしましょう」
「冷酒ですか。軽く冷やしてお飲みになるのであれば、久保田の萬寿がお薦めですが」と、店主が言う。
「うん、それを貰おう」と店主に告げると、「昨日、あいつがコレクションのことでお前に注意したそうだな。その後、俺のところにも来て、そんな話をしていた。あいつにお前の真意を話しても仕方がないので、俺からも注意しておくとだけ言っておいたよ」
「ありがとうございます」
詰まらない話は早々に切り上げて、それから2時間ほど東城との会話を楽しんだ。
帰り際、
「どうだ、まだドル円は落ちそうか?」と聞いてきた。
「今週は、上で100本売っています。今日のニューヨークでは年初来安値の8円13銭を抜くのは無理でしょうが、来週辺りは危ないですかね。まだコツンと当たった感じがしません。シカゴ筋もまだ円ショートを捌き切っていませんし、抜けたら6円台もある様な気がしますが。それにこのところVIS指数も高水準で推移しているので、為替だけでなく、証券もアンワインディング(巻き戻し)がいつ起きても不思議ではないのかと・・・」
「そうだな。今回のアメリカのバブルは以前にも増してそれらしくないのが特徴だから、気を付けなければならない。既に米株から逃げている米系ファンドもあるとも聞く。それで、お前の今のポジションはどうする?」
「とりあえず、利食いのオーダーを半分入れてあります。後は社宅に帰ってから考えます。なので、夜食に穴子寿司を頼んでも良いですか?」
「まあな。田村の件で嫌な思いをしたことに対する、俺からのせめてもの慰めだ。ただ、あまり無理をするなよ」

東城と別れた後、中央通りに出てタクシーを拾った。
「神楽坂北へお願いします」と告げた。

その日のニューヨークで、ドルは8円台後半へと下落した。
‘残りの半分の処理は来週考えることにするか’
ラフロイグをウィスキー・グラスに三分の一ほど注ぎ、舌で転がしながらゆっくりと喉に流し込んだ。
BGMにかけておいた木住野佳子のCDに挿入されている’Manhattan Daylight ’のメロディーラインが耳に心地良い。

(つづく)


*5.10日(ごとおび):古くからの日本の慣習で、5(五)や10(十)が付く日(5、10、15、20、25、30)を決済日とする企業が相対的に多い。決済通貨としてドルの比率が高いため、当該日に輸入超であればドル買いが、そして輸出超であればドル売りが出やすくなる。公示中値が仕切り値として利用されることが多く、そのため公示時間の午前10時前に売買の動きがある。

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第10回 「約束」

ここからは右手に見える上高地線に沿って走り抜ければ、松本の市街地に着く。
少しずつ、車の運転にも余裕が出始めてきた。
心に平静が戻ると、Fredrick Packers のデイパックに入れて置いた数枚のCDからブラインドで一枚を取り出した。
引き当てたのは車を快適に飛ばすときには相応しくないBill Evans の ‘You must believe In Spring‘だった。
ただ、スピードを出せない今の道路状態には持ってこいのアルバムだ。
とりあえずCDをジャックに押し込むと、’B Minor Waltz ‘が流れ出した。
時に人を切なくさせ、時に荒んだ人の心を慰めてくれる曲である。
聴いた回数は数え切れない。
ジャズファンならずとも、聴いた人は心を打たれるメロディーラインである。
アルバムの二曲目に挿入されているタイトル曲よりも、この曲をトップに持ってきたところが良い。

トラックが進みアルバムの最後から二番目に挿入された’Some Time Ago’ が聞こえてきた頃、車は篠ノ井線の線路下に差し掛かった。
いつも渋滞する場所だが、天候のせいもあり、余計に時間がかかってしまった。
でも、焦る必要はない。
10分もすれば、目的の駐車場に着く。
松本の市街地に来るときの駐車場は、パルコと大通りを隔てて反対側にある伊勢町のパーキングと決めている。
好んで訪れるカレー店やコーヒー店へのアクセスが良いからだ。
アルバムも終わりかけた頃、パーキングに着いた。
便利の良い駐車場だけに混んでいて、いつも螺旋状のパスを幾度も回ることになる。
今日も6Fまで登らされてしまった。
空きスペースに車を入れて時計を見ると、3時15分前である。
何を話すか、少しだけ考えをまとめておく必要があった。

‘岬の今の心境について話すべきか、8年前のすっきりしなかった別れへの言い訳について話すべきか’、まったく考えがまとまらない。
そうこうしているうちに時間がきた。
近くの駐車場に着いた旨のメールを入れ、‘5分後に店の前で待っていてくれ’と告げた。
車を降り、駐車場を出ると、直ぐ左手にある一方通行の道を歩き出した。
その道の右側50メートルほどのところに岬の母が営むクラフト店はある。
付き合っていた頃、一度だけ訪れたことのある店は江戸の裏座敷的存在の松本に相応しい佇まいだった記憶がある。

30メートルほど歩いたところで、ゆったり目の白のプルオーバー、裾を巻き上げたカーキ色のチノ、白のスニーカー、という出で立ちの細身の女性が眼に入った。
岬である。
少し微笑んでいる様にも見える。
ボブにカットした髪を揺らしながら、こっちを向いて手を軽く振っている。
少しやつれたのか、やや痩せた感じを受けるが元気そうだ。
岬も小走りにこっちに向かっくる。
そして二人の距離が一挙に縮まったとき、いきなり彼女が胸に飛び込んできた。
額を胸につけ、泣きじゃくりながら両手の拳で肩甲骨の下辺りを叩き出した。
あまりの力強さに「うっ」と声を上げると、「ごめんなさい」と言いながら後退りした。
目から止めどなく涙が溢れ出している。
「そんな顔じゃ、美人も台無しだな」と言いながら、ジーンズの後ろのポケットから少し皴になったハンカチを取り出し、
彼女に渡した。
「ありがとう」と涙声で言う。
そして、「了、少し待ってて。母が外出しているので、店の戸締りをしてくるから。それから化粧も直してくる」と言って店の方に走って行った。
その後ろ姿に向かって、
「ああ、それじゃ、俺は車を例の駐車場の脇に止めて待っているから、そっちに来てくれるか。車は四駆、カラーはブラックだ」と少し大き目の声で言った。
「はい」と言いながら、岬は暖簾をかき分けて店の中に消えていった。

車をパーキングから出し、数分待っていると、ラベンダー色の傘をさした彼女が現れた。
「どこへ行く?」
「城山でも良い?」と聞く。
「俺は構わないけれど、また雨が強く降るかも知れない。それでも良ければ」
城山は市街の北西部の高台にある公園である。
さもない公園だが、展望台にもなっていて、天気次第では北アルプスも望むことができる。
コーヒーとカレーが評判のギャラリー兼カフェが隣接しているのが良い。
20分も走った頃、公園の駐車場に着いた。
いつ雨が降り出してもおかしくない空模様だが、今は幸いにも上がっている。
「少し歩くか?」
「ええ」
「元気なのか? 少し痩せたみたいだけど・・・」
「うん、体はどこも悪くないの。でも、ここ何年も、心がだめみたい」
「詳しい事情は分からないが、山下から凡その話は聞いている。もうご主人とはどうにもならないのか?」
「ええ、とても一緒に暮せる様な人じゃないわ。
省(財務省)では優秀で、間違いなく次官までは行く人だと言われているそうだけど、人間性は・・・。
異なる環境で育った二人が一緒に暮らせば、夫婦だって日々の行動や会話が気になるのは当然よね。
だけど、彼は常に自分が正しいと思ってる。
だから、私のどんな些細な落ち度も許さないの」
岬が気丈なのは知っているが、決して頑固ではない。
だから、些細な落ち度を指摘されれば、その都度、夫に詫びを入れていたに違いない。
そんな卑屈な毎日の連続では、身も心も持たないのは当然だ。

暫く園内をゆっくりと歩くしかなかった。
悪天候のせいか、あたりには誰もいない。
「なあ、岬」
「何?」
「あのときのこと、まだ怒ってるのか?」
曖昧な別れ方をしたことを聞いたつもりだ。
「いいえ、あれは私も悪いの。というより、一言、あなたに声をかけておけば良かっただけのこと。
‘まだ愛してる?’ってね。
でもね、あのときの了は近づけないほど怖かったのは事実よ。
だから、ソーっとしておいたの」
「そうだったな、当時の俺は。でも俺があんな状態に陥ったのは、大きな損失を出しからじゃないんだ。
あの程度の金額なら、いつでも取り戻せる自信もあった。
ただ、上司が部下を罠に嵌める様な組織や、そこで働いている自分への嫌悪感もあって、退職を考えるまでになっていたんだ。
でも辞めれば、俺や姉を一人で育ててくれた母親を落胆させることになるし、岬との結婚も難しくなる。
ともかく悩み続けていた。
だから、あの時は誰とも話たくはなかった。
やはり、俺がそのことを素直に岬に言っておけば良かったんだ」
「そうね。二人共、悪かったってことね。
でも、あなたがニューヨークへ行った後、東城さんが言ってくれたわ。
‘まだ遅くないから、追いかけろ’って。嬉しかった」
当時、東條さんには岬と付き合っていることを話していた。
あの人らしい気遣いだ。
「それで何て答えた?」
「もう、‘ポジションは切りました’って答えたわ。
そしたら、東城さんは’ポジションを切ったとは、
さすが仙崎の彼女らしい表現だな’と言って笑ってた」
暫く間を置いたあと、その話の続きを始めた。
「そしてこうも言ってたわ。
‘長い人生、たまにはsquareも悪くない。
人間、ニュートラルになって考えることも必要だ。
だが当分の間、あいつのポジションはhead wind*だな。
いずれにしても、いつか二人のポジションにtail wind*が吹くことを祈ってるよ。
何か出来ることがあったら言ってくれ’と少し笑みを浮かべながら言ってくれた。
本当にいい人ね」
「ああ、良い人だ」

二人はその後も、何も言わずに歩き続けた。
すると、大粒の雨が降り出してきた。
二人は駐車場へと急いだ。
やっとの思いで車に辿り着き、助手席のドアを開けてあげると、
「了、強く抱きしめて」と岬が絞り出す様な声で言った。
右手を岬のうなじに回し、その身体を胸に引き寄せると、力強く抱きしめた。
雨ですっかり濡れてしまった白いプルオーバーを通して伝わる温もりに8年前の懐かしさが甦ってくる。
‘辛く、そして切ないポジションだ。暫くは head wind を受け続けるか’

その夜、‘野麦倶楽部’に戻ったときには8時を回っていた。
夕食の時間は過ぎていたが、主人に無理を言って、トーストとサラダ、それにビールを部屋に運んでくれる様に頼んだ。
「明日も釣りは無理そうですね。また時間ができたら、9月にでも来てください」
頼んだものを運んできた主人が、トレーをテーブルに置きながら申し訳なさそうに言う。
長野は9月の末で禁漁になる。
「そうですね。是非、そうしたいと思います」
ここに来れば、岬に会える。
そんな想いが脳裏を過った。
「それじゃ、ごゆっくりお休みください」と言い残して、主人はドアの方へ戻って行った。
「お休みなさい」

翌朝、奈川を後にして、ひたすら社宅のある神楽坂へとプラドを走らせた。
CDは‘ファビュラス・ベイカー・ボーイズ’を選んだ。
大人の切ない恋心を描いた映画のサントラで、デイヴ・グルーシンがプロデユースした傑作である。
切ない映画のサントラだが、車の運転を快適にしてくれるのが良い。

翌週初(7日)、先週末の7月米雇用統計が良かった割にはドルが戻さなかった。
北朝鮮絡みの地政学的リスクで、円が買われるのを恐れてか、市場はドルを買わない。
本来であれば、売られるべき通貨の円が売られない。
‘市場にすっかり刷り込まれた、有事の円買い’という、コンセンサスが妄信されているのだ。
‘それに逆らっても仕方がないな’

暫く相場を眺めた後、山下に話しかけた。
「山下、約束を果たした様だな。凄いな、お前の底力は。ここは調子の良いお前の通りにするよ」
「からかわないで下さいよ。でも、課長が先週話していた様に、ドルが下という流れは変わっていないようですね。例の8円台(108円81銭、108円13銭)を試す様な気がします」
「そうだな。それじゃ、50本売るか」
「20本は75(110円75銭)。30本は76でダンです」
相変わらず、良い手捌きだ。
「ありがとう。ついでに言っておくけど、お前との約束も守ったからな」
「はい、課長の顔を見れば分かりますよ、そのくらい。またそのうちにゆっくりと話を聞かせてもらいます」

翌日から、ドルは崩れ始め、週末には108円70銭まで落ちた。

週末の土曜日の午前中、社宅のベッドに寝転がりながら、来週の相場のことを考えていた。
自分で値動きを見ていなかったせいか、感触が湧かない。
チャートを見る限り、まだドルは底を打っていないし、あまりにも戻りが弱い。
8円13銭を抜けば、フィボナッチ水準の6円50銭程度まであるのかもしれない。
と言って、8円台・9円台は揉んでも不自然ではない水準だ。
迂闊にはドルを売れない。
とりあえずは、週初の様子を見るのが得策か。
‘久しぶりに神楽坂に出て、のんびりパスタでも食べることにしよう’
(つづく)

注:
*head wind:アゲインスト(向かい風)
*tail wind:フォロー(追い風)

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第9回 「再会」

先週末に山下に今週の相場はどうかと聞かれ、「どこかでドルの下を試すと思う」と答えたが、週初(7月31日)から下値を試す展開となった。
だが、なかなか節目の10円(110円)を攻めきれない。行内からも月末絡みのドル買いが結構入ってきた。恐らく他行も同じ状況なのだろう。さらに投機筋の客も値頃感やにわかショートの利食いでドルを結構買ってきた。
翌日の東京でも10円を割り込めなかった。結局この二日間、イメージの湧かないまま、ジョッビングに徹する格好となってしまった。山下は「今週3本(3000万)稼ぐ」と豪語していただけに真剣そのもので、カバー・ディールをこなしながらも収益をこつこつと上げている様子である。俺はもう引き上げても問題なさそうな雰囲気だ。

「山下、みんな、明日から頼むな」と言い残し、帰ろうとすると、
「課長、例の約束は守ってくださいよ。僕は昨日・今日と、真剣にボードと向き合って、何とか半分稼ぎましたからね」と脅迫めいて言う。
「凄いな。それじゃいつも真剣にやれば、毎月大台(1億)だな。俺の肩の荷も大分軽くなるってわけだ」と笑いながらやり返した。
「まあ、頑張りますから、兎も角約束は約束ですからね。お気を付けて」
「了解」と言い残してディーリング・ルームを後にした。

その日の晩、宅配の寿司を肴にビールを飲みながらスクリーンに向かったが、暫くドル円は10円前半で凍り付いたままだった。ビールを三缶空け、そろそろラフロイグに切り換えようと思ったとき、ドルが急に下落し始め、10円を割り込んだ。だが、突っ込んでのドル売りは出ないまま、直ぐに10円台に逆戻りしてしまった。この展開は動けばやられる相場付きだ。明日はフライ・フィッシングや旅行の準備もある。拙いポジションを抱えて悩みたくない。何もしない決意を固めた。ただ、山に向かう前に先週作った12円(112円丁度)のショート50本の処理だけはしておきたい。ニューヨークの沖田に電話を入れた。夜中の12時である。

「今晩は」
沖田の明るい声が聞こえてきた。
「調子良さそうだな」
「はい、ユーロがこのところ絶好調で、上手く行っています」
「そうかそれは良かった。ところで、ドル円はどうだ?」
「少しビッドですね。まだショートが残っている様で、11円辺りまでは戻すと思います。今15~17(110円15~17銭)です。何かやりますか?」
「50本、適当に買ってくれ」
「16で20本、18で30本、買いました」
「ありがとう。俺は明日から週末まで休むから、何かあったら山下をサポートしてやってくれ。今の買いは12円のショートの利食いだから、山下にそう処理する様に連絡しておいてくれ。それじゃ頼む」
「了解です。短い休暇を楽しんでください」
‘これで、休暇中にポジションのことを考えないで済む’

木曜日の早朝6時に社宅を出発した。車は昨日、四谷のトヨタレンタカーで借りておいたプラドである。飯田橋ICで首都高5号池袋線に入り、関越道、上信越道、そして長野道という経路を辿ることにした。朝食を済ませるために横川SAのタリーズに寄ったが、それ以外は休憩もとらずに松本ICまで一挙に走った。時刻は9時30分。松本ICを出て上高地方面に向かう。新島々を過ぎ、カーブの多い山道を30分ほど走ると、梓湖に出た。梓湖に造られた奈川渡ダムを渡り右に車を走らせれば上高地、渡らずに直進すれば野麦峠方面である。目的地の奈川は野麦峠方面にある。狭くうねる道に気を付けながら運転に集中した。30分足らずで、宿のペンション‘野麦倶楽部’に到着した。

8年ぶりだが、かつて通い詰めていただけにオーナーご夫婦は顔を覚えていてくれた。
「お久しぶりです。ようこそいらっしゃいました」と笑みを浮かべる。
「本当にご無沙汰しています」
確か二人とも70歳を超しているはずだが、元気そうだ。
「このところ天気が今一つで、今日も降ったり止んだりです。川の水量も多少増えているみたいで、仙崎さんの釣りには向かない状況かもしれませんね。でも、荷物を置いて、とりあえず奈川に行ってみますか?」
「はい、今車から荷物を降ろしますから、部屋に入れといてくれますか?」
「かしこまりました。イブニング(夕まづめ)までやるとすると、お帰りは7時過ぎですね」
「この天候なので、イブニングはあまり良くないと思います。もしかすると早く引き上げるかもしれません。それじゃ、行ってきます」

目的のフィールドまでは30分ほどかかるが、その前に蕎麦を食べておきたい。かつて行きつけた蕎麦屋は野麦峠の麓にあり、とうじ蕎麦で有名だ。二人前からの注文のため量は多いが、夜までの奮戦を考えて注文した。やはり多すぎた様だ。少し残した詫びを言って店を後にすると、店から5分程のところにある目的のフィールドに向かった。フィールドは奈川のほぼ最上流部に当る沢である。日中の日差しの強いときでも、この沢はなんとか釣りになるのが嬉しい。

現場に着くなり、車をデッドエンドのある脇道に突っ込んだ。素早くウェイダー*に着替え、タックル[ロッド(竿)やリール]をセットし終えると、直ぐに入渓した。真夏にもかかわらず、チェストハイのウェイダーとスパッツを通して冷たさを覚えるほど水温が低い。先行者が入っていれば、全く釣りにはならないが、入渓直後から25cm前後の岩魚が次々とフライに飛びついてきた。先行者がいない証拠である。久々の岩魚との触れ合いに嬉しくなり、ロッドを振り続けた。この沢には尺(30cm)を超える岩魚はいないが、それでも十分に楽しい。もう心は童心そのものだ。ところが、二時間ほど釣り上がった頃、急に空模様が怪しくなり、山特有の豪雨が稲光を伴って降り出した。山では熊にも気を付けなければならないが、雷はもっと恐い。沢を上がり側道に出ると、走る様にして車まで戻った。暫く車中で雨と雷が止むのを待っていたが、雨は延々と降り続き、時折稲光が暗い空を走り、雷鳴がそれに続く。これではイブニングもダメである。潔くペンションに戻ることにした。

ペンションに着くと、直ぐに風呂に入った。沢で冷えた体がほぐれていくのが分かる。風呂から上がりベッドで横になっていると、階下からカウベルの音が聞こえた。夕食の合図だ。
宿泊客は他に老夫婦と子連れの夫婦だけで、ダイニングは静かである。
食事も終えた頃、コーヒーを運んできた主人が
「釣りはどうでしたか?」と聞いてきた。
「最初の2時間は何とか楽しめましたけど、後は豪雨で釣りにならず、車中で寝てました」
「それは残念でしたね。今晩も豪雨らしいですよ」
「参りましたね。水嵩が増すでしょうから、明日も釣りにならないかもしれませんね。あのPC、インターネットは使えますか?」
ダイニングの隅に置いてあるPCを指して尋ねた。
「はい、大丈夫です。ログオンしてありますから、そのままどうぞ」
「それじゃ、お借りします」と言って、コーヒーカップを持ちながらPCに向かった。
カーソルをクリックすると、直ぐにトップ画面が現れた。
天気サイトで天気予報と雨雲の動きを見たが、どうやら明日も釣りになりそうにない。
「奥さん、氷と水を貰えますか。もう、部屋に戻ってスコッチでも飲んで寝ることにします」
「そうですか、それではゆっくりお休みください。朝まづめの釣りも無理そうですものね」
悪天候は彼女のせいではないのに、心底申し訳なさそうに言う。
「いや、自然には勝てませんよ」と誰への慰めともつかない言葉を残して、部屋に戻った。

持参したラフロイグをドライド・フィグ(干しイチジク)で楽しみながら、山下に電話を入れてみる。
「あっ、了さん。今ペンションからですね。フライの調子はどうですか?」
「最初は良かったけど、後は豪雨と雷でアウトだった。明日も最悪の天気らしい。それで明日、松本まで下りて岬に会おうと思う。何て話したら良いのか分からないけどな」
「そうですか。それは良かった。家内も喜ぶと思います。マーケットは明日の指標を控えて静かです。それでも着々と稼いでいますから安心してください。明日は動くのでしょうか?」
「おいおい、俺は今、山の中だぞ。それに市場も見ていない。ただ、今週は週初からドルの下を結構攻めてダメだったから、雇用統計の結果は兎も角、あまり下がらないと思う。ともかく、長いポジションでないなら、統計結果の如何に関わらず、あまり突っ込まない方が良いと思う。お前に勇気があるなら、タイトにストップを入れて、統計前に10円前後で買ってみるのも面白いかもな。またはショートカット一巡後に売るのも良いと思う。但し、ジョビングに限ってだが。来週はドルが戻しても、12円前半が一杯の様な気がする。流れはまだ下だと思う。それじゃ、奥さんに宜しく」
「分かりました。それじゃ、お休みなさい」

電話を切った後、ラフロイグを呷ると、岬にメールを入れた。
「今、奈川にいる。明日、会えるか?」
「はい、場所と時間は?」
直ぐに返信があった。
「君は今、お母さんが営んでいるクラフト店を手伝っているのか?」
「はい」
「そうか。3時頃、その近辺についたら電話を入れる。話は少しだけ山下から聞いているが、元気なのか?」
「何とか・・・。メールありがとう。何だか嬉しい様な悲しい様な気持ちで、涙が止まらないわ。もう何も書けない。明日、待っています。ごめんなさい」
「お休み。それじゃ明日」
メールのやり取りを終えると、岬の小さな肩が思い出され、懐かしさが止めどなく甦ってきた。

その晩、なかなか寝付かれないまま、ボトル半分を空けてしまった。

(つづく)


*ウェイダー:川の渡渉や湖の立ち込みで着用する防水性の胴長靴。胸まであるものをチャストハイ、胴までのもがウェストハイという。

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。