第二巻 第12回 「証言を求めて」

米中間選挙の結果が固まった後の金曜日(9日)、大阪支店へと向かった。
支店が開催する顧客向けのシンポジウムで、「来年の世界経済と為替動向」について講演するのが目的である。

世界でも有数の為替ディーラーという枕詞が俺に付けられてしまったせいで、支店からの講演依頼が多い。
昨年同様に今年も政令都市の支店すべてから依頼を受けていたが、とても全部は無理だ。
大阪・仙台・横浜に絞らせてもらった。

IBT大阪支店は中之島にある日銀大阪支店にほど近い。
シンポジウムは支店から徒歩で数分のところにある堂島川沿いのAホテルで行われる。
シンポジウム後に行われる懇親会パーティーを考慮してのことだ。

午後3時過ぎにAホテルに着いたが、ロビーでの幹事役との打ち合わせの4時までには少し間がある。

新幹線で資料の下読みは済んでいるので、それまで特にやることはない。
ベッドサイドのテーブルに備え付けられた時計のアラームを3時45分に合わせると仮眠をとった。

 

5時からのシンポジウムは簡単な支店長の挨拶で始まり、自分の講演、国内経済担当の講演、そしてパネル・ディスカッションという手順で無事終了した。

もっとも、顧客には直接俺と話すことを目的としている役員や部長クラスが多いため、その相手も結構疲れる。

パーティー終了時間の9時半を過ぎても、質問者が絶えなかった。
来年の円相場や、米捻じれ議会の下で苦しい内外政策を強いられるトランプ政権の行方などの質問ばかりで、少し辟易とした。

すべて講演やディスカッションで話したことばかりだが、直接俺から話を聞きたいらしい。

幹事役が‘それではお時間が参りましたので、そろそろお開くに・・・’という挨拶にも関わらず、俺の周辺に人が群がっている。

そんな状況を見かねて、幹事役が客に‘ホテル側の都合もありますので、申し訳ございませんが’と救いの手を差し伸べてきた。

その寸隙をぬって、会場から出るとエレベーターで24階のラウンジバーへと急いだ。

 

「仙崎君、講演やシンポジウム、良かったよ。
俺にはとてもあんな話はできないな。

やはり君は我が行のエースであり、広告塔だ」

「いや、先輩にそう言われるとお恥ずかしい限りです。
ところで今日は、お時間を頂きありがとうございます」

待ち合わせた相手は9年前に俺に罠を仕掛けた一人である木戸で、今は大阪支店の融資第一部の次長を務める。
当時まだ、田村が国際金融本部の外国為替課長だった頃、一番の部下だった。

「それはいいが、今日は俺に何の用だ?」

「木戸さんもご存じの様に、統合から15年経った今もIBTには住井銀行出身者と日和銀行出身者との間に軋轢が残っています。

特に国際業務関連の部門では。

うち(国際金融本部)でも同じです。

 

「それで、お前は二行の軋轢をどうしたいんだ?」

「取り除きたいと考えています。

と言っても、うちの本部内にある軋轢ですが。

そのためには、何かと本部に介入してくるニューヨークの清水支店長や横尾さんとの間も整理したいと・・・。

そこで、木戸さんのお力をお借りできないでしょうか?」

「俺の力ってどういうことだ?」

「はい、木戸さんは当時、田村さんや大竹さんと一緒になって私に罠を仕掛けましたよね。

あれは田村さんが木戸さんや大竹さんに無理強いしたものと考えていますが、その点、如何でしょうか?」

「ああ、確かにそうだ。

田村さんは常々、‘外国為替課を一つにまとめたい。そのためには、ああいう出来すぎたヤツは不要だ’と言っていた。

ヤツとはお前のことだ。

あの日の前日、‘手を貸せ’と言って、俺と大竹に罠の話を持ち掛けてきた。

手を貸さないのなら、‘お前等は国際畑に居られなくなる’とも脅かされたよ。

嶺さんはもう直ぐ、常務に昇格し、田村が部長・本部長へと昇ることも仄めかしてな。

国際分野で働くことが学生時代からの俺の夢だったし、国際金融本部に残りたかったから、軽い気持ちで引き受けてしまった。

ただ、あの罠があれほどお前を痛めつけてしまうとは思わなかった。

今更だが、悪かった。

本当に悪かった」

「そのことはもういいんです。

その代わりと言っては何ですが、この先もしかしたら、木戸さんに当時のことを話して貰うことになるかもしれません。

お願いできませんでしょうか?」

「おいおい、それは結構難しい相談だぞ」

「分かっています。

下手をすれば、嶺・清水の力で左遷されかねないってことですよね。

でも、上手く行けば、彼等を今の立場から外すことも可能です。

そして木戸さんが田村さんの席につけばいい。
きっと東城さんが手を貸してくれますよ。

私は住井派でも、日和派でもない。

ただ、国際金融本部を風通しの良い部署とし、やがてそんな雰囲気がIBT全体に広がって行けばと考えているだけです」

「お前、本気か?
まさか、うちを辞めるつもりじゃないだろうな?

さっきも言ったけど、お前はうちのエースだぞ。
お世辞で言ってるんじゃない。
お前の講演やディベートを聞いていて、本当にそう思ったんだ」

「お言葉、ありがとうございます。

ただ、仮に私がいなくなったとしても、木戸さんもいるし、沖田や山下も育っています。
それに何と言っても、軸となる東城さんがいるじゃないですか。
来年にも彼は常務になり、将来はさらに上に行くと信じています」

’木戸が為替ディーラーとして一流の腕を持っている。
田村の妙な小細工がなければ、今頃は部長席で東城の片腕として力を発揮していたのは間違いない。

俺がいなくても、この本部は大丈夫だ’

 

「まぁ、その件、考えておくけど、俺もサラリーマンだ。
左遷だけは勘弁願いたいがな」

「その節は宜しくお願いします」
頭を深々と下げながら、頼んだ。

請求書を手にしてその場を去ろうとすると、木戸がその手を掴んだ。

「ここはいい。
俺に払わせてくれ。
せめてもの当時の詫びだ。
詫びにしてはちょっと安すぎるけどな」
苦笑いを浮かべて言う。

遠慮せずに礼を言い、出口へと向かった。

 

「おい、辞めるなよ!」という声を背中で受け止めた。

 

‘助けてくれればいいが。

田村を落とすためには彼の証言がほしい’

 

ドル円相場は昨日(木曜日)のニューヨーク市場で114円9銭まで上昇し、113円80銭前後で週を越した。

 

米中間選挙では大方の予測通り、下院では民主党が過半数を超え、上院では共和党が過半数を超え、捻じれて終えた。

週末の各テレビ局の報道番組は、‘米政権の今後を占う’的なもので占められていた。
したり顔の評論家連中のコメントはもっともらしいが、どれも核心をついていない。

 

‘どうでもいい話ばかりだ。

そろそろ、国際金融新聞の木村に「来週のドル円相場予測」を送っておくとするか’

 

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木村様

 

ドルは堅調に見えますが、そろそろ調整が入る頃かと考えています。

目先でドルが買われても、114円以上は上髭と踏んでいます。

 

予測レンジ:112円~114円73銭。

 

今日の午後、大阪から帰ってきたばかりで少し疲れているため、短文にて失礼致します。

 

IBT国際金融本部外国為替課長 仙崎 了

 

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メールを出し終えると、ソファーに横たわった。

BGMに流しておいたMelody Garnet の アルバムが丁度‘The Rain’に差し掛かったところだ。

Rain came down in the sheets that night and you and I stared out to the left to the right・・・・・・

甘く悩ましい、そして少し枯れた声が静かに流れ、まどろみを誘った。

「了、強く抱きしめて」
確かに夢の中で志保の声を聞いた。

 

(つづく)

 

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。