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第二巻 第18回 「調査結果」

前週に開かれた懲罰会議を切っ掛けに、本部内にある軋轢の除去や不逞の輩を排斥する行動に出た。

ニューヨーク支店長の清水と横尾が連名でジム宛てに送信した添付ファイル、そして横尾と外部との会話が録音されたDiscなどをコンプライアンス室長の松岡に手渡し、調査を申し出たのである

松岡は今週中(17日の週)に調査結果を出すと言っていた。

組織とは不思議なもので、秘密裡に行われたはずの会議の内容、さらには俺の申し出がいつの間にか内外の支店にまで流布していた。

沖田の話では、’仙崎も馬鹿な行動に出たな’などと囁かれてるらしい。

 

‘こっちは、辞める覚悟だ。
勝手な風評などどうでもいい’

 

月曜(17日)の朝、松岡から電話が入った。

10時過ぎに部屋に来てくれという。

113円半ばで寄り付いたドル円は小幅な値動きが続いている。

「沖田、やはり上値が重たいな。
売っておくか?」

「そうですね」

「俺は松岡さんに呼ばれてるので、これから彼の部屋に行ってくる。
100本売っておいてくれ」

「了解です」

 

「本件では、結構思い切った決断をされましたね。

ここまでしなくても解決策はいくらでもあったと思うのですが、私や人事部長が関わったとなると、ちょっと事が大きくなるかもしれません。

日和派でも、住井派でもない君がここまでの決断をするのには、何か特別な思いがあるんでしょうね?」
松岡が切り出してきた。

「ええ、まぁ・・・。

日和と住井が合併してから、15年の時が流れました。

この間、国際金融本部関連では、住井出身の担当常務や副頭取が逝き、それ以降、日和出身の嶺常務が後を受け継いだ格好となっています。

嶺さんが公平な方であれば問題はないのですが、どう見ても差配が日和寄りに傾いている、少なくても私にはそう見えます。

そろそろIBTも、風通しの良い、働きやすい職場にしないと拙いんじゃないでしょうか?」

「そうですか・・・。

私は君の本部の人間ではないので、詳しい内情までは分からないが、先週の懲罰会議の件にしても、君が東城さん寄りの人間であるがために開催されたのは明らかな様ですね。

君を守るべき立場にあるはずの田村君が、敢えて君を懲罰会議にかけた。

私も嶺常務から会議の開催を促されたし、君の言っていることが正しいと考えています。

ところで君のくれた資料やDiscについてだが、実は既に調べさせてもらいました。

清水さんや横尾君が現地雇員に宛てた解雇通知の内容は酷いものだ。

彼の死は自殺と判断された様だが、私でもあんなものを上司から突き付けられたら、自殺は兎も角としても、鬱病になっていると思う。

この件では、どう足掻いても、あの二人は処分対象だ。

横尾君が外部のファンドに君のディール内容を漏らしていたことも、Discの録音から明らかになった。

外部への情報漏洩で、内規違反だ。

それと横尾君と田村君の会話には君を追い落とそうとする意図が含まれていたのも確認した。

だが、田村君は狡猾だな。

‘うん’とか、‘そうだな’とか、確かに横尾君の策略に相槌を打ってはいるが、共謀的な発言は控えている。

従って、田村君をこの件で査問委員会に呼ぶとしても、精々、参考人程度ということになる。

その程度だと、田村君・嶺常務路線を崩すことはできない。

また仮に田村君に何等かの処分が下ることになれば、東城本部長にも影響が出る。

もっとも、彼はそのことを承知の上で、今回の件を君に委ねた。

実に度胸が据わってるな、東城さんって人は。

多くの人に信望されているのも当然だな。

いずれにしても、来週中に査問委員会を開催しようと思う。

これから、本件について中窪頭取に報告してくる。

コンプライアンス室長は頭取に直結する部署だからな」

「そうですか、何かとありがとうございます。

ところで、田村さんの私に対するハラスメントですが、あれはもう問うことはできませんか?」

「大分古い話だし、ちょっと難しいな。

ただ、当時の証人でもいれば、別だけど・・・」

「証人ですか・・・、分かりました。

もし証人がいれば、取り合って頂けるということで宜しいでしょうか?」

「ああ、そうだな」
気のない返事だが、一応コンプライアンス室長の言質をとった格好だ。

 

‘いずれにしても、査問委員会でジムの仇だけは取れそうだ。

ただ、田村・嶺路線崩しが難しそうだな’

 

ドル円は20日の東京市場で、それ以前のサポート水準だった112円台前半を突き破り、その日のニューヨーク市場で一挙に110円台後半へと急落した。

FRBの利上げのペースダウン、NYダウの大幅下落、それに予算不成立を巡っての政府機関の閉鎖、これだけドルの悪材料が出れば、当然のことだった。

 

金曜日(21日)の午後、松岡から電話があった。

‘来週の水曜日に、清水ニューヨーク支店長、横尾トレジャラーの査問委員会を開催する’という連絡だ。

処分対象者としてニューヨークから清水・横尾の二名、裁定者としては松岡本人の他に島人事部長と管理部門担当の林常務が出席する。

また参考人として、俺の他に、嶺常務・田村部長・東城本部長が呼ばれている。

 

‘罰の度合いを決めるだけの査問委員会はどうでもいい。

問題は、委員会で田村・嶺を崩せる策があるかだ’

 

「課長、ここからどうしますかね?」
111円台でもたついているドル円の動きを見て、沖田が聞いてきた。

「今年の値動きを振り返ると、111円台で結構揉んでいる。

だから、今日の海外でもあまりちない気がする。

ここは少し様子を見ても良いと思うが・・・」

「そうしますか。

ところで例の件ですが、結構あちこちに広まってますね」

「そうだろうな。

自分は無実だと言わんばかりに、馬鹿部長が一生懸命に内外の支店に電話しまくってる様だし。

まるで他人事だな」

「呆れてものも言えませんね。

ところで、木村さんへの来週の相場予測はどうしますか?」

「わざわざ聞いてくれたってことはお前に頼んで良いってことか?」

「まあ、Keithのサンドイッチとスコッチ3杯ほどで」

「調子づくなよ。
今晩は拙いが、近いうちにな」
笑って言う。

「今晩は彼女ですか?」

「まあな」
図星だ。

「それじゃ、早くお帰りください。

来週の予想レンジは109円50銭~112円50銭。

‘揉み合い後に、ドルの下値を試す展開’的な感じで宜しいでしょうか」

「そうしてくれ」
と言い残すと、ディーリング・ルームを後にした。

 

志保が宿泊している帝国ホテルへは歩いて向かったが、10分とかからなかった。

ホテルの下に着いたところで、‘もう直ぐ部屋に着く’とメールを入れた。

ほどなく‘ドアを開けておくわ’というリターンがあった。

東側の出入り口からホテルに入ると、エレベーターに乗り、31階のボタンに触れた。

最上級の部屋があるフロアーだ。

エレベーター・ホールのルーム案内に従って、31XXの部屋へと向かった。

部屋に着きドアを押し開くと、バスローブ姿の志保がいつもの調子で抱きついてきた。

こういうときの志保はもう止まらない。

 

‘流れに任せるしかないな’

 

抱き合った後、志保の額に軽く唇をあて、ベッドから飛び出た。

窓に向かい日比谷通りを見下ろすと、行き交う無数の車のヘッドライトが目に入った。

 

‘パーク・アヴェニューの夜景が懐かしい。
やはりニューヨークが良いな’

 

そんな想いに耽っていると、後ろで‘シュパッ’という大きな音がした。

志保がシャンパン・ボトルを少し上にかざしながら、嬉しそうに笑みを浮かべている。

 

‘相変わらず、無邪気だな’

 

いつの間にか、‘The First Noel’が流れ出した。

 

‘俺がこのシーズンに好んで聴く曲を覚えてたのか。

案外気が利くな’

 

ふと、彼女が愛おしく思えた。

 

(つづく)

 

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第二巻 第17回 「逆転」

週初月曜(10日)の早朝、東城の執務室に出向いた。

先週のうちにメールでニューヨークでの調査結果は報告済みだったが、改めて口頭で説明するためである。

「出張、ご苦労だったな。
先週のメールで、横尾君の行為に悪意があったことは承知した。

ただ、お前のディールがいたずらに市場を混乱させたことで、MOF(財務省)から注意・勧告を受けたことが、懲罰に値するかどうかが今回の会議の目的だ。

確かにその切っ掛けを作ったのは横尾君だが、それで多少、場が荒れたのも事実だ」

「仰る通りです。
従って、会議では受け入れるべきところは受け入れるつもりです。

しかしながら、これを機会により深いところに切り込んでいけたらとも考えています。

つまり、この会議を本部内にある軋轢の除去や不逞の輩を排斥する切っ掛けにしいたい、そう考えているのですが、如何でしょうか?」

東城はソファーから立ち上がり、日比谷通りに面した窓際に歩き出した。
皇居の森を眺めるためだ。
深く物事を考えるときの彼の習慣である。

暫くすると、振り返り、落ち着いた低い声で語り始めた。
「曇天の下の皇居の森はどこか師走を感じさせるな。
平成最後の年の瀬か・・・。

そこに何の意味もないが、これを機に本部内も整理を付けるときが来たってことか。
お前がやりたい様にやれば良い。

ただ、お前には国際金融本部に残ってほしいと思っている。
お前が辞めるのは、本部だけでなく、我が行の将来にとってマイナスだ。

将来はお前が本部の核となり、そして銀行を担って行ってほしい。
そう思ってるのは俺だけじゃない」

既に俺が辞める決意を固めているのを知っていての東城の言葉だ。
「本部長、身に余るお言葉、ありがたく存じます。
私の進退については、考えさせていただきます」
この場では、そう応える以外になかった。

 

‘辞める辞めないは兎も角、眼前に懲罰会議が控えている。
戦うしかないな‘

 

懲罰会議は木曜の午後3時に始まった。
出席者は嶺常務、島人事部長(人事担当役員)、松岡コンプライアンス室長、田村部長、東城本部長、そして俺である。

会議は島人事部長によって仕切られた。

「本件の対象者は仙崎君、それに監督責任の観点から東城本部長です。

本会議は‘仙崎君のディーリングに問題があり、その件でMOFから注意を受けた’点について、その事実関係の確認とそれが処分対象になるかどうかを議論することを目的としています。

まず、田村部長にお伺いします。
田村部長、あなたは本件をMOFからの聴取で確認したとのことですが、それに相違ないですか?」

「相違ありません」
毅然として田村が答える。

「では、MOFのどなたにそれを確認したのですか?」

「守秘義務があるため、お答えできません」
少し田村の目線が島から外れた様に見えた。

「そうですか、それではMOFの外国為替市場課内の誰かですか?」
島の追求は結構厳しい。

「そう受け止めて頂いて結構です」

「相違ないですか?」

「はい」

「そうですか、そうなるとコンプライアンス室長の松岡さんに調べて頂いたこととは少し話が違うのですが・・・。
田村部長、相違ないということで宜しいですね?」
念を押す様に島が言った。

「まさか彼が嘘を言うとは思いませんので・・・」

「実はですね、田村さん。

松岡さんがMOFの外国為替市場課長の山上さんに話を聞いたところ、仙崎君と会ったことは課内の誰にも話していないそうです。

そして、山上さんが仙崎君と会った理由は単に‘市場動向を聞くため’だったということです。

これについてのご意見は?」
鋭く、島が迫った。

 

‘俺が窮地に立てされていることを知った山上の計らいだ’

 

「仮にそうだったとしても、仙崎のディーリングの痕跡と市場の値動きを見れば、場を荒らしたことは歴然としています。

IBTの外国為替課長の立場である人間がとるべき行動ではないと思えますが」
田村が辛うじて応えた。

旗色の悪くなった田村の姿を見ても、嶺は素知らぬ顔で窓の外を眺めているだけだった。

「そうですね、確かに市場を混乱させる様な行動は慎むべきことかも知れません。

ただ、田村さん、あなたの本件の訴えは、仙崎君のディーリングに問題があり、それでMOFから注意・勧告を受けた、そのことに対する問題意識からですよね。

つまり、一つ間違えば、行政処分にもなりかねない仙崎君の行為、これを罰しろというものじゃなかったんですか?」

田村は「はあ」とだけ発するのがやっとだった。

そんな情けない田村の姿を見た島は、彼に助け船を出した。
「仙崎君、君がMOFから注意・勧告を受けた事実はないことが明白になりました。

ただ、田村部長の言う様に、市場を混乱させる様な行動は慎むべきかもしれませんね。

もっとも、君には大きなバジェットが課せられている。
外野席からは分からない事情もあるのでしょう。
その点は十分に理解しています。

ということで、田村部長、あなたが発議した議案について、‘不問にする’という結論で宜しいでしょうか?」

田村は暫く考え込んでいたが、
やがて「はい、結構です」と力のない声で言った。

「それでは、本日の懲罰会議はお開きに致しますが、他に何かご意見は?」

ここぞとばかり、俺は言葉を発した。
「島部長、私の方からハラスメント行為並びに情報の社外漏洩に関する疑いで、行内の然るべき会議に諮って頂きたい件があります。

本日の議案と関係することでもあり、コンプライアンス室長を中心にご検討頂ければと存じます」

「ほう、例えばどんなことですか?」

「ニューヨーク支店の現地行員の自殺に関する件、私のディールが外に漏れていた件などです。

それと思しき事柄を一覧にしておきました。

ちなみに、関連の書類並びにDiscをここに用意してあります。

調査、お願いできますでしょうか?」

「松岡部長、如何でしょう?」
突然の依頼に、戸惑いを覚えた島が松岡に尋ねた。

「仙崎君ほどの人物からの依頼とあっては、調べない訳にはいかないでしょう。
一式、こっちで預からせてもらいしょうか。

内容の真偽に当たりを付けて、必要とあれば、それなりに対処させて頂きます。

島部長、ということで、本日はそろそろ」

「それでは、本日の懲罰会議は終了と致します」

 

会議が終わると、真っ先にMOFの山上に電話を入れた。

「山上さん、うちのコンプライアンス部長からの調査に対して柔軟なご回答を頂き、ありがとうございました」

「ああ、例の件ですか。

先日、東城さんがうちを訪ねて来ましてね。
‘仙崎を救いたい’と頭を下げられました。

私は東城さんから為替市場のことをすべて教わった様なもので、今こうして私があるのもあの人のお陰です。

元々電話で済む話だったにも関わらず、仙崎さんをここにお呼び立てしたことが切っ掛けで、ご迷惑をお掛けしてしまいました。

申し訳ございません。

いずれにしても、礼を言うなら、私より東城さんに言った方が良い」

「そうでしたか。

それじゃ、これから東城の部屋に行ってきます。

ありがとうございました」

 

「仙崎です。
入っても宜しいでしょうか?」

「おう、入れ」
落ち着いた低い声がドア越しに届いた。

ドアを開けるなり、
「ありがとうございました」と、深々と頭を下げながら言った。

「何の件だ?」

「MOFの山上さんからお聞きしました。

本部長が山上さんをお訪ねになったことを」

「おしゃべりめが」
苦笑いを浮かべて言いながら、「明日の晩、寿司でも食いに行くか?」と続けた。

「良いアイディアですね、喜んで。
それでは、失礼致します」と言うが早いか、ドアに向かって踵を返した。

「なんだ、もう帰るのか?」
残念そうな声を背中で聞いた。

「ええ、少しは仕事をしないと拙いですから」
振り向かずにそう応えた。

 

週初に112円25銭まで下落したドル円はこの日(木曜)の海外で113円71銭まで跳ねた。

イタリア予算案の不透明感や独仏の政局混迷が燻る中、ECBが2019年のインフレ見通しを下方修正したことを受けて、ユーロが売られ、ドルが買われた。

ドル円相場もその反動でややドル高に振れたのだ。

ただ、113円台後半ではドルの上値が重たく、週末には113円21銭まで下落した。

国際金融新聞の木村へのドル円相場予測は最近、沖田に任せ放しだ。

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・114円台でのドルの上値は重たい。
・揉み合いが続くが、依然としてドルの下方リスクが高い。

来週の予測レンジ:111円80銭~114円20銭

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こんな相場観と適当なコメントを付けて、メールを送ったという。

 

土曜日の晩、BGMにBill Evansの名盤 ‘You Must Believe in Spring’をBoseのミュージック・システムに滑り込ませた。

 

‘俺にもまた春は来るのかな’

 

ラフロイグを注いだグラスを片手に、過ぎゆく時を感じながら、ニューヨークを想った。

少し心がセンチメンタルになりかけたころ、スマホが鳴った。

志保からだった。

「来週、そっちに行くわ。
待ってて!」

 

‘そう言えば、マイクが20日頃にプレゼントを届けるって言ってたな’

 

「ああ、楽しみにしてるよ。

気を付けてな!」

トラックは‘We will meet again’に移っていた。

 

(つづく)

 

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第二巻 第16回 「崩れた証拠隠滅」

月曜(3日)の8時半に、支店を訪れた。

顔馴染みの受付嬢に通り一遍の挨拶をすると、まっしぐらにディーリング・ルームへと向かった。

部屋に入ると、目敏く俺を見つけた横尾が歩み寄り、前に立ちはだかった。
これ以上一歩も前に進ませまいとする気持ちが伝わてくる。

そんな横尾の顔を平然と見つめ、
「お早うございます。その節は、楽しませて頂きありがとうございました」と淡々と言った。

俺を潰そうと思って仕掛けたつもりのディールが上手く行かず、返り討ちにあったのだから、気分の良いはずがない。

苦虫を噛みつぶした様な顔で、「今日は一体、何の用だ?」と憮然と聞いてきた。

「それを今更、横尾さんが私に尋ねるんですか?
私の懲罰会議で身の潔白を晴らすための証拠収集に決まってるじゃないですか」

「なんでそんなモノがこっちにあるんだ?」

「あるかどうかは、これから調べなければ分かりません。
一応、これがありますので、ご確認下さい」
東城からの調査許可書である。

本部長の署名入りの調査許可書を見せられては、横尾もぐうの音もでない。
「勝手にしろ」と言い残すと、自席へと踵を返していった。

 

鍔迫り合いが終わった頃合いを見て、山下が傍に寄ってきた。
「お疲れ様です。これ、準備しておきました」と言う。

11月中のディーリング・レコード(一覧表)である。

レコードには横尾と戦った際のディールにマーカーで線が引かれ、その時の日時が一目で分かる様になっていた。
山下の気配りである。
今回の調査ではその日時、それも分単位の時刻が重要なのだ。

顧客とのディーリングは電話で行うことが多い。
ディーリングには言い間違い、聞き間違いが付き物だ。
事後チェックのため、銀行はすべてのディールを録音している。
当然、ディール以外の会話も録音される。

そこに出張の狙い目があった。
山下から受け取ったレコードを持って、バック・オフィスへと向かった。

 

バックオフィスのヘッドを務めるルイスに録音調査の申し入れをすると、快く受け入れてくれた。

本部長のサインを付した許可書が物を言った様だ。

昔から彼と仲が良かったことも幸いした。

 

ただ、その前にトレジャラーである横尾に承諾のサインを取り付けてくれと言う。

「分かった。
ところでルイス、このチェックには相当時間がかかるが、誰がケアしてくれるんだ?」

「Won’t you let me help with that?

了、君はこっちにいるとき、僕や部下によくしてくれた。
是非、君の役に立ちたいんだ。

 

‘何かを感じ取っているのかも知れないな’

 

「ありがとう。助かるよ。

それじゃ、昼過ぎから始めるけど、頼むよ」

「OK、了。
とりあえず、1時にナンバー3のミーティング・ルームに来てくれ」

「See you then」

 

ルイスから渡された承諾書を持って、横尾のデスクに向かった。

横尾のデスクにそれを置き、サインを求めると、何食わぬ顔で応じた。
そればかりか、不敵な笑みを浮かべている。

 

‘あの平然とした態度は何なんだ。
俺がアイツのことを調べに来たことは分かっているのに’

 

不可解に思いながらも、山下を誘い、空いているミーティング・ルームへと向かった。

「山下、何かとご苦労だったな。
あいつに文句を言わせない様に、お前には通常業務が終わった後、手伝って貰う」

「了解です。それより、課長の調べたいこととは何なんですか?」

「横尾の内規違反、つまり、コンプライアンス違反だ。

彼が俺のポジションを潰しにかかったことは、ディーリング・レコードで明白だが、彼のことだ、通常業務だと白を切るに決まっている。

俺の知りたいのは、外部との会話の内容だ。
そこに内部情報の漏洩に関することがあれば、貴重な証拠になる。

さっき横尾のデスクを見たが、電話はディーリング・ボードに直結したものだけだった。

彼がスイス系ファンドや外部とのコンタクトで、スマホだけを利用していれば別だが、数件に一回位はディーリング用の電話を使っていると俺は読んだ」

「なるほど、分かりました
私は5時を過ぎたら、お手伝いに向かいます」

 

昼過ぎに指定されたミーティング・ルームに向かった。

既にルイスが部屋に来ていた。

「了、君に話しておかなければならないことがある。
もう、今日の調査はしなくていいんだ」
と言いながら、数枚のDISCを渡して寄越した。

「どういうことだ?
何でも言ってくれ、遠慮せずに。
ここには君と俺しかいない」
差し出されたDISCも気になったが、まずは話を聞くことにした。

「あまり大っぴらにできないことだったので、さっきまで悩んでいたんだ。

実は先週、Yokoo-sanが僕のところに来て、これから了が行おうとしていることをやった。

それ自体は問題なかったが、その後にとんでもない依頼をしてきた。

‘録音の一部を削除しろ’という話だ。

コンプライアンス上、それは絶対できないと断ったが、支店長の許可も得ているから、絶対命令だと・・・」
少し思い詰めて話したせいか、話が途切れた。

暫く間を置いて、
「それで?」と尋ねた。

「一晩考えさせてくれと言い。
そして翌日、彼の話を受け入れた。
Shimizu-sanからも電話があったので、仕方なかったんだ。

ただ、事後調査で録音の一部が欠落していたことが発覚すると、僕自身が処罰の対象になる。
だから、自分なりに策を練った。

了がビッグディール(大きな金額のディール)を行い出した日からの録音を事前にコピーしておいた上で、Yokoo-sanが指摘する箇所を彼の目の前で削除した。

ざっと、こんな話だ。

了が調べれば、録音が欠落していることが直ぐ分かるから、その前に話した」

「そうか、よく話してくれたな。
このDISCが削除した箇所のコピーか?」

「ああ、全部じゃないが、その数枚を聞けば、彼のコンプライアンス違反が証明できる。

もし、全部をコピーしたければ、録音室で出来るけど、どうする?」

「ルイス、君の話を聞けば、余分な仕事をする必要はなさそうだな」
笑って応えながら、握手を交わした。

「あっ、それと言い忘れたことがある。
僕は日本語が分からないけど、Tamuraって人とも随分話している様だった」

「ああ、それも知りたかったことだ。
助かったよ。
本件、君は何も心配することはない。

ありがとう、よく話してくれたな。

I wish you a happy holiday!」

 

ルイスと別れると、山下のデスクに向かった。

「すべて終了した」

「えっ、随分と早く済みましたね?」

「ああ、誰かが墓穴を掘ってくれたお陰で、ことが早く済んだ。
これで懲罰会議に臨む準備は整った。

会議は水曜日の午後だから、明日の便で東京に戻る」

「えーっと、その件ですが、本部長からのメールで会議は来週に延期になったそうです」

「ヘぇー、そっか。
それじゃ、東城さんにメールで伝えておいてくれ。

‘首尾上々。
従って、少し休暇を頂きます’と」

「了解。

それじゃ、今晩は、何処かに繰り出しますか?」

「ああ、それは良いな。
俺はこれからサックス5thアヴェニューにでも寄って、お袋の土産を買うことにする。
仕事が片付いたら電話をくれ」

帰りがけに横尾に声を掛けた。
「横尾さん、調べが終わったので、これで帰らせて頂きます」

「えっ、もう終わったのか・・・?」
怪訝そうに言う。

「ええ、お陰様で」

「気を付けてな」と精気のない声が返ってきた。
先刻見せた不敵な顔は不安に怯える顔に変わっていた。

 

支店のビルを出ると、外は薄暮だった。
まだ4時を少し過ぎたばかりだ。
改めてニューヨークの冬の夕暮れは早いと思った。

サックス5thアヴェニューは、支店からパークとマディソンの二つのアヴェニューを跨いでツーブロック先にある。

パークアヴェニューで信号待ちをしていると、反対側の歩道を歩く日本人女性を目が捉えた。

 

‘ボブの髪型、凛とした歩き方、間違いなく岬だ’

 

声をかけようとしたが、長い幅員や南北を行き交う車の騒音を考えると、とても声が届くとは思えなかった。

そんな戸惑いを覚えていると、岬が誰かに向けて手を振っているのが目に入った。
岬から10メートルほど先に、中年の白人男性が手を振り返している。

 

‘30代半ばの小柄な可愛い日本人女性、欧米人が如何にも好みそうなタイプだ。
松本にある母親の店はどうするんだろう?

もう俺が心配することでもないか’

 

ほろ苦さを覚えながら、パークアヴェニューを西へと渡った。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

‘You Don’t Know What Love Is’がサックスの音色に乗って流れてきた。

路上で黒人男性がサックスを奏でている。

Coltrane には遠く及ばないが、薄暮のマンハッタンには良く似合う音色だ。

そして今の俺の心にも・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

‘今夜は山下とゆっくり、スコッチでも飲みかわすか’

 

ドル円相場は週初に113円87銭を付けた後、週後半に112円23銭へと沈んだ。

金曜日の晩、社宅の固定電話が鳴った。
沖田からである。

「出張の成果、山下から聞きました。
良かったですね」

「ありがとう。
休んで悪かったな。
それで、用件は?」

「国際金融の木村さんには、来週の相場予測メールしておきました。

基本、ドル一段安。
戻っても113円台半ば程度。
予測レンジ:111円50銭~113円65銭。

ほぼそんな内容ですが、宜しかったでしょうか?」

「申し分ない。
ありがとう」

「課長、辞めないでくださいね」
切りかけた電話で声を聞いた。

 

(つづく)

 

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第二巻 第15回 「査問会議」

週初(26日)から、ドルが底堅い展開となった。

サンクスギヴィング・デー(11月第4木曜日)の翌日に当たるブラックフライデー(大規模安売り)の売り上げが極めて好調だったことが引き鉄である。

年末商戦の初日イベントが好調であれば、米株式市場に大きな期待が湧かないはずはない。
リスクオンの動きで米株が上昇し、米長期金利が上昇した。

為替市場の参加者がドルを買わざるを得なくなったのは言うまでもない。

ショートカットを巻き込みながら、ドルが上昇し続け、週半ば(28日)のニューヨークでドル円は114円03銭まで上昇した。

だが、その直後のパウエルFRB議長による「政策に既定路線はなく、金利は中立金利をやや下回る」との発言でムードが一変した。

FRBが「世界経済の鈍化が米景気に影響を与える」可能性を直視し出した証である。

ドル円はパウエル発言直後から、一挙に113円台前半へと沈んだ。

翌日(29日)、東京では市場が戸惑いを見せていた。

東城から呼び出しが掛かったのは、その日の午後のことだった。

 

「お前のディール絡みでMOFからの呼び出しを受けた件だが、嶺さんが査問会議を開きたいと言って来た」
執務室のソファーに座るなり、東城が言う。

「予想通りですね。

それで、他の出席者はどなたでしょうか?」

「田村、嶺、それにコンプラと人事から誰かといったところかな」

「ニューヨークからは?」

「とりあえずは誰も来ない。
ただ、いずれかの時点で清水支店長と横尾は呼ばざるを得ないだろうな」

「田村さんや嶺さんは、私と東城さんの話を聞いた上で、彼等と打ち合わせをしたいってことでしょうか?」

「まあ、そんなところだろう。
で、お前は、どこまでやるつもりだ?」

「はい、本部内の風通しを良くするためには、すべてです。

つまり、横尾、田村、清水、嶺の一掃です。

横尾さんについては、ディールに関連して不審な行為が見られること、それにジムを自殺に追い込んだ可能性があること。

清水さんについては、他本部の損失をうちの本部に押し付けた結果、山際さんの病を悪化させ、さらには横尾さんと共にジムを自殺に追い込んだ可能性があること。

田村さんについては、多々ありますが、9年前に私に罠を仕掛けたこと。

本部の最高責任者である嶺さんについては、田村さんや横尾さんの行動を看過し、保身に励んだこと。

私はズーッと、これらの件を公の場で暴き、正式に処分する機会を待っていました。
今回の査問会議はその絶好の機会です。

彼等はこの査問会議で私と本部長を追い落としたいと考えているのでしょうが、私は逆に、その場で過去の彼等の行為を責めるつもりでいます。

私は住井派でもなく、日和派でもなく、両者の統合銀行であるIBTに入行しました。

ただ、入行して以降、できるだけ公平な目で見る様にして来ましたが、日和派のやり方はあまりにも歪んでいます。

住井銀行出身の副頭取や本部の担当常務が去った後、嶺さんがうちを恣意的に仕切っているのは歴然としています。

実力では本部長に敵わず、やがては追い抜かれると恐れているため、嶺さんは本部長や私に不条理なことを押し付けてきました。

本部長は以前、私に‘お前なら、行内の軋轢を払拭できる’と仰いましたが、正々堂々とそうできる日は遠い先のことかと思います。

そこまでは待てません。

ですから、やや強引ですが、この機会を捉えて彼等を駆逐したい・・・」
そこまで話すのが精一杯だった。

「分かった。
お前がそう言うくらいだ。
どうせ辞めることを考えてるんだろう。
だったら、お前の好きな様にやれ。

こうなるんだったら、お前をニューヨークから呼び戻さなければ良かったのかも知れないな」
怪訝なのか、少し屈託のある重い声を残すと、窓際へと歩いて行った。

いつもなら遠くの皇居の森に目をやるはずの東城が、眼下の日比谷通りを見下ろしていた。
何か考えているのが窺える。

「会議は来週水曜日の午後3時からだ」
暫くして声を発した。

「了解しました。
ご迷惑をお掛けします」
と言い残し、ソファーから立ち上がり、ドアへと向かった。

すると、
「了、ニューヨーク出張を命ずる。明日の便で立て。
こうなったら、彼等に有無を言わせないほどの証拠を持って帰れ」という声が背後で響いた。

「はい、本部長」
振り返り、東城の目を真っ直ぐに見据えて応えた。

東城はレポート用紙に一筆添え、「何かのときにはこれを使え」と言いながら、手渡して寄越した。

ボトムに「International Finance Headquarters」と印刷された用紙には、東城のサインだけが記されていた。

用紙に調査項目を記載し、関連部署のスーパバイザーに見せれば、本部関連のことはすべて調べることができる。

 

‘このひと(男)は俺が山下に頼もうと思ったことを、自分でやってこいと言ってるのだ’

 

礼を言い終えると、再びドアへと向かった。

「年末までには一杯やろうな」
背中で聞いた東城の声からは、数分前までの厳しさが消えていた。

右手を後ろ手に挙げ、親指を立てた。

 

‘やることは一つだ。
横尾が田村やスイス系ファンドと電話で話した内容を調査するだけである’

横尾のレポーティングラインは俺だが、行内の階級は同じだ。
だから、俺の調査を横尾が阻止する可能性がある。

だが、本部長東城のお墨付きがあれば、彼も阻止はできない’

 

自席に戻ると、「悪いが、明日ニューヨークに行くことになった」と沖田に告げた。

「例の件ですか?」

「ああ、俺の査問会議が来週の水曜日にある。
そのためには、敵を封じ込めるためのエヴィデンス必要だ。

悪いが、土曜日に国際金融新聞の木村に来週の予測を送っておいてくれ。

時間がなければ、114円台があれば売りだとだけ伝えれば良い。
予想レンジは112円30銭~114円50銭だ。

もっとも、お前に頼んだんだ。
お前の書きたい様に書いて構わない」

「いえ、私もそんなところです。
いずれにしてもお気をつけて!」

 

翌日(30日)、羽田10:20発NH110でJFKに向かった。

CAを呼び、次の食事はスキップする旨を伝え、マカラン12年を頼んだ。

持参したBose のQuiet Comfortをウオークマンに繋ぐと、Y. Kishino のアルバム Rendez-Vousを選択した。

最初のトラックが ’Manhattan Daylight’だ。

心がニューヨークへと飛ばないはずがない。

 

‘週末は久々にマンハッタンでクリスマス気分かな。

できれば、マイクが20日頃に送ってくるというクリスマス・プレゼント、前倒しでアストリア・
ホテルまで送ってほしいものだが’

 

(つづく)

 

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。