第二巻 第7回  「人選」

週初(10月1日)の朝方、相場は模様眺めの展開となった。

ドル円は113円台後半でやや強含みに推移しているが、積極的にドルを買う向きも少ない。

そんな状況を見て、東城の執務室に向かった。
市場が一段落したら、’時間を貰いたい’と早朝に伝えてある。

「仙崎です」

「入れ」
いつもの落ち着いた低い声がドア越しに聞こえてきた。

ドアを開け、指示されるままにソファーに座ると、
「あっちは落ち着いたのか?」という。
あっちとはニューヨーク支店のことである。

「はい、ジムの奥さんにはマイクのファンドで働いて貰う様、提案しています。

問題は空席となった人事です。

今は小野寺を長期で出張させてますが、FED(ニューヨーク連銀)の事後調対応などを考えると、やはり英語の問題を含めてジム程度の能力がある現地人を雇う必要があるかと思います。

ただ、横尾さんが人選した場合、その人間が必ずしも山下や他のスタッフ達と調和するとは限りません。

というよりも、横尾さんは‘自分に忠実と見られる’人間を雇うと思います。

本来であれば、横尾さんに人事を任せるのが筋かと思いますが、今回は私が人選出来る様にお取り計らい願えませんでしょうか?

「分かった。

人事については、何とかする。

ところで、下半期の収益についてだが、お前個人のバジェットが20億円は大き過ぎないか?」

「確かにそう思います。

ですが、海外店のトレジャラーやチーフ連中に厳しい収益を課した手前、示しがつかないかと・・・」

「まあ、お前に任せるが、無理はするなよ。

超低金利が続いてるお陰で、銀行の収益が悪化している。

その皺寄せがこっちに回ってきているだけだ。

だめで元々のバジェットと俺は考えてる」

「分かってますが、頑張れるだけ頑張ります」
きっぱりとした声で返した。

納得していない様子が東城の顔に滲む。

重たい空気が流れ出したのを振り払う様に

「最近、どこへも行ってませんね。

どこか旨いものでも食べに連れてって下さい」と明るい声で誘い掛けた。

「そうだな。

近いうちに寿司か河豚でも行くか」

「それは良いですね。

できれば、秋ですから河豚の方が」
東城の顔に笑みが戻った。

場が和んだのを見計らって、ソファーから立ち上がり、ドアへと向かった。

「あっちの人事、週の半ばまでには話を付けておく。

ヤンキースがワイルドカードを勝ち上がれば、あっちで地区シリーズのボストン戦にありつけるかもな」
背中で東城の声を聞いた。

「はい、チケット次第ですが」
後ろ手にThumb up をしながら言う。

 

‘見抜かれたか’

 

ドアを閉めると、深々と頭を下げた。

 

ドル円相場は週半ば(3日)に114円54銭、そして翌木曜日に114円55銭を付けたが、昨年11月の高値114円73銭を抜くことはできなかった。

そして週末の金曜日、米9月雇用統計のNFP(非農業部門雇用者数)が予測を下回ったことを受けてドル円は113円56銭まで沈んだ。

先週の土曜日に国際金融新聞の木村宛てに送った予測では「来週のドル円は一旦伸び切り、反落する可能性が高い」と書いたが、正にそんな相場展開となった。

 

ニューヨーク支店の人選は仙崎に一任された。

東城の要請に常務の嶺は強く反対したそうだが、ジムの死に横尾が関係している可能性を示唆すると仕方なく折れたという。

土曜の午後、明日からの出張に備えてのパッキングをしていると、国際金融新聞の木村から電話が入った。

「珍しですね。

木村さんから電話とは?」

 

「今、社で‘ドルの強さは本物か’というテーマで原稿を書いてるんですが、行き詰ってしまい、つい仙崎さんに電話してしまいました。

何か良いアイディアはありませんか?」

「埋め草でもいいですか?」

「ええ、仙崎さんのことだから、単なる埋め草ってこともないでしょうし。
是非、お聞かせ下さい」

「最近ではあまり、真剣に議論されてませんが、ドルの信認を深刻な問題と捉えています。

トランプ政権は経済成長と経常収支のインバランス(不均衡)是正の両取りを狙っています。

財政拡大で大幅経済成長を目論めば、経済成長が叶っても、そこには財政赤字拡大と輸入増が伴いますよね。

つまり、現状の財政拡大を続けて行けば、財政赤字の増加と経常赤字の拡大は避けられないってことでしょうか。

双子の赤字とGDP比の問題は早晩、ドルの信認問題につながるため、‘ドルの強さは本物か’という、木村さんが今お書きになっているテーマにマッチングしてるかと思います。

今は取り沙汰されていませんが、何かが切っ掛けとなって、大きくクローズアップされても不自然ではない問題と考えています。

ちなみに、来週の木曜(11日)にアメリカの9月財政収支の発表がありますが、この先注意深く見ておいた方が良いかも知れません」

「なるほど、何となく良い原稿が書けそうな気がしてきました。

ありがとうございます。

ついでに、来週のドル円はどんな感じでしょうか?」

 

‘抜け目がないな、この人も’

 

「多少ドルが上がっても、やはり上値は重いと考えてます。

そろそろ本格的な調整局面入りかと。

予測レンジは112円20銭~114円75銭にしておきます。

それじゃ、ちょっと忙しいので、この辺で失礼します」

「お忙しいところ、申し訳ありませんでした」

 

パッキングを終えると、ウィスキーグラスを片手に電話を入れた。

相手はマイクである。

頼み事を告げると、

‘Whaat!?  Are u serious?’

と怒ってる様な口ぶりで言う。

来週火曜日のヤンキース・レッドソックス戦のチケットを頼んだのだから無理もない。

そう言いながらも、

「泊まりはアストリアか?

もし取れたら、Shihoに届けさせる。

でも、あまり期待するなよ。

何せ、カードがカードだからな」

と続けた。

 

‘Friends are the most valuable assets.

I owe u one’

と、多少は感謝の気持ちを込めて言った。

‘Not one,
Right?’

‘Right.
I lost!

Thank u as always’

 

‘良いヤツだ。

チケットが取れなくても、きっと志保を立ち寄らせるに違いない’

 

ボストンで行われた地区シリーズ第一戦は、ヤンキースが失った。

第二戦はマー君が5回一失点と健闘し、ヤンキースが勝利をものにしたという。

羽田でそのことを知った俺は、

‘マイク、何とかチケットを手に入れてくれ’と祈らざるを得なかった。

♪♪・・・・・ニューヨーク、ニューヨーク・・・・・♪♪・・・・・

フランクシナトラの歌声が搭乗案内と重なった。

 

(つづく)

 

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。