第二巻 第18回 「調査結果」

前週に開かれた懲罰会議を切っ掛けに、本部内にある軋轢の除去や不逞の輩を排斥する行動に出た。

ニューヨーク支店長の清水と横尾が連名でジム宛てに送信した添付ファイル、そして横尾と外部との会話が録音されたDiscなどをコンプライアンス室長の松岡に手渡し、調査を申し出たのである

松岡は今週中(17日の週)に調査結果を出すと言っていた。

組織とは不思議なもので、秘密裡に行われたはずの会議の内容、さらには俺の申し出がいつの間にか内外の支店にまで流布していた。

沖田の話では、’仙崎も馬鹿な行動に出たな’などと囁かれてるらしい。

 

‘こっちは、辞める覚悟だ。
勝手な風評などどうでもいい’

 

月曜(17日)の朝、松岡から電話が入った。

10時過ぎに部屋に来てくれという。

113円半ばで寄り付いたドル円は小幅な値動きが続いている。

「沖田、やはり上値が重たいな。
売っておくか?」

「そうですね」

「俺は松岡さんに呼ばれてるので、これから彼の部屋に行ってくる。
100本売っておいてくれ」

「了解です」

 

「本件では、結構思い切った決断をされましたね。

ここまでしなくても解決策はいくらでもあったと思うのですが、私や人事部長が関わったとなると、ちょっと事が大きくなるかもしれません。

日和派でも、住井派でもない君がここまでの決断をするのには、何か特別な思いがあるんでしょうね?」
松岡が切り出してきた。

「ええ、まぁ・・・。

日和と住井が合併してから、15年の時が流れました。

この間、国際金融本部関連では、住井出身の担当常務や副頭取が逝き、それ以降、日和出身の嶺常務が後を受け継いだ格好となっています。

嶺さんが公平な方であれば問題はないのですが、どう見ても差配が日和寄りに傾いている、少なくても私にはそう見えます。

そろそろIBTも、風通しの良い、働きやすい職場にしないと拙いんじゃないでしょうか?」

「そうですか・・・。

私は君の本部の人間ではないので、詳しい内情までは分からないが、先週の懲罰会議の件にしても、君が東城さん寄りの人間であるがために開催されたのは明らかな様ですね。

君を守るべき立場にあるはずの田村君が、敢えて君を懲罰会議にかけた。

私も嶺常務から会議の開催を促されたし、君の言っていることが正しいと考えています。

ところで君のくれた資料やDiscについてだが、実は既に調べさせてもらいました。

清水さんや横尾君が現地雇員に宛てた解雇通知の内容は酷いものだ。

彼の死は自殺と判断された様だが、私でもあんなものを上司から突き付けられたら、自殺は兎も角としても、鬱病になっていると思う。

この件では、どう足掻いても、あの二人は処分対象だ。

横尾君が外部のファンドに君のディール内容を漏らしていたことも、Discの録音から明らかになった。

外部への情報漏洩で、内規違反だ。

それと横尾君と田村君の会話には君を追い落とそうとする意図が含まれていたのも確認した。

だが、田村君は狡猾だな。

‘うん’とか、‘そうだな’とか、確かに横尾君の策略に相槌を打ってはいるが、共謀的な発言は控えている。

従って、田村君をこの件で査問委員会に呼ぶとしても、精々、参考人程度ということになる。

その程度だと、田村君・嶺常務路線を崩すことはできない。

また仮に田村君に何等かの処分が下ることになれば、東城本部長にも影響が出る。

もっとも、彼はそのことを承知の上で、今回の件を君に委ねた。

実に度胸が据わってるな、東城さんって人は。

多くの人に信望されているのも当然だな。

いずれにしても、来週中に査問委員会を開催しようと思う。

これから、本件について中窪頭取に報告してくる。

コンプライアンス室長は頭取に直結する部署だからな」

「そうですか、何かとありがとうございます。

ところで、田村さんの私に対するハラスメントですが、あれはもう問うことはできませんか?」

「大分古い話だし、ちょっと難しいな。

ただ、当時の証人でもいれば、別だけど・・・」

「証人ですか・・・、分かりました。

もし証人がいれば、取り合って頂けるということで宜しいでしょうか?」

「ああ、そうだな」
気のない返事だが、一応コンプライアンス室長の言質をとった格好だ。

 

‘いずれにしても、査問委員会でジムの仇だけは取れそうだ。

ただ、田村・嶺路線崩しが難しそうだな’

 

ドル円は20日の東京市場で、それ以前のサポート水準だった112円台前半を突き破り、その日のニューヨーク市場で一挙に110円台後半へと急落した。

FRBの利上げのペースダウン、NYダウの大幅下落、それに予算不成立を巡っての政府機関の閉鎖、これだけドルの悪材料が出れば、当然のことだった。

 

金曜日(21日)の午後、松岡から電話があった。

‘来週の水曜日に、清水ニューヨーク支店長、横尾トレジャラーの査問委員会を開催する’という連絡だ。

処分対象者としてニューヨークから清水・横尾の二名、裁定者としては松岡本人の他に島人事部長と管理部門担当の林常務が出席する。

また参考人として、俺の他に、嶺常務・田村部長・東城本部長が呼ばれている。

 

‘罰の度合いを決めるだけの査問委員会はどうでもいい。

問題は、委員会で田村・嶺を崩せる策があるかだ’

 

「課長、ここからどうしますかね?」
111円台でもたついているドル円の動きを見て、沖田が聞いてきた。

「今年の値動きを振り返ると、111円台で結構揉んでいる。

だから、今日の海外でもあまりちない気がする。

ここは少し様子を見ても良いと思うが・・・」

「そうしますか。

ところで例の件ですが、結構あちこちに広まってますね」

「そうだろうな。

自分は無実だと言わんばかりに、馬鹿部長が一生懸命に内外の支店に電話しまくってる様だし。

まるで他人事だな」

「呆れてものも言えませんね。

ところで、木村さんへの来週の相場予測はどうしますか?」

「わざわざ聞いてくれたってことはお前に頼んで良いってことか?」

「まあ、Keithのサンドイッチとスコッチ3杯ほどで」

「調子づくなよ。
今晩は拙いが、近いうちにな」
笑って言う。

「今晩は彼女ですか?」

「まあな」
図星だ。

「それじゃ、早くお帰りください。

来週の予想レンジは109円50銭~112円50銭。

‘揉み合い後に、ドルの下値を試す展開’的な感じで宜しいでしょうか」

「そうしてくれ」
と言い残すと、ディーリング・ルームを後にした。

 

志保が宿泊している帝国ホテルへは歩いて向かったが、10分とかからなかった。

ホテルの下に着いたところで、‘もう直ぐ部屋に着く’とメールを入れた。

ほどなく‘ドアを開けておくわ’というリターンがあった。

東側の出入り口からホテルに入ると、エレベーターに乗り、31階のボタンに触れた。

最上級の部屋があるフロアーだ。

エレベーター・ホールのルーム案内に従って、31XXの部屋へと向かった。

部屋に着きドアを押し開くと、バスローブ姿の志保がいつもの調子で抱きついてきた。

こういうときの志保はもう止まらない。

 

‘流れに任せるしかないな’

 

抱き合った後、志保の額に軽く唇をあて、ベッドから飛び出た。

窓に向かい日比谷通りを見下ろすと、行き交う無数の車のヘッドライトが目に入った。

 

‘パーク・アヴェニューの夜景が懐かしい。
やはりニューヨークが良いな’

 

そんな想いに耽っていると、後ろで‘シュパッ’という大きな音がした。

志保がシャンパン・ボトルを少し上にかざしながら、嬉しそうに笑みを浮かべている。

 

‘相変わらず、無邪気だな’

 

いつの間にか、‘The First Noel’が流れ出した。

 

‘俺がこのシーズンに好んで聴く曲を覚えてたのか。

案外気が利くな’

 

ふと、彼女が愛おしく思えた。

 

(つづく)

 

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。