第二巻 最終回 「ディーラーは死なず」~Bad News & Good News~

仕事始めの4日(金曜日)の4時過ぎ、東城と俺は頭取室に呼ばれた。

昨年12月に行われた懲罰会議や査問委員会に関連して、頭取から二人に何らかの裁定が下されることになっていた。

秘書の案内に従って頭取室に入るなり、
「明けましてあめでとう!」と、中窪が明るい声で二人を迎えた。

二人も、
「明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します」と返した。

「正月早々の昨日、仙崎君は銀行に来ていたそうだが、大変だったな」
ドル円が104円10銭まで急落したため、出勤していた。
そのことを誰かから聞いていた様だ。

「ありがとうございます。

市場部門の人間としては当然のことですから・・・」
有体に礼を言った。

 

挨拶が終わったところで、
「まぁ、腰を下ろしたまえ」と言いながら、中窪自身もソファーに近づいてきた。

三人がソファーに座り終えたところで、中窪が切り出した。
「ところで、今日二人をここに呼んだのは、他でもない君たちの裁定の件だ。

まずは仙崎君についてだが・・・、色々と考えてみた。

君はMOFのヒアリングに絡んで懲罰会議にかけられたが、その事案については何らの責任を問われることはなかった。

しかしながら、横尾君との争いで市場を多少なりとも歪めた事実は曲げられない。

また国際金融本部や当行の将来を見据えて取った捨て身の行動、それには感服するが、まかり間違えば、IBTの内紛などの醜聞として行外に流布する可能性があった。

思慮に欠けた行動と言わざるを得ない。

よって、君の処分だが、半年間20%の減給を課すと同時に、現職を解くことにした。

次のポジションは島人事部長と東城君に委ねる。

何か言い分はあるか?」

「特にございません」

 

‘辞める覚悟で臨んだ行動だ。

この程度の傷は当然だろう’

 

「さて、次に東城君の処分だが・・・、君は懲罰会議と査問委員会の事案のいずれにも、直接は関与していない。

だが、現場の総監督として配慮に欠ける点があったと思う。

その点について、君はどう思っている?」
日頃から東城と懇意にしている割には、厳しい口調で中窪が聞いた。

「はい、頭取の仰る通りかと存じます。

しかしながら、・・・」
珍しく東城が言い淀んだ。

「しかしながら、何だ?」
中窪が続けろと促した。

「恐縮です。それでは、続けさせて頂きます。

近年の超低金利で銀行の収益が急速に衰える中、我が行も御多分に洩れない状況であり、
もはや行内の派閥争いなどに時間を取られている場合ではないと常々感じておりました。

従いまして、私は最も信頼する部下である仙崎の行動を看過し、否むしろその行動を側面から支持して参りました。

それが本部内にある軋轢を取り払う、逸早い方法だと確信したからです。

また、そして我が本部の風通しが良くなれば、やがてそれが行内全体に行き渡る、そう信じてこその決意でもありました。

そうした思いに一点の曇りもなく、取った行動に後悔の念は微塵もございません。

如何なる処分もお受けする所存です」
低音だが、張りのある東城の声が頭取室に凛と響いた。

暫く間を置いてから、中窪が苦笑いを浮かべながら、口を開いた。
「あいわかった。

いつも潔いな、君は・・・。

それでは、君の処分について申し渡す。

実は来期、君を常務取締役に昇進させ、本格的に経営に参加させるつもりだった。

だが、島君の話では、君の現職の後釜が見つからないらしい。

従って、君には常務になってもらうが、現職と兼務という形でだ。

つまり、‘忙しくなる’、それが君への処分だ。

それと仙崎君同様に、半年間20%の減給を課す。

それでいいかな?」

「過分なるご配慮、ありがとうございます」
東城は背筋を曲げずに深々と頭を下げた。

「それじゃ、これでお開きにするか。

おっと、言い忘れ事がある。

俺の裁量で、期末に特別ボーナスを優秀な行員二人に渡すことができる。

それ以上は言えないがな」
笑いながら、窓際へと歩いて行った。

それを見計らい、二人は「それでは失礼致します」と言い残し、部屋を辞そうとした。

するとまた、中窪の声がした。
「そうそう、もう一つ言い忘れていた。

仙崎君、君は大のMLBファンだそうだね。

今度俺にも、MLBのこと教えてくれないか」

「はあ、いつでも」
不可解に思いながらもそう答えて、東城と共に頭取室を後にした。

 

「俺の部屋に寄らないか?」
ディーリング・ルームに戻ったところで、東城に誘われた。

「頭取らしい計らいだな。
行内の体面上では俺達を罰し、締め括りでは帳尻を合わせてくる。

まぁ、ちゃんと見ている人は見ているってことだ。

まだまだ捨てたもんじゃないな、IBTも」
執務室に入るなり、東城が背伸びをしながら言う。

その目線の先には、暮れかかった遠景に薄っすらと浮かぶ皇居の森があった。

「そうですね。

まだまだ大丈夫そうですね」
東城の真似をして、背伸びをしながら言った。

「ところでお前から預かってる辞表、どうする?」

「島さんと本部長の決定次第ですかね」

「そうか、島と話して早急に決めるとするか。

いずれにしても、お前みたいな優秀なディーラーをこのまま死なせるわけにはいかないな。

まぁ、楽しみに待ってろ」

「はい。

それでは、失礼します」
と言い、窓を背にして歩き出した。

ドアに手を掛けたところで、
「了、今晩寿司でもどうだ?」の声がかかった。

右手を後ろ手に挙げて親指を立てて言った。
「待ってました。

一人、余計なのを連れてっても良いですか?」

「Sure, why not?」
暫くぶりに聞く東城の英語だが、良い発音だ。

半開きのドアの外に、二人の大きな笑い声が広がった。

 

‘帝国ホテルの部屋で待ちくたびれているであろう志保のことが気にかかる。

既にご機嫌斜めかも知れないが、旨い寿司を食べに行こうと誘えば、直ぐに機嫌が良くなるはずだ’

 

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5時過ぎに支店を出ると、パーク・アヴェニューの歩道を南に向かって歩き出した。

3月中旬とは言え、夕方のニューヨークは結構寒い。

だが、ニューヨーク支店にトレジャラー(為替・資金部長)兼支店長補佐として戻れたことで心は温かい。

東城の粋な計らいである。

‘今度、MLBについて教えてくれ’と言っていた頭取の気配りもあったに違いないが、敢えてそのことを東城には尋ねなかった。

 

‘やはり、ニューヨークは良いな’

 

そんな思いで歩いていると、宿泊先のウォルドルフ・アストリアが見えてきた。

そのメイン・エントランスの前で志保が手を振っている。

 

‘寒いからロビーで待ってろと言ったのに・・・。

彼女らしい’

 

彼女も俺を見つけたらしく、こっちに向かって走ってくる。

二人の距離が1メートルほどに縮まったところで、志保が抱きついてきた。

いつものことだ。

転勤の決まった1月、親友のマイクが運営するファンドへの移籍を辞退した。
そのことを彼女に伝えた時は酷くがっかりしていた。

だが、今はもうそんな様子は微塵もない。
車を飛ばせば一時間で会える、そんな距離に俺がいることが嬉しいらしい。

そのまま抱き締めていたかったが、ホテルのベルボーイが羨ましそうにこっちを見つめているのが気になり、そっと志保を放した。

予約してあるレストランに向かって歩き出すと、
‘了、もう直ぐあなたの好きなMLBも開幕ね’と言いながら、右手を俺の左手に絡ませてきた。

 

‘たまらなく愛おしい’

 

さっきまで冷たく感じられたパーク・アヴェニューを流れる風が、ふと温かく感じられた。

 

’♪ New York, New York ♪’

嬉しそうに志保が鼻歌を口ずさんでいる。

 

(完)

 

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。