シーズンⅠ「落ち込んだ国際金融本部の収益改善」」カテゴリーアーカイブ

第17回 「顧客の含み損」

―――9月期も今週で終える。

帰国してから5カ月も経っていないが、多くの出来事があった。

収益改善での苦労、JMI(日本海上保険)とのトラブル、田村との確執、部下の前島の失踪などが脳裏に浮かぶ。

こうした問題の多くは、尊敬する上司の東城、必死に自分をサポートしてくれる部下の山下、そして社外の友人・知人のお蔭で何とか解決してきた。

もっとも、解決の糸口すら見つかっていない問題もある。
かつての恋人・岬との関係だけは、彼女が人妻である以上はどうにもならない。
夫と別居中の身とは言え、簡単に彼女との距離を縮めるわけにはいかないのだ。

だが、まだ攻め時は来ていない。
もしかしたら、永遠に攻め時は来ないのかもしれない。
‘辛い関係が続きそうだな’

いずれにしても来週からは下期が始まる。
‘頑張らねばならないな’―――

週前半(25日~26日)、ドル円は12円半ば(112円半ば)で上値の重たい展開から11円半ばまで反落した。

市場が先週の高値12円72~99銭(昨年12月の高値118円66銭からの安値107円32銭の半値戻し)を攻めることに躊躇しているのだ。

しかしながら、週半ばにはイエレンFRB議長のタカ派的発言で、ドルの買い方が勢いづき、2カ月半ぶりの水準となる13円26銭を付けた。

9月末でなければ、関心を抱く状況だが、この時点で収益を振らすことはできない。

ここは少し相場から離れる良い機会と捉え、事務仕事に専念することにした。

そんな折、廊下ですれ違ったバックオフィスの山根美佐子が耳に入れておきたい話があると声を掛けてきた。

山根には外国為替部に異動になった当初、事務的なことで随分と世話になった。

為替取引やマネー取引に関する知識が豊富であることや、国内外のバンキング・システムにも通じていることが評価され、今は事務管理統括部長にまで昇進している。

インテリジェンスの権化みたいな風貌でややきつい顔つきに見えるが、根はやさしい人である。

「仙崎君、君の管轄だから当然カスタマーの収益管理もしてるわよね?」
相当に歳下なので、昔から君づけで呼ばれているが、気にしたこともない。

「もちろんしてますけど、何か?」

「ここ半年急速に為替の取引高と収益が増えている企業があるけど、何か変だと思わない?」

「それって、コネティカット・ファーマシーのことですよね。
チーフの浅沼にその辺のことは聞いてますが、担当の安居真紀が頑張って取引を増やしてきたという話なので、彼の言葉を文字通り受け取っています」

「少し気を付けた方が良いかもね。
先日うちの若い子達と食事に行ったときの話だけど、彼女達がこの夏、銀座のイタリアン・レストランで安居さんと30代の男性とが一緒に食事をしてるところに出くわしたらしいの。
そのときはコネティカットの担当者だと紹介され、接待だと言ってたそうよ。
でも、若い子達の一人が数日後にまた青山通りでその二人が仲良さそうに歩いているのを見かけたと言ってる。
まあ、だとすると恐らくそういう話よね」

「銀行の顧客担当が顧客企業の担当者と付き合う、それはあり勝ちな話ですよね。
仮に二人が真剣に付き合っていれば問題はないでしょうが、取引が急増したというのは色々な意味で拙いかもしれませんね。
情報、ありがとうございます。
早速調べてみます。
山根さんのことだから、本件、彼女達には他言無用と言って頂いてますよね」

「当たり前でしょ。
それにうちの子達全員、仙崎君のファンだから、あなたに不利になる様なことは言わないわ。
それより、たまにはおばさんとも付き合いなさいよ。
昔より美貌は衰えてるけどね」
と笑いながら言う。

「今でも、美貌を十分に維持してるじゃないですか。
それじゃ、失礼します」
と言って、その場を辞した。
別れ際、どことなく彼女の顔が赤らんだ様に見えた。

 デスクに戻り、改めてカスタマーの取引状況を確認すると、確かにコネティカットの取引高が急増し、コミッション収益も前年比で3倍に上っている。

この点では問題はないが、コネティカットの含み損が大きいのが気懸りだ。

確かに未決済残高(決済期日前の残高)はリミットこそ超えていないものの、含み損はリミットの5000万円に近い。

コネティカットの担当の上司はこのことに気付いているのだろうか。

外資系企業は経理・財務関連部署を少人数でやりくりしているケースが多い。

チェック機能が十分に働かなくなる可能性がある。

一応、全てのディールのコンファメーション(確認書)が戻ってきているかを確認しておく必要がある。

コーポレート・デスクのチーフ浅沼に電話を入れ、5分後に社食で会うことにした。
2時過ぎともなると、もう利用者はいないはずである。

「山下、社食に行ってくるが、後は頼む」
と言って、席を離れた。

既に浅沼は皇居の森が一望できる窓際の特等席に座っていた。

山根との会話のあらましを話した上で、
「取引が急増してるのは兎も角としても、含み損が大分増えているのが気になる。
仮にそのことを担当者の上司が知らないと拙い。
土台、製薬会社がこんなに沢山のスペック(投機取引)を行っているのも不自然だ。
まずは、先方から戻ってきた今期のコンファメーションに不信な点がないか調べてくれないか?
本件は山根さんも心得ているから、バックオフィスからコンファメーションを借りることに問題はない」

「そうですね。うちから提供しているクレディット・ライン(与信枠)や損失リミットには抵触してませんが、担当者が何か隠していると拙いですね。
了解しました」

「それと、安居君と担当者との関係も気になる。
それとなく探りを入れておいてくれ。
先方との接待の回数とかもな。
お前も月末・期末で忙しいだろうから、来週初辺りまでに調べておいてくれればいい。
話はそれだけだ。
今期もご苦労だったな。
大分お前のところの収益も回復してきた様で良かった。
それじゃ、本件、また来週に話そう」

 週後半のドル円は再び直近高値の13円26銭を試したが、抜けないまま再び12円台に押し戻された。
実需のドル売りが出るなか、少し高値警戒感もある。

週末の東京市場は12円半ばを中心とした模様眺めの展開に終始し、海外市場も動意薄の展開になりそうな雰囲気である。

 
 週末の夜、久々に山下を誘い、銀座のカウンターバー‘やま河’に出向いた。
「9月期はご苦労さん、お蔭で助かったよ。
まずは、ビールで乾杯だな」

直ぐにカウンターにラガービールのボトルと麻布十番の塩豆が置かれた。

塩豆を一つ二つ口に放り込みながら一杯目を飲みほしたところで、グレフィデックのロックとラフロイグのロックを注文した。

ウィスキーグラスがカウンターに置かれるや否や、山下が
「タマゴサンド1.5、野菜サンド1.5、それに何かこれに会いそうなアテをお願いします」
とママに頼んだ。

「それは俺の分も入れてのオーダーだろうな」

「もちろんですよ。
減量中ですからね」
と半ばふてくされて言う。

ロックが二杯目に移ったところで、コネティカットの話を持ち出した。
「そうだったのですか。この半年あそこのディールが増えているのは分かっていたのですが、少しやっかいな問題に発展しそうですね」
心配しているのだろうが、彼の問題ではない。
トレーディング収益に追われ、カスタマー管理に目が行き届かなかった俺の責任が大きい。

「そうだな。男女の関係にビジネスが絡んでいるとなると、ちょっと拙いな。
なかなか全ては上手く行かないもんだ」
溜息をふーっと吐いた。

そんな様子を見て山下が励ます様に言う。
「岬さんという、心の支えがあるじゃないですか」

「ばか、今は心の支えどころではなく、むしろ心配の種だ。
彼女の夫が岬の身辺を探っているらしいという話も何となく気懸りだしな。
まあ、残念ながら岬の件は当分、様子見だな」

「そうですね。家内も心配なので、毎日の様に電話を入れている様です。
今日はとりあえず、飲みましょう。
了さんの相場予測をつまみにして」

「俺の今の予測はだめだ。このところ、JMIや前島の件があったので真剣に相場を見ていない。
お前の方が相場が見えてるんじゃないのか。
どうなんだ?」

「今週、市場は実需の(ドル)売りを意識していた様です。
ドルが続騰してますから、ディーラー仲間も相当に高値警戒感を持っているのも事実です。
でも、予想外にドルの下値が堅いですね。
シカゴがまた円売りに動いたというのも気になります。
一応、来週は13円26が抜けた場合は14円台前半もあり、抜けない場合は10円台後半もありといったところでしょうか」

「本邦では週初の日銀短観、衆院選を控えての株価動向、アメリカではISM、米雇用統計、気の緩んだところでの米朝問題復活など、盛りだくさんだな。
お前の言う様に、10円台~14円台程度で構えておくのが無難か。
まぁ、期初だから慎重に行くか」

(つづく)

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第16回 「会えなくなった二人」

―――9月末決算のバジェットに大方の目途が付いた先週、東城から休暇を取る様に命令された。

それに従って休暇を取り、松本の奈川に出かけることにした。

禁漁前のフライフィッシングが目的だが、松本に暮す岬の近況もこの目で確認しておきたいという思いもある。

三連休(16日~18日)でフィールドを訪れるフライマンが多いため、19日(火曜日)の午後に出発することにした。

そんな折、山下からジュニア・ディーラーの前島の様子が変だという連絡が入った。

そして岬からも奇妙な電話が入る―――

 日本が祝日の週初(18日)、アジア時間の相場は模様眺めの展開となり、ドル円も11円台前半(111円台前半)で終始した。

ところが、海外で重要水準の11円65*を抜き、66を付けた。

完全に抜けた訳ではないが、一度抜けたレベルを再度試しに行くのが相場の習性である。

果たして翌日の東京でそこを抜きにかかった。

そんななか、山下から携帯に電話が入った。

奈川に向かう直前の午後2時過ぎのことである。

「ジュニアの前島が突如消えてしまいました」

「どういうことだ?」

山下は

‘クルーシャル(重要な)・レベルの65(11円65)が完全に抜けたので前島がドルを10本、75で買った。

その直後に彼がディーリング・ルームを飛び出して行った‘と訳の分からない説明をした後、

「何かにショックを受けたというのが周囲の話ですが、細かな事情は分かりません」と言葉をつないだ。

「それで、あいつの携帯に電話を入れてみたのか?」

「はい、今独身寮に帰る途中の様です。
嘘を付く様な男ではないので、多分、あと30分ほどで寮には着くと思いますが」

「先週お前に、‘月末まではカバーに徹する様に皆に指示しておけ’と言ったが、それは伝えてあるよな?」

「はい、今朝のミーティングで伝えてあります」

「ふーん、そうか。
とすると、何か裏があるな。
確かあいつの限度(取引可能額)は5本までだったよな。
それが何で10本のディールをやったんだ??? 
その辺に理由があるのかも知れないな。
万が一のことがあると拙い、俺が寮まで行ってみるよ」

「だけど課長、これから奈川へ出かけるところじゃないんですか?」

「それより、前島のことが気になる。また後で電話を入れる。お前はデスクに残れ」と命令口調で言った。

‘今日はもう、あっちに向かうのは無理そうだ’
奈川のペンション‘野麦倶楽部’に電話を入れ、チェックインを明日にしてほしい旨を伝えた。

 前日に四谷のトヨタレンタカーで借りておいたプラドに乗り込むと、船橋にある独身寮の住所をナビに入力した。

かつて自分が住んでいた場所だが、神楽坂からの道順はさっぱり分からない。

取り敢えず、飯田橋ICから首都高5号線に入り、後はナビの指示従うことにした。

‘こういうときはナビが便利だ’

一時間ほど走ると、京葉道路の‘原木’で高速を降りろという指示が出た。

ランプウェイを降りた後は一般道を船橋市内に向けて走れば良いらしい。

指示通りに20分ほど走ると、ランドマークの船橋市役所近辺に出た。

確か独身寮は市役所の裏手方面だったはずだ。

寮を離れてから8年以上も経つが、この辺りは昔とあまり変わっていない様子で土地勘が甦ってくる。

同時に‘目的地周辺です’のナビの案内が聞こえ、間もなく見慣れた寮の建物が目に入ってきた。

敷地内に入り、車を玄関の前に止めると、管理人が近づいてきた。
見慣れた顔である。

「おう、了君か。元気だったか? 活躍してる様だな。
寮に居た人間が活躍してるのを聞くと、管理人としても嬉しくなるよ。
ところで、今日はどうした?」

「唐突な話ですみませんが、前島君は戻ってますか?」

「ああ、さっき戻ってきた。調子悪いので、早引けしてきたと言ってたけどな」

「そうですか、彼の部屋番号は?」

「303だ」

「ありがとうございます。車、このままで良いですか?」

「ああ、大丈夫だ」

「ちょっと、部屋に行かせてもらいます」

303は3階の3号室だ。
4階建ての寮にはエレベーターが付いていない。
一挙に3階まで駆け上がり、303のドアをノックした。

中から
「おじさんですか?」
前島の声だ。

声を聞いたところで、安堵した。

そして一息つき、
「管理人さんじゃない、仙崎だ。中に入れてくれ」
と落ち着いた声で言う。

「えッ、課長。本当ですか? ちょ、ちょっと待って下さい」
ドア一枚を隔てただけなので、少し慌ててる様子が伝わってくる。

数分すると、前島がドアを開け、
「どうぞ、入って下さい」と招じ入れてくれた。

「おう、どうした? 心配したぞ。山下から電話を貰ったが、突然消えたそうだな」

「はい、申し訳ありませんでした。どうもあの場にいるのが辛くなってしまったので・・・」

「良かったら、話を聞かせてくれないか?」
急かせずに、相手の出方を待った。

前島は状況をとつとつと語り出した。
その目にはかすかに涙が滲んでいる様だ。

・・・・・

一年先輩の中村と相場感を照らし合わせているうちに、‘ここは買い場だ’という話になった。

そこで二人合意のもと、5本・5本、計10本を75で買ったが、その直後に中村が寝返った。

中村は
「やっぱり俺は止めた。
10本全部のお前のポジションにしておいてくれ。
俺は今月マイナスでちょっとこれ以上は拙い」
と命令口調で言い放ったという。

その後、言い争っているうちにドルがオファー(売り気配)になり、50でストップを置いて銀行を後にした。
・・・・・

というのがお凡そのストーリーである。

改めて聞けば、大した話ではないが、問題は先輩に裏切られた前島の心が傷ついている点だ。

限度オーバーも気にしているに違いない。

かつての俺も田村の罠に嵌り、深く傷ついた。

同僚や上司に裏切られた気持ちは痛い程分かる。

‘真剣に対応してあげなければな’

「凡その内容は分かった。
ところで、お前はまだ、市場に残っていたいのか? 
むろん、遠い将来のことではなく、今の話だ」

「はい、課長の下で仕事を続けたいと思ってます」

「そうか、ちょっと待ってろ」と言い、
携帯を取り出し、山下に電話を入れた。

「あっ、課長。どうでしたか?」
真剣な声だ。
余程心配していたのだろう。

「前島は大丈夫だ。
悪いが、前島の限度枠を今日付けで10本に訂正しておいてくれ。
また詳しいことは後で連絡する」

「課長、どういうことですか?」と前島が訝しげに尋ねてきた。

「お前は今日、正当な枠の中でポジションを取ったわけで、行内ルールを犯していないということだ。
そしてこれからは、これまでの倍のポジションを取れることになる。
不足ならもっと枠を増やすか」
微笑みながら答えた。

「いえ、10本で十分です。ありがとうございます」
深々と頭を下げ続けている。

「もう良い、顔を上げろ。
じゃ、俺は帰るが、山下に電話を入れておけよ。
その時、25と30(11円25、30)で5本ずつ、買いのリーブを入れておくと良い。
今週中にまだドルは上がる。
きっと利食える。
ただ、これは俺が特別に許可した月中の最後のポジション・テイキングだ。
10月に入るまではカバー以外に手を出すな」
きっぱりと言った。

’もうこれ以上、言うことはない’
そっと、部屋を後にした。

階段を下りかけたところで、
「課長、ありがとうございました。また頑張ります」
という前島の声が聞こえた。
寮中に響き渡る様な大声である。

 管理人夫妻がホールのテーブル席で待っていてくれた。
仲の良い夫妻である。

「お帰りですか?」
奥さんが言う。

「はい、今日は手ぶらで来てしまって申し訳けありません。
次回はお二人が好きだった‘岡埜栄泉の豆大福’を持ってきます。
あいつの件は、もう心配要りません。
昔の僕ですよ」
管理人夫妻はかつて俺が悩んでいたときのことを良く知っている。

「それは良かった。
かつての了君の経験が今日は生きたってところだな。
それじゃ、気を付けてな。
今度は泊りがけで来いよ。
いつでも部屋は空いてるから」

「はい、是非。それじゃ、失礼します」
と言い残し、プラドに乗り込んだ。
フェンダーミラーに手を振る二人の姿が映っている。
窓を開けて、手を振り返した。

帰路の途中で幾度も渋滞に巻き込まれ、神楽坂の社宅に着いたときには、時計の針は8時を回っていた。
‘今日も、宅配ピザだな’

ピザが届くのを待つ間、ベッドに横たわって目を瞑った。
疲れが出たのか、眠りに落ちた様である。
夢の中で携帯電話の鳴る音が聞こえる。
やがてそれが現実の音に変わった。

「了、私」
岬である。

「どうした?」

「来るのは金曜日よね?」

「ああ、そうだけど。何か都合でも悪くなったの?」

「うーん・・・。上手く説明できないんだけど、どうもここ最近、見知らぬ人がお店の様子を窺っているの。
母は夫が雇った私立探偵じゃないかって。
そう言われてみれば、そういう気もするの。
猜疑心の強い人だから、やりかねないわ」

「つまり、岬が誰かと付き合ってるかどうか、探ってるってことか?」

「多分。もちろん、了にこの間、会ったことも知らないし、他に疑われる様なことは何一つないわ」

「でも、そういう状態だと、金曜日は拙いな。
少し間を空けて様子をみた方が良いかも」

「そうね。でもせっかく了が奈川に来てるのに会えないのは残念だわ」

「実は、今まだ神楽坂にいるんだ」
前島の件を説明した。

「そうなの。大変だったのね。でもフライフィッシングはやりたいんでしょ?」

「まあな。でもこの際、釣りはどうでも良い。また10月に入って、状況が変わったらそっちに行くよ」

「分かった。なんだか貴方に迷惑をかけそうで、とても恐いわ。ごめんね」
涙ぐんでいる様だ。

「そこまで心配しなくて良いよ。
それじゃ何かあったら、連絡をくれ。おやすみ」

「おやすみなさい」

電話を切ってから、彼女が別居を始めた理由が少しずつ分かり出した。

 今回の奈川行きは取り止めにし、翌日から横浜の実家へ帰ることにした。

久しぶりに見る母の顔である。

中華街でペキンダックを奢り、みなとみらいでハンドバッグを買ってあげた。
母の喜ぶ顔を見ながら、‘早く結婚しないと拙い’という気持ちになったが、当分は無理そうだ。

かつて岬とロイヤルパークから夜のベイブリッジを延々と眺めていたことが思い出される。
‘もうあんな日は来ないのかも’

ドル円は木曜日に7月17日以来の高値水準となる112円72銭まで上昇し、112円前後で週末のニューヨークを終えた。
どこかで前島は利食えたはずだ。

7円32(107円32銭)から続いている一連のドル高局面で、調整らしい調整が入っていない。

この先の焦点はフィボナッチ水準の12円99(112円99銭)*だが、その直前に年初来高値18円60(118円60銭)を起点とする抵抗線が走っているし、来週は調整かな。

もっとも、10月に入るまではポジションを取らない。

深く考えるのは止めておこう。

(つづく)


*11円65: 118円66銭(昨年12月15日)と107円32銭の38.2%戻し
*12円99:同50%戻し

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第15回 「近づく9月末」

―――日本海上保険(JMI)運用部からの理不尽な要請を拒絶したが、その反動は思いのほか大きかった。

先方が他部署との取引をも見合わせると通達してきたのだ。

行内にも動揺の輪は広がったが、市場を歪めることはできない。
JMIの総意と良識を信じ、正攻法で押し切った。

果たして禍転じて福となす格好で決着が付いた。

旧知のJMI副社長有村が動いてくれたのである―――

 JMIの件で時間を取られ、収益回復が少し遅れてしまった。

9月末まで、それほど時間が残されていない。

自分の立てた目標を達成するためには、少しトレーディングのピッチを上げる必要がある。

気持ちだけは逸るが、相場付きが悪くなり出しだ。

週初の11日のシドニーで、8円05近辺でギャップアップ・オープンとなってしまったのである。

その前の週に年初来安値8円13を潰し、7円32を付けた後に7円85(107円85銭)で越週した。

その状況を考えて、週初はドルの下値をテストすると見ていたが、もはや市場にその雰囲気はない。

北朝鮮が建国記念日(9日)に軍事行動に及ばなかったことや、ハリケーン‘イルマ’の勢力が弱まったことが背景にあるとは言え、やや虚を突かれた感がある。

この先、ショートカットが出ることは間違いない。

先週9円台で作ったドルショートは8円70で閉じ、1.1880のユーロドルのロングも1.19台で閉じた。

とりあえず利を残したものの、明らかに相場感を失っている。
手詰まりだ。

ドルの上昇は節目々のドル売りで一時的に止まるが、下がらない。

ショートカットを巻き込みながら、その日のニューヨークでドル円は9円51まで吹き上がった。

翌日(12日)もドル円は110円を付け、戻り売りが機能しなくなった。

ECB理事会でユーロ高牽制が出るのを恐れ、少しずつユーロもオファー(売り)気配である。
ECBが実弾介入に出るはずもないのだが、ポジションがユーロ・ロングなのだ。

‘少し状勢を見極める必要があるな。焦るのは止めよう’

 そんな気持ちでスクリーンを眺めていると、嶺常務から電話が入った。

「常務から直接のお電話とは、何か急用でしょうか?」

「いやー、仙崎君、君のお蔭でJMIが大きな取引を持ち込んできてくれたよ。
IBT証券で100億の株式を購入し、国際フィナンス部にもJMIがリードする(幹事役である)シンジケート・ローンの話を持ち込んできてくれたそうだ。
さすが、君はわが行のエースだな。礼を言うよ。
まあ、そのうち一杯やろうじゃないか」

と言うと、一方的に電話を切った。

‘先週あれだけ俺のことを面罵し叱責していた人物が発した言葉とは思えない。
まあ良い、事が上手く運んだんだ’

それはそれとして、全く相場が読めないのが困った。
山下等のカバーは手伝っているものの、プロップ・トレーディング(ポジション・テーキング)ができない。

そんななか、ふとジェネラル・アカウント*(一般勘定)に目をやると、それまでマイナスだったトータル金額がプラスに転じている。

「山下、先週からアカウントに目を通す時間がなかったが、ジェネラル・アカウントがプラスになっている。何故だか分かるか?」

「はい、東城さんだと思います。
先週、課長が離席している間にドルを100本買ってました。
その収益が原因だと思いますが」

‘東城さんらしいな’
「そうか、少し東城さんの部屋に行ってくる」

 東城の執務室のドアを叩きながら、
「仙崎ですが、少しお時間、宜しいでしょうか?」

「おう、入れ」
声がドアと反対側に向かって発せられている様だ。
果たしてドアを開けると、皇居の森を眺める東城の後ろ姿が目に入ってきた。
‘相変わらず、背筋が伸び、凛としている’

「失礼します」

「まあ、座れ」
と言いながら、窓を背にした東城もソファーに近づいてきた。

「JMIの件ではお騒がせしましたが、首尾よく決着が付いた様です」

「そうらしいな。
さっき、嶺さんから電話があったよ。
それにJMIの有村副社長からもな。
お前に感謝していた。
お前から連絡を貰わなければ、会社の評判を落とすところだったと」

あっちで(ニューヨークで)、有村に東城の存在を話したことはあったが、お互いに面識はない。

‘東城さんに電話を入れてくるとは有村さんらしい気遣いだな’

「そうですか。良い方ですよね」

「ああ、これもお前をあっちに行かせたことの成果だな。ところで、話とは?」

「本部長、先週ポジションをお取りになったのですか?
ジェネラル・アカウントがプラスに転じてました。
どうもありがとうございます」

「なあに、礼を言われるほどのことじゃない。
お前がJMIの件で忙しそうだったから、少し手伝わせて貰っただけだ。
途中ヘッドウィンド(逆風)に吹かれたが、昨日からの動きで大分プラスになった様だな。
マイナスを出さなくて良かったよ」
と笑って言う。

‘うちの連中もドル売りに前掛かりになっていた。
敢えて東城はその逆を張り、彼等がロスを出したときの防波堤となったのである。

なかなか抜けきれなかった年初来安値8円13銭を抜いた後の相場で、もう少しドルが下押される可能性があった。
そんな局面での逆張りには勇気がいる。

凄い人だ。
この人の下で働けて良かった’

「確かに私のトレーディングが疎かになっていました。助かりました」

「まあ、たまには俺も市場に入らないと、偉そうなことも言えないからな。
それはそれとして、この数カ月お前には随分と働いて貰った。
お蔭で本部の4~9(上半期)は何とかなりそうだ。
海外もまずまずだ。
ニューヨークはお前が抜けた後、嵩上げこそ出来なかったが、それでもバジェットは達成しているし、他の海外店も問題はない」

「本当ですか。それは良かったですね。じゃ、前祝いですか?」

「調子づくな。それは9末(9月末)を越してからだ。
ところで、お前は夏休みらしい休みを取っていなかったな。
少し休め。

最近、人事も有給休暇の消化については神経質だ。
社宅でも仕事をせざるを得ないだろうが、それは為替ディーラーとしてのお前の宿命だ。
だがここでお前に倒れられたら、俺の監督責任になる。

それにうちもブラック企業扱いされかねない。
そろそろ長野の川も禁漁だろう」

「ありがとうございます。
それでは、来週にでも。
ただ、まだ自分の立てたターゲットに少しだけ届いていません。
それを熟してからということで」

「まあ、勝手にしろ」
苦笑いしながら、呆れた様子を見せた。

「ところで、人事の件ですが、年度末で山下と沖田を入れ替えようと思っているのですが、上に話を付けておいて頂けますでしょうか?」

「そうだな。山下もそろそろ、あっちへ行かせる時期だな。それに沖田も大分、長くなったし、了解した」

来月早々に一杯やることを約束して、部屋を辞した。

 翌日も相場が読み切れないまま、暫くインターバンクをサポートしながら、ジョビングに徹することにした。

ドルを買う気にもなれない、売る気にもなれない、そんな展開である。

週後半の木曜日になっても良く分からない展開が続き、早めに社宅に帰って海外の市場を見ることにした。
来週のFOMCを控えて、今日発表される8月の米CPIを見ておきたかった。

部屋に入ると、ダイニング・テーブルにメモが置かれていた。
母の字である。

‘お前の好きな稲荷寿司と煮つけを作っておきました。
酢飯だけど、念のために冷蔵庫に入れておきます。
お彼岸には帰ってくるのでしょうか? 
たまには父さんのお墓参りにでも出かけませんか。
健康に気を付けてください。母より’

少し感傷的になるが、頭を振って堪えた。

稲荷寿司と煮つけ、それにビールをデスクに運ぶと、マーケット専用のPCのスイッチを入れた。
時刻は8時過ぎである。
10円半ばで少しビッド気配。
CPI発表前だというのに、誰かがドルを買い出したのだ。

9時半、数字が発表された。
総合指数もコアも予想より良い。
ドルが跳ねた。

直ぐにニューヨークの沖田に電話を入れた。
「上はどこまでだ?」

「05(11円05銭)です」

「レベルは?」

「80 around(10円80近辺)」

「50本売ってくれ」
’8月4日の高値11円05は肝の水準だ。
ここを完全に抜けないのであれば、一旦は売りだ’

「81で出来ました」

「ありがとう。ストップだけ11円65で入れておいてくれ。忙しいところ、悪かったな」

「どう致しまして。何かあったら、お電話しますが、とりあえずお休みなさい」

ドルを売ったところで少し気が晴れた。
残りの稲荷寿司を口に頬張った。
‘やはり、お袋の作ったこいつは旨い’

落ち着いたところで、ラフロイグを飲みながら母親にメールを入れることにした。
BGMは Al Haig の ‘Duke’n’Bird 。
芸術的なピアノが良い。

「稲荷寿司、旨かった。どうもありがとう。23日に帰ります」
’少し気の利いたことを書こうとしたが、どうも母親宛てのメールは苦手だ。
短いメールになってしまったが、まあ由とするか’

実家は横浜の永田にあるので、社宅のある神楽坂からは少し遠い。
だが、母は時間を見つけては、社宅の掃除や夕飯の用意をするために、ここまで来てくれているのだ。
それを思うと、遠いなどと言ってはいられない。

 翌日の早朝、またもや北朝鮮が北海道を跨いでミサイルを発射した。
有事の円買いは9円半ばまでだった。
それでも、昨晩10円81で作ったショート・ポジションにとっては慈雨である。

北朝鮮の軍事的挑発に少し食傷気味となった市場は(ドル売り)円買いに積極的でなくなりつつある。
9円95で買い戻すことにして、後は様子見と決め込んだ。

そんな俺の様子を窺いながら、山下が例のごとく、
「来週はどうでしょうか?」と聞いてきた。

「フィボナッチ水準の11円65*をブレイクすれば、112円前半もありえるが、それにはFOMCのドットチャート(参加者の政策金利見通し)で12月利上げ見通しの人数が多く、イエレンの強いタカ派的発言が必要になる。

ただ、このところFEDの利上げ決定や観測はドルを下支えてはきたが、押し上げてはいない。

だから、11円65ブレイクは難しい様な気がする。

逆に11円65を超えられなければ、再び8円台への反落もあると思う」

「そうですか。それじゃ、少し静かにしておきますかね」

「そうだな。もう9月期の数字もほぼ固まった。
ここからはカバー中心で行く様に、皆に伝えておいてくれ。
来週は東城さんの命令で夏休みをとることにした」

「また松本方面ですか、岬さんと会えますね。
この間の話もまだ聞いてませんから、今度まとめて聞かせて下さい」

「あまり、上司をからかうな。ニューヨークへの転勤を取り消すぞ」

「えっ、それは困りますよ」

「大丈夫だ。東城さんにも伝えてある。それじゃ、来週は頼んだぞ」

その日のニューヨークは11円33を付けたものの、8月の米小売売上高が予想を下回ったことからドルが反落し、10円85で終えた。

(つづく)

*ジェネラル・アカウント(general account):
予期せぬことで生じた利益や損失を暫定的に処理するための勘定。通常は損失が発生することが多い。呼称は銀行によって異なる。

*111円65銭: 118円66銭(16年12月15日)と9月8日の安値107円32銭の38.2%リトレースメント

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第14回 「敵の中の味方」

 ―――北朝鮮による北海道を跨いでのミサイル実験で「有事の円買い」を絵に描いた様な展開となった前の週、ドル円は108円27銭まで下落した。

しかしながら、その後も年初来安値の8円13銭を試すまでには至らず、徐々にショートカバーを中心にドルが買われ、木曜日には10円67銭まで値を戻していた。

週末に発表された米8月雇用統計も事前予測を大きく下回ったものの、ドルの下押しは限定的で、10円25銭近辺で週末を迎えた。

そうした展開だっただけに、来週は上値を試す展開もあると踏んだが、北朝鮮が越週中に何を起こすか分からないという懸念も残った。

果たして週末の日曜日の午後、北朝鮮が水爆実験を行った。

‘必ず有事の円買いになる’
気持ちは逸るものの、世界の為替市場がクローズしている。
明日のオセアニアを待つしかなかった。

日本海上保険(JMI)とのトラブルにも決着を付けるべきときが迫っている。

‘明日からまた、大変な一週間が始まる’―――

 案の定、週明け4日のドル円はギャップダウンし、オセアニア市場では9円30~40(109円30~40銭)でのオープン。

その後は「日米首脳が相互防衛で再認識した」ことを受けてドル円は反発し、東京市場は9円80で寄り付いた。

正に波乱の幕開けといった感もあったが、その後は9円後半で様子見が続いた。

「課長、動きませんね。どう思います?」

「ギャップを埋めに行く勢いもなさそうだし、まだ落ちそうだな。先週の8円台のドル50本のロングも一旦閉じておくか。俺は100本売るが、お前はどうする?」

「課長に便乗して作った先週のロング10本の利食い、それに10本加えて合計20本、売ることにします」

「そうか、トータル120本か。20本ずつ、皆で手分けして売ってくれ」

野口や浅野もキーボードを叩き出した。
ほどなくして、山下が
「平均75で売れました」と言う。

「ありがとう。ところで、野口、ユーロドルはどうだ」
欧州通貨担当の野口は時折、鋭いコメントをする。

「直近の1.20台からのロングは一旦、捌けた様な気がします。目先の下は1.18ハーフが一杯かと。それに仮にドラギがユーロ高牽制をしたとしても、ここで実弾のユーロ売り介入はあり得ませんから、ロングの投げの後はまた買われると思います」

「分かった。ユーロドルを買おう。シング(シンガポール支店)で30本、残りの20本は適当に頼む」

「両方等も、80(1.1880)です」

「了解。ニューヨークはLabor Dayで休場だから、動き出すのは明日以降だな」

この日、欧州も模様眺めで終始した。

 相場が動き出したのは翌日のニューヨークに入ってからだった。

ブレイナード(FRB理事)の「追加利上げに慎重になるべき」との発言をきっかけに108円台へとドルが滑った。

米債務シーリング問題、ハリケーン‘イルマ’、米株の大幅下落、次々とドルの弱気材料が浮上する。

‘弱い通貨には弱気材料が付いてくる。行けるかも’

その日のニューヨークで8円63を付けたが、問題はこの下だ。

‘8円13の存在があるために、皆突っ込んで売って行けない。市場の心理状態が手に取る様に分かる。でもここに来て、相場が8円台に相当に固執している以上、そろそろ下に抜ける’
徐々にドル下落が確信に変わって行く。

週半ば(6日)になってもドルは落ちなかった。
‘迷い処だが、もう少しショートはキープしておきたい。
できれば、戻りは売り増したいところだ。
9月末が近づいてきたし、少しピッチを上げる必要がある‘

そんなことを考えていた午後の3時前、部長の田村がデスクに寄ってきた。

「‘明日来い’と、JMIからお呼びがかかった。お前は同行しなくて良い」と告げる。

「私が同行しなくて良いとは、どういう意味ですか?」

「嶺さん(常務)が‘仙崎が同席すると、かえって事が揉める’と言ってるんだ」

「東城さんは?」

「彼も行かないよ。俺と嶺さん、それにIBT証券の小山内常務の三人で行ってくる」

「嶺さんが決めたことであれば、仕方ないですね。
ただ、繰り返し言いますが、絶対に私は彼等の申し出を受け入れませんから」
と少し突っぱねる様に言い放った。

「これ以上何も言うことはない」と言って、田村は踵を返して自席へと戻って行った。
席に着いた彼の顔はどことなくニヤついて見える。

‘俺はともかく、東城さんも同行させないというのはどうも不自然だ。
何かある。もしかすると、勝手に彼等の要望を飲むつもりかもしれない。
そしてファイナンス・ビジネスと証券取引の再開を早めるという魂胆か。
ここは先手を打ち、本件を手仕舞うしかないな‘

 「IBTの仙崎ですが、園部部長をお願いします」
意図的にディーリング・ルーム全体に聞こえる様に声を上げた。
田村を含めて全員がこっちに目を向けた。
ルーム内の全員がJMIと何が起きているかを知っているからだ。
俺のデスクの近くまで詰め寄ってくる者もいる。

「おう、仙崎さんか。君の方から電話を掛けてくるとは珍しいな。用件は何かね?」
相変わらず、不遜な声である
‘分かっているくせに’

「明日の午後、例の件でうちの嶺常務が御社に出向くそうですが、まだ本当に取り下げるつもりはないのですね」

「ああ、当然だろう。俺はとことんやるつもりだ。文句あるのか?」

「あります。私の主戦場は外国為替市場です。
その主戦場で歪んだ行為を行えば、この先私はそこで戦っていく資格を失う。
つまり、私は為替ディーラーとして死ぬことになる。
だから、あなたの理不尽な要求を呑むわけにはいかない。
これは最後の通告です。
それでも、まだあなたは歪んだ要求を取り下げないつもりですか?」

「取り下げない」
突っぱねてきた。

「であれば、次回の外国為替市場委員会でこの問題を協議します。
当然、守秘義務があるので御社の名前は出しませんがね。
ですが、市場は広いが、人間関係は狭いことだけは忘れないでください。
それでは失礼します」静かに電話を切った。

市場委員会では、外国為替取引や国際金融市場における取引の行動規範等についての勧告書・意見書を公表することも行う。
国際標準で取引の公平性や市場原理を確保・維持するためだ。

電話を終えた瞬間、コーポレート・デスクの浅沼が拍手を始めた。
それを皮切りに、ディーリング・ルーム全体に拍手の輪が広がっていく。
園部の声は聞こえないが、俺の言っていることで大体の想像はついたのだろう。

いつの間にか執務室から出てきた東城も笑みを浮かべながらこっちを見ている。
「お前のやりたい様にやれ」と言っているかの様である。
勝手に解釈し、それに軽い会釈で応えた。

ディーリング・ルームが仙崎へのエールで溢れる光景を憎々しげに眺めている男がいた。
田村である。

「課長、とうとうカードを切りましたね」
山下が満面の笑みを浮かべて言う。

「まるでお前は俺の言動を楽しんでいるかの様だな。
あきれたヤツだ。
でも、これでJMIは必ず動いてくる」
‘だが、念には念を入れておく必要がある。JMI全体の評判を落とすのは拙い’

「山下、30分ほど席を空けるが、後は頼む」

 向かったのは同じフロアーにある応接室である。
「IBTの仙崎と申しますが、副社長の有村さんをお願いします」

秘書の「暫くお待ちください」の声に続いて、
「おう、了君、久しぶりだな。
いつ電話が掛かってくるのかと待ってたよ。
冷たいじゃないか。
もっとも、稼ぎ頭の君のことだ、忙しくて暇もなかったのだろう。
今日は久しぶりに飲もうって誘いか?」

「いや、そんな話ならば良いのですが、少し御社とトラブルがありまして・・・」

「ほう、どんな?」

一連の経緯を話した。

「それは迷惑を掛けたな。
まだ、うちにそんな連中がいたのか?
残念なことだ。
分かった、今日のうちに対処しておく。
危うくうちの評判を落とすところだったな。
感謝するよ。

ところで、今度ゴルフでもどうだ。
俺が勝ったら、君が特製ペペロンチーノを作り、
君が勝ったら、俺が特製インドカレーを作るってことでな。
家内も娘も君に会いたがってるぞ」

有村とはニューヨーク時代に、とあるパーティーで知り合ったが、
当時JMIニューヨーク現地法人の社長だった彼は地位に拘らない人物で、プライベートでも親しく接してくれたゴルフ仲間だった。
高級住宅地のブロンクスビルにある邸宅にもしばしば招いてくれた。

「そうですか。是非ご家族の方ともお会いしたいですね。
ゴルフはハンデ10頂くということで良いですか?
有村さんはシングル、僕は誰からも憎まれない90プレイヤーですからね」

「まだ、そんなレベルか。ダメだな」

「僕は副社長と違って暇じゃありませんから」

「おい、相変わらず、ハッキリと本当のことを言うな」
二人の笑い声が電話空間に響き渡る。

「済みません。それでは、仕事に戻らせて頂きます。
また電話させてください。
久々に有村さんの元気な声を聞くことができて良かったです
それでは、本件宜しくお願い致します」
と電話の相手に深々と頭を下げた。

 翌朝(木曜日)、JMIからドル円100本、at best* で売りたいという電話があった。
コーポレート・デスクの浅沼が怪訝そうな顔をこっちに向けてきたが、頷いて見せる。

「ディール」を受けろとの合図である。

一斉にインターバンクの連中がボードを叩き出し、山下が手際良く電卓でプライスを計算する。

「10(イチマル、9円10銭)」と、山下がコーポレート・ディーラーに告げる。

ディール成立である。

驚いたことに、これまでJMIはコミッション(口銭)を払わなかったが、これからは1銭(100万ドルに付き1銭)払うと言う。

‘決着がついたな’

 暫くすると、部長の田村が寄ってきて、
「今日のJMIへの訪問、取り止めになった。お前は一体、どんな手を使ったんだ?」と悔しそうに言う。

「さあ、昨日私が園部さんに電話したのをお聞きになってましたよね?
園部さんも‘厳正な市場を歪めてはならない’ってことにお気づきになってのでは」
さらっと答えると、直ぐに踵を返し自席に戻って行った。
その後ろ姿に悔しさが滲む。

 ドル円の下値圏の砦8円13銭が決壊したのは、その日のニューヨーク時間だった。

ECB理事会の記者会見でドラギのユーロ高牽制が不十分であったことと、10月の理事会においてテーパリングに踏み切ることが明確になったことで、市場がユーロ買いドル売りに動いたのである。
対ユーロで下落したドルは、対円でも連れて落ちたのだ。

週末の金曜日、ドル円は大きく左に振れ7円32銭(107円32銭)を付け、そして
ユーロドルは右に振れ1.2094まで上った。

来週はドルの戻り売りの週かな。
JMIに決着を優先させたため、ドルを売り増すことができなかったのが悔やまれる。

(つづく)


*at best :プライスを聞かれた銀行が確実にカバーできるレート

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第13回 「窮地」

―――先週、日本海上保険(JMI)が「含み損の出ている過去のディールをキャンセルしてくれ」という理不尽な依頼をしてきた。

それを断ると、JMIは他部署やIBT証券とのビジネスを見合わせると通達してきた。

大口顧客である以上、‘理不尽であっても受け入れるべきだ’という担当常務の嶺に対して‘理不尽な要求は受け入れられない’と命令を突っぱねた。―――

 そのことを多少気にしながら週初(28日)を迎えた。

ドル円は109円台前半での小動きが続く。
今月の上旬からドルの下値を試す展開が続いてきたが、市場はここまで8円台を攻めきれないでいる。

そんななか、山下と相場の話をしていると、部長の田村がデスクに寄ってきた。

「お早う。今日は静かだが、この先はどんな感じだ?」珍しくマーケットについて触れてきた。
もっとも、彼が朝から話かけてきたのは、市場の様子を聞くためではなく、先週の嶺常務との会話の内容を聞くのが目的だ。
日頃の彼の行状を見ていれば、見え見えの行動である。

それでも、一応相場の話で返した。
「そうですね、8円台は実需の買いもそこそこ出てくるし、ショートを振った連中も直ぐに買い戻してくるので、落ちづらいですね。でも、今週はどこかで一旦8円13銭(年初来安値)を試しに来る様な気がします。それでダメなら、ショート・カバーで111円前後まで戻すかもしれませんね」
先週末に立てた大まかな予測をそのまま言った。

「そうか、まあお前が言うんだから、そうかもな」と相槌を打つと、「ところで、先週の嶺さんとの話はどうだった?」と続けてきた。
‘やはりな’

ここからはスクリーンから目を離し、相手の顔を見ながら答えざるを得ない。椅子を回転させて立ちあがった。
身長165センチほどの田村は、178センチの俺を少し見上げざるを得ない。
下から見上げる銀縁眼鏡の奥のキツネ目が異様だ。

「その点はもう、常務からお聞きになっているんじゃないですか?」
田村がしばしば、金曜日に嶺と酒を飲みに行くのは聞いている。
その酒席でその話が出ないハズがない。

「まあ、多少はな。だけど、直属の上司として、お前の言い分も聞いておこうと思ってな。
いずれにしても近々、JMIの件については関係者でミーティングを持たざるを得ないな」
そう言い残すと、自席の方に戻って行った。

‘ミーティングの通達をしに来たのであれば、最初からそう言えばいい。時間の無駄だ’

 
 事件が起きたのは日も替わった火曜日のオセアニア時間だ。
北朝鮮が北海道を跨いで飛翔体を発射したという。
ディーリング・ルームに入ったのは6時45分頃だったが、ざわついた空気が流れている。

「一度8円33銭を付けた後、ドルが8円後半へと戻しました」
山下が言う。

「そうか、ということは33が付いたのは反射的な有事の(ドル売り)円買いか。とすれば、これを切っ掛けにもう一回、ドルを売ってくるな。どう思う?」

「はい、そう思います。問題は8円13ですかね」

「そうだな。ただ、今見ている感じだと、少し下は(ドル)ショートか。一旦、9円辺りまで戻りそうだな」
その後、8円後半で戻り売りと買戻しが交錯した。

 
 ディーリング・ルームの天井には大型テレビが2台吊り下げられ、自分のデスクの横にも中型テレビが一台置かれている。

すべての映像は北朝鮮のミサイル発射関連だ。
したり顔で自説を語る所謂評論家の映像、適切に対応している旨を語った安倍首相や小野寺防衛大臣の早朝の映像である。

事態に進展が見られないまま、ややビッド気配のままドル円は8円後半で推移した。
相場が動き出したのはロンドン市場に厚みが出始めた4時過ぎである。
市場に浸透した「地政学的リスク=円買い」を絵に描いた様に、欧州勢が円買い(ドル売り)に動いてきた。

ロンドン前に96(8円96銭)まで値を戻していたドルだが、70given*、60given、50given、と相場は一挙に左(ドル売り)に振れたが、27(8円27銭)で止まった。

その後ドルの買戻しが出始めると、売りも引いた様で、少しビッド気配だ。
時計を見ると、針は6時を回っている。

そのとき、
「仙崎君」と、田村の声がした。
後ろを振り向くと、部長席まで来いと手招きをしている。

「山下、見ての通りだ。ちょっと、あっちへ行ってくる。悪いけど、50本買っておいてくれるか。10円台のショートの利食いに当てておいてくれ」

「了解しました」

 
 「はい、何でしょうか?」

「例の件で、先方が来週初に会いたいと言ってきた」

「それで、金曜日に内部でミーティングを開くことにした。嶺常務、山岡国際フィアナンス部長、IBT証券の小山内証券担当常務が出席する。うちからは、東城さん、君、それに私ということで良いか?」

「良いも悪いも、決まったことでしょうから」

「ふぅむ。会議は午後3時過ぎに、役員フロアーの第1会議室で行う」

「了解しました」

‘どうでも良い会議だ’

 
 デスクに戻ると、山下が
「部長の話は例のJMIの件ですか?」と聞いてきた。

「ああ、そうだ。でも、お前は気にしなくて良い。ところで、幾らで出来た?」

「あっ、すいません。55でダンです」

「これでポジションはなくなったな。ところで、ロンドンは何て言ってる?」

「ユーロドルは1.20台で一旦売り、ドル円はショート・カバーを見込んで‘上’というのが大勢の見方らしいです」

ユーロ高牽制の真偽はともかく、取り敢えず1.20台は相場が伸び切るところだ。
「ユーロドルが売られるなら、ドル円は右(上)だな。
彼等の見方は多分当りだ。
ロンドンを呼んで、ドル円50本買ってくれ」

「59で30本、61で30本」

「あッ、お前も買ったのか。じゃ、お前の分は59で」

「ありがとうございます。リーブはどうします?」

「8円13 のストップだけ頼む。俺は帰るけど、お前もほどほどにな。それじゃ」

 それ以降、ドル円はショート・カバーを中心に買われ続け、木曜には10円67(110円67銭)を付けた。だが、それ以上の伸びはなかった。

‘チャートポイントの10円95は無理か?? だが、俺のロングのコストは8円半ばだ。もう少し我慢してみるか’

 
 米8月雇用統計の発表を控えた金曜日(9月1日)の東京は110円前後で寄り付いた後、110円前半での様子見となった。
‘統計が発表される夜の9時半まで相場は動かないな’

3時過ぎ、役員フロアーの第一会議室に向かった。
予定されたメンバー全員が集まったところで、田村の音頭取りで会議は始まった。

田村の簡単な経緯と現状説明が終わると、
「仙崎君、君の考えを述べたまえ」と言う。

「はい、事の経緯は部長からご説明のあった通りですが、私は判断を間違えたとは思っておりません。仮に一度そうしたことを受け入れれば、彼等はこの先も同じことを言ってくるに違いありません」

「だが、君。現に彼等はうちとのビジネスを見合わせると言ってるんだぞ」と、IBT証券の小山内常務が気色ばんだ。

「常務、失礼ですが、IBT証券では彼等との株取引でこんなことを飲んでいるわけではありませんよね?」

「無礼な、第一、今はそんな問題を話しているんじゃない」
‘少し声が淀んでいる。怪しい’
こういう時は切り込むチャンスだ。

「分かりました。ところで、仮に私が彼等の言い分を飲んだとしたら、他社への利益提供になりませんか? 当然、それはコンプライアンス上の問題行為であり、事後調で発覚すれば何らかの咎めを受けることになりますが・・・。IBTホールディングズとして、それでも宜しいのですか?」

「し、しかし、巨額の取引を失いかけているんだぞ」

「行政処分を受けても良いと言うことですね」

「おい、仙崎、言葉過ぎるぞ」
慌てて、常務の嶺が口を挟んできた。

「やはり、仙崎の言うことが正しいのではないでしょうか。
取り敢えずここは、正式な先方の申し出を聞いてみてはどうでしょう。
私も本件がJMIの総意だとは思いません」
東城の落ち着いた物言いには説得力があり、皆頷かざるを得なかった。
来週早々に先方に出向くことで会議はお開きである。

 「本部長、ありがとうございます」

ディーリング・ルームに戻りながら東城に礼を言うと、
「いや、あれで良い」と言葉が返ってきた。

「はい」

「しかし、お前の攻めるタイミングはディーリングそのものだな」
東城は笑いながら、茶化す様に部下を労った。

夜の9時半、米雇用統計が発表された。
事前予想より相当に悪い結果である。
市場は取り敢えずドルを売ったが、9円56止まりだ。
元々、年内の再利上げが見送られるとの見方もあったせいか、直ぐにドルは10円42まで値を戻した。

 
 
 統計後の相場が一段落した後、山下とコーポレート・ヘッドの浅沼を誘って、青山の’
Keith‘へと出向いた。

「二人ともご苦労さん。それじゃ、まずは乾杯だ」
それぞれのグラスにカールスバーグを注ぎあった。

例によって、山下の手がサンドイッチに伸びる。
続いて、浅沼の手も伸びた。

「浅沼、例の件は大丈夫だ。もう忘れろ。第一、俺達は何も間違ったことをしていないんだ。なっ、山下」

「はい、そうですね。まあ、飲みましょう。了さん、例のロングどうするつもりですか?」

「一応、先月16日の高値10円95を抜けない様なら、どこかで売るよ。
あそこが抜けないと、まだ8円台への反落もありそうだしな。
逆に抜ければ、テクニカルには11円50とか、12円20辺りまではあるかも知れない。
でも、依然としてドルの下値リスクを脅かす材料が多いし、週末に何があるかも分からない」

「じゃ、分からない相場に皆で乾杯しましょう」
浅沼が元気な声で言う。
‘元気が戻ってきた様で、良かった’

知らぬ間に、Bill Evans の ‘peace peace’ が聞こえてきた。
マスターの配慮である。
だが、中年男三人に聴かせるにはもったいないほど美しいメロディーだ。
ふと、‘岬のことが頭に浮かぶ’

 週末の日曜日の午後、北朝鮮が水爆実験を行ったとのニュースが報じられた。
‘やってられないな’

(つづく)


*given:あるレートで(ここでは)ドルが売りになること

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第12回 「大企業とのトラブル」

週初の21日、東京でのドル円相場は9円(109円)前半で動意薄の展開となったが、海外では米韓同時軍事演習が一時ドル売り円買いを誘った。
だが、先週のドル安値8円61を抜くほどの勢いはなく64止まり、そして翌日(火曜日)の東京は109円前後で寄り付いた。

事件が起きたのはその日の朝方だった。
「えっ、冗談ですよね」とコーポレート・デスクの方から大声が聞こえた。
声の主はヘッドの浅沼だった。
ディーリング用の電話ボードに目をやると、日本海上保険(JMI)のネームだけが点灯していた。
電話ボードには主要な顧客が登録されていて、通話中のカウンター・パーティー(相手)の名が液晶パネルに点灯する仕組みになっている。
会話の内容は分からないが、何か揉めごとが起きたのは荒げた声の様子から推測できる。
浅沼は「すぐにかけ直します」と言い残し、一旦電話を切った。
自分では判断できなかったのだろう。
彼が走る様にしてこっちに向かってきた。
話は呆れ返るほどの内容で、
‘02(109円02銭)で50本ドルを売った取引をキャンセルしてくれ’という。
論外の申し入れである。
「‘一度ダンした取引のキャンセルには応じられない’とだけ答えておけ」と半ば命令口調で浅沼に言った。
先方にそのまま伝え終えた浅沼は再び戻ってくると、
「担当の梶田さんが上司に話してみるとのことです」と情けない声で言う。
「どうせ、あの園部が電話を掛けてくるな」と呟くと、彼も頷いた。

数分後に運用部長の園部が‘課長の仙崎を出せ’と名指しで電話をかけてきた。
‘予想した通りだ’

―――バブル期やそれ以前、大口顧客が証券会社に取引のキャンセルや理不尽な要求を平然と突き付けていたという。
その最たる例がJMIであり、そして当時運用部で株取引を担当していたのが園部だった。
JMIの株取引高は尋常でない金額と回数に上り、理不尽な要求を受け入れても証券会社は手数料で十分採算があったのだ。
園部はその当時の悪癖を今も引きずっている。
もしかしたら、前任者はそんな要求を受け入れていたのかもしれない―――

指名された電話に出ない訳にはいかない。
仕方なしに「仙崎です」と言って受話器を取ると、
「なぜ、キャンセルができない? こっちは買うつもりのところを間違って売ってしまっただけだ」と、挨拶もせずに園部が怒鳴ってきた。
「でしたら御社の間違いですから、反対取引をして頂いて新たなディールをすれば済みますが」と、当然の如く言葉を返した。
「馬鹿言うな。今のレートで反対取引をすれば、うちが損するじゃないか」
スクリーンのレートは25~27を指している。
「それは当行にとっても同じですよ。今うちが御社の申し出を受け入れたら、1250万円ほどの損失が出ます。今回、こちらが何かミスをしたのであれば兎も角、どう考えてもキャンセルは不自然ですよね」
「ほー、超一流ディーラーの君なら、そんな金額、直ぐにでも稼げるんじゃないの」
「そういう問題じゃありませんよ、園部部長。為替の世界はフェアがモットーです。キャンセルは無理ですね」
「おい、随分と偉そうな物言いをするな。IBTとは国際ファイナンスの部署とも巨額の取引があるのは知ってるよな。それにIBT証券ともな。そっちに影響が出ても良いのか?」
「今度は恫喝ですか。お好きな様にして下さい。ちなみに言っておきますが、この会話はすべて録音されてますから、ご承知おき下さい」
「貴様、この俺を脅すのか。若造めが」と捨て台詞を残して電話を切った。
その瞬間、ゴツっと音がした。
どうやら受話器をデスクに叩きつけた様だ。
隣で俺の話しを聞いていた山下が心配そうに、
「大丈夫ですかね。後で他部署からクレームが来る様な気がします」
「ああ、多分来るだろうな」と平然と笑って見せた。
‘少し、言い過ぎたかな’

翌日(水曜日)の5時近く、役員室の秘書から
「嶺常務がお部屋の方に来てくださいとのことです」と電話があった。
「了解しました。直ぐに行きますとお伝えください」と言い、常務室に向かった。
‘どうせ、JMIの件だ’
役員室に着くなり、直ぐに秘書の一人が「こちらにどうぞ」と部屋に案内してくれた。
さっき電話をくれた秘書だろう。
秘書が嶺の部屋のドアをノックしながら、「仙崎さんが来られました」と伝えると、
「どうぞ」の声が低く響く。
「お茶はいらない」と言って秘書を帰すと、いきなり嶺が質問を浴びせてきた。
「昨日君は日本マリンの運用部長とやりあったと聞くが、本当か?」
威圧感のある口調だ。
「やりあったかどうかは知りませんが、確かにうちのコーポレート・デスクに理不尽な依頼があり、それをお断りしたのは事実です。それが何か?」
「‘それが何か’だと、ふざけるな!‘JMIが国際フィナンス関連の取引を見合わせたい’と担当部長に申し入れてきたそうだ。それにIBT証券の証券担当常務にも同様の電話があったそうだ。この始末、どうするつもりだ?」
「それは弱りましたね。でも本件は当行に何の落ち度もなく、彼等の言い分が理不尽だっただけのことです。JMIがそれを理解しないとはとても信じられませんが」
「一体、お前は何を考えてるんだ。100億、否1000億単位のビジネスを失うことになるかも知れんのだぞ」
「常務はそういう理由で、うちが1000万を超える彼等の損失を飲めと言うことですか?」
「ああ、そうだ。今からでも、取引をキャンセルしろと言うことだ」
「お断りします。首を掛けてでも、無理なものは無理と言うしかありません」
「もう下がれ、後で泣きを見ても知らんからな」
「それでは、失礼します」
平然と言って、部屋を辞した。

デスクに戻り、
「流石の俺も‘腑抜けなうちの役員にも愛想が尽きた。悪いが今日はもう仕事をする気にもならない。帰るが、問題ないか?」と、少しため息交じりに山下に言った。
「はい、大丈夫ですが、余程の事があった様ですね」
「ああ、JMIもうちも、上の馬鹿どもは救いようがないな」
「今回は本部長ルートでも解決できそうにないですか」
コーポレート・デスクのヘッドの浅沼がこっちを見ながら、二人のやりとりを聞いている。
彼のせいでもないのに、相当気にしている様子だ。
「そうだな。今回はそういう問題ではない。為替ディーラーとしての俺の意地だ。山下、少し浅沼を気遣ってやってくれ。あいつには何の落ち度もない。理不尽なのはJMIだ」
念のため、東城には事のあらましを一昨日に伝えておいたが、
「気にするな。責任は俺がとる」と言っただけだった。
‘相変わらず、肝が据わっている人だ’

 

木曜日(24日)からワイオミング州のジャクソンホールで恒例の経済シンポジウムが始まった。
主要各国の中銀総裁や研究者が集まり、経済政策等を話し合う恒例行事だ。
ドラギECB総裁、イエレンFRB議長、そして日銀の黒田総裁も出席した。
彼等から何が発信されるか分からないだけに、為替市場も動きづらい展開となった。

週末の金曜日もシンポジウムから発せられる言葉を気にして、為替市場はキャッチ・ボール相場となった。しかしながら、特に為替に影響のある話は出なかった様だ。

FRBも、ECBも、新たな局面を迎えている。不用意な発言で敢えて市場に動揺を与えれば、金融政策の正常化がスムーズに行かなくなる。
特にドラギ総裁が今回のシンポジウムで慎重だったことは想像に難くない。6月27日のECB年次フォーラムで「政策手段のパラメーター調整(金融政策の正常化)で景気回復に対応できる」とした発言がユーロの急騰を招いたからだ。
そうした経緯もあり、市場はドラギ総裁からこのところのユーロ高について牽制発言が飛び出るかを懸念していた。
だが、それが出なかったことで週末のユーロドルは一挙に上昇した。

 

土曜日の午後、何処へも出かける気にもならず、社宅でゆっくり過ごすことにした。
もっとも仕事柄か性分か、自然と頭の中には相場のことが浮かんできてしまう。
ベッドに寝そべっていると、ユーロのことが気になり出した。
市場はユーロに強気の様だが、このまま続騰するほど甘くはない様な気もする。
ドラギは何も言わなかったが、この先他のユーロ圏要人からユーロ高牽制発言があるかもしれない。
‘ユーロ高が金融政策の正常化をオフセットし、ユーロ圏の国際競争力を低下させる。だとすれば、ユーロ高牽制発言が飛び出る可能性がある’。
ユーロドルが1.2を超えると相場が一旦伸び切るかもしれない。
この先もユーロ高となる可能性は高いが、一旦相場を冷やすとすれば、丁度良い頃である。
ドル円はまだ下を打った感じがない。
取り敢えずは10円台後半のショート50本はまだ手仕舞わずにキープしておくか。
来週も8円13を潰しに行かない様であれば、一旦買戻しても良い。
その後は10円95~11円05が一杯ってところかな。

暫く相場のことを考えていると、ふとコーヒーが飲みたくなった。
キッチンに置いてあるコーヒー専用のシェルフからコスタリカの入ったジャーを手に取り、15グラムをBonmacのミルで挽く。
丁寧にペーパーフィルターの継ぎ目を折り、ドリッパーのハリオV60にセットする。
沸騰したお湯をドリッピング・ケトルの‘タカヒロ雫’に移し、85度になるまで待つ。
いつもの手順である。

BGMは気分を爽快にするために Age Garciaのピアノ・アルバム‘Alabastro’を選んだ。
何処かに気分を浮遊させてくれるアルバムである。

10分後に、至福の時が約束されているのは間違いない。
少しささくれ立った心が次第に癒されていく。

(つづく)

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第11回 「脅し」

普段なら翌週の相場展開を概ね練り上げることができる。
だが、先週末はどうも考えがまとまらなかった。
‘8円台・9円台は揉んでも不自然ではない水準’という確信だけはあったが、それ以上のことは思い浮かばなかったのである。

実際に週初(14日)のドル円は、9円半ば(109円半ば)を中心に揉み合う展開となった。
やはり少し(ドル)ショートなのだ。
そして考えがまとまらないまま、結局は先週売っておいた10円75の20本と76(10円76 銭)の30本は、9円55で買い戻すことにした。

翌日(15日火曜日)からドルが上昇し出した。
昨日の海外で米朝のチキンゲームが一時的に緩和したことから、ショーカバーが出だしたのだ。
ディーリング・ルームには ’mine(ドル買い)’ の声が早朝から飛び交い出した。
五井商事や菱田物産もドル買いに動いている。
所謂5・10日*ということもあって、実需筋もドル買いを入れてくる。
コーポレート・デスク(顧客担当デスク)のフローを捌くのでインターバンク・デスクは朝から慌ただしい。
ドル円はショートカットを巻き込みながら、10円45を付けたが、自分ではこの時点でも新しいポジションを持てず仕舞いだった。
忙しかった山下等をサポートしたこともあったが、実際に相場を読み切れなかったせいもある。

仕方なしに、10円80と90で50本ずつのドル売りリーブを置いた。
値頃感からのリーブなので、’If done’ のストップはタイトに11円05銭とした。
11円05は、8月に入りドルが軟調となった後の戻り高値(8月4日)である。
ここがtaken されれば、12円前半まで持って行かれる可能性がある。
値頃感での売買は、所詮はジョビング向きだ。
だから、そんなポジションのストップや手返しは早いに越したことはない。
ジョビングでシコったポジションを引き摺っても時間が無駄になるだけである。
‘今の俺にはそんな時間は残されていない。ともかくリーブが付いてドルが下がってくれれば、それで良い’

その日のニューヨークでドルは10円85まで上昇し、80の50本だけがダンとなった。
その翌日(水曜日)もドルは堅調に推移し、週半ばのニューヨークで10円95を付け、90でも50本を売ることができた。
ニューヨークのその日の午後、高値圏で模様眺めの展開となった。
社宅に帰った後も、ジーッとデスクに置いたモニターを見ていたが数銭しか動かない。
ここは前週のドル高値(10円92)近辺ということもあって、誰も追いかけてドルを買おうとはしない。
’これは良い兆候だ。もしかしたら、あれは良いリーブだったのかもしれない’
少し期待が膨らんだ。

そんなとき、ドル円が左に振れ、ユーロドルが右に振れ出した。
‘a few others suggested that continuing low inflation expectations may have been downward pressure on inflation…’
今し方発表された7月のFOMC議事録の内容に‘インフレの先行き見通しに不透明が増した’との見方を示す文章が散見される。
読めば読むほどFED内部にテーパリングに対する慎重論が少なくないことを示すセンテンスが多い。
‘ラッキーだ’
午後に入ると10円03まで急落した。
そして翌日(木曜日)の東京でも、ドルは売られ、9円台へと下落した。

朝方ディーリング・ルームが少し騒々しい雰囲気に包まれたが、大きな動きはなく、少し余裕を持ちながらモニターを眺めていた。
そんななか、デスクの横に人影を感じた。
部長の田村である。
「ちょっと時間あるか?」と低めの声で聞く。
「良いですよ」と素気無く答えた。
「じゃあ、あっちで話そう」と、インターバンク・デスクから少し離れた処にある窓際のテーブルを指した。簡単な打ち合わせ用のテーブル席だ。
「山下、ドル円、50本の買い、8円85で出しておいてくれるか。 Until further noticeで良い。何だか知らないが、部長がお呼びだ」
10円85と95で作ったショート100本のうち、とりあえず50本で利食うことに決め、残りは放って置くことにした。

 

「相変わらず、調子が良いようだな」と言いながら、田村が愛想笑いを浮かべた。
口角を少しだけ緩めただけの薄気味の悪い笑いだ。
「まあ、何とか。ところで、お話しとは何でしょうか?」
「最近、いやお前が帰国してからというのが正確かな、アカウントのコレクション(訂正)が多い様だが、少し注意が足りないんじゃないか」
確かに多い。
だが、多くなっているのには理由がある。
帰国した頃のインターバンクには、無能だった前任の課長やチーフ・ディーラーの行状の悪さから沈滞ムードが蔓延していた。
市場に向かう姿勢が失われていたのである。
この状況を一新させるためには、部下達に勇気を持って市場に向かわせるしかなかった。
収益が上がってくれば、彼等も自信を取り戻していくハズである。
だから、自分のポジションを彼等の損失を減らすために使った。
それが、アカウント・コレクションの理由だが、それをこいつに言っても理解されない。
‘ここは、素直に聞いておくのが得策だ’

「そうでしたか、それは申し訳けありません。以後、気を付ける様に部下にも伝えておきます」
「やけに素直だな。だがな、圧倒的にお前のアカウント絡みのコレクションが多いのが気に懸る。何か特別な訳があるんじゃないだろうな?」
「いや、そんなことはありません。少し疲れが溜まっているせいかもしれません。何と言っても、為替ディーラーは不眠不休の日が続くことも少なくないので。その辺のことは部長もよくご存じですよね」と、二の句が継げない様に力強く言った。
「・・・。だが、コンプライアンスがうるさい昨今、あまりコレクションが多いと、事後調の指摘対象になる。そうなれば、査問員会騒ぎになるぞ」
「でもそうなれば、部長も監督責任を問われることになりませんか?」
「お前ってやつは、・・・」
言葉を無くした田村は「まあ、9月期を終えたら、覚悟しておくんだな」と捨て台詞を残すと、椅子を蹴るようにして部長席に戻って行った。
‘とうとう圧力をかけてきたか’

デスクに戻ると、
「課長、部長が大分怒っていた様ですが、大丈夫ですか?」と山下が心配そうに聞いてきた。
「ああ、心配するな。ところで、リーブは付きそうにないな。付くのは明日のニューヨークかな。‘果報は寝て待て’か」

週末の金曜日、東城と二人で銀座の寿司処‘下田’に出向いた。
「了、冷酒にするか?」、とりあえずのビールを飲み終えた後、東城が聞く。
「はい、良いですね、冷酒。それにしましょう」
「冷酒ですか。軽く冷やしてお飲みになるのであれば、久保田の萬寿がお薦めですが」と、店主が言う。
「うん、それを貰おう」と店主に告げると、「昨日、あいつがコレクションのことでお前に注意したそうだな。その後、俺のところにも来て、そんな話をしていた。あいつにお前の真意を話しても仕方がないので、俺からも注意しておくとだけ言っておいたよ」
「ありがとうございます」
詰まらない話は早々に切り上げて、それから2時間ほど東城との会話を楽しんだ。
帰り際、
「どうだ、まだドル円は落ちそうか?」と聞いてきた。
「今週は、上で100本売っています。今日のニューヨークでは年初来安値の8円13銭を抜くのは無理でしょうが、来週辺りは危ないですかね。まだコツンと当たった感じがしません。シカゴ筋もまだ円ショートを捌き切っていませんし、抜けたら6円台もある様な気がしますが。それにこのところVIS指数も高水準で推移しているので、為替だけでなく、証券もアンワインディング(巻き戻し)がいつ起きても不思議ではないのかと・・・」
「そうだな。今回のアメリカのバブルは以前にも増してそれらしくないのが特徴だから、気を付けなければならない。既に米株から逃げている米系ファンドもあるとも聞く。それで、お前の今のポジションはどうする?」
「とりあえず、利食いのオーダーを半分入れてあります。後は社宅に帰ってから考えます。なので、夜食に穴子寿司を頼んでも良いですか?」
「まあな。田村の件で嫌な思いをしたことに対する、俺からのせめてもの慰めだ。ただ、あまり無理をするなよ」

東城と別れた後、中央通りに出てタクシーを拾った。
「神楽坂北へお願いします」と告げた。

その日のニューヨークで、ドルは8円台後半へと下落した。
‘残りの半分の処理は来週考えることにするか’
ラフロイグをウィスキー・グラスに三分の一ほど注ぎ、舌で転がしながらゆっくりと喉に流し込んだ。
BGMにかけておいた木住野佳子のCDに挿入されている’Manhattan Daylight ’のメロディーラインが耳に心地良い。

(つづく)


*5.10日(ごとおび):古くからの日本の慣習で、5(五)や10(十)が付く日(5、10、15、20、25、30)を決済日とする企業が相対的に多い。決済通貨としてドルの比率が高いため、当該日に輸入超であればドル買いが、そして輸出超であればドル売りが出やすくなる。公示中値が仕切り値として利用されることが多く、そのため公示時間の午前10時前に売買の動きがある。

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第10回 「約束」

ここからは右手に見える上高地線に沿って走り抜ければ、松本の市街地に着く。
少しずつ、車の運転にも余裕が出始めてきた。
心に平静が戻ると、Fredrick Packers のデイパックに入れて置いた数枚のCDからブラインドで一枚を取り出した。
引き当てたのは車を快適に飛ばすときには相応しくないBill Evans の ‘You must believe In Spring‘だった。
ただ、スピードを出せない今の道路状態には持ってこいのアルバムだ。
とりあえずCDをジャックに押し込むと、’B Minor Waltz ‘が流れ出した。
時に人を切なくさせ、時に荒んだ人の心を慰めてくれる曲である。
聴いた回数は数え切れない。
ジャズファンならずとも、聴いた人は心を打たれるメロディーラインである。
アルバムの二曲目に挿入されているタイトル曲よりも、この曲をトップに持ってきたところが良い。

トラックが進みアルバムの最後から二番目に挿入された’Some Time Ago’ が聞こえてきた頃、車は篠ノ井線の線路下に差し掛かった。
いつも渋滞する場所だが、天候のせいもあり、余計に時間がかかってしまった。
でも、焦る必要はない。
10分もすれば、目的の駐車場に着く。
松本の市街地に来るときの駐車場は、パルコと大通りを隔てて反対側にある伊勢町のパーキングと決めている。
好んで訪れるカレー店やコーヒー店へのアクセスが良いからだ。
アルバムも終わりかけた頃、パーキングに着いた。
便利の良い駐車場だけに混んでいて、いつも螺旋状のパスを幾度も回ることになる。
今日も6Fまで登らされてしまった。
空きスペースに車を入れて時計を見ると、3時15分前である。
何を話すか、少しだけ考えをまとめておく必要があった。

‘岬の今の心境について話すべきか、8年前のすっきりしなかった別れへの言い訳について話すべきか’、まったく考えがまとまらない。
そうこうしているうちに時間がきた。
近くの駐車場に着いた旨のメールを入れ、‘5分後に店の前で待っていてくれ’と告げた。
車を降り、駐車場を出ると、直ぐ左手にある一方通行の道を歩き出した。
その道の右側50メートルほどのところに岬の母が営むクラフト店はある。
付き合っていた頃、一度だけ訪れたことのある店は江戸の裏座敷的存在の松本に相応しい佇まいだった記憶がある。

30メートルほど歩いたところで、ゆったり目の白のプルオーバー、裾を巻き上げたカーキ色のチノ、白のスニーカー、という出で立ちの細身の女性が眼に入った。
岬である。
少し微笑んでいる様にも見える。
ボブにカットした髪を揺らしながら、こっちを向いて手を軽く振っている。
少しやつれたのか、やや痩せた感じを受けるが元気そうだ。
岬も小走りにこっちに向かっくる。
そして二人の距離が一挙に縮まったとき、いきなり彼女が胸に飛び込んできた。
額を胸につけ、泣きじゃくりながら両手の拳で肩甲骨の下辺りを叩き出した。
あまりの力強さに「うっ」と声を上げると、「ごめんなさい」と言いながら後退りした。
目から止めどなく涙が溢れ出している。
「そんな顔じゃ、美人も台無しだな」と言いながら、ジーンズの後ろのポケットから少し皴になったハンカチを取り出し、
彼女に渡した。
「ありがとう」と涙声で言う。
そして、「了、少し待ってて。母が外出しているので、店の戸締りをしてくるから。それから化粧も直してくる」と言って店の方に走って行った。
その後ろ姿に向かって、
「ああ、それじゃ、俺は車を例の駐車場の脇に止めて待っているから、そっちに来てくれるか。車は四駆、カラーはブラックだ」と少し大き目の声で言った。
「はい」と言いながら、岬は暖簾をかき分けて店の中に消えていった。

車をパーキングから出し、数分待っていると、ラベンダー色の傘をさした彼女が現れた。
「どこへ行く?」
「城山でも良い?」と聞く。
「俺は構わないけれど、また雨が強く降るかも知れない。それでも良ければ」
城山は市街の北西部の高台にある公園である。
さもない公園だが、展望台にもなっていて、天気次第では北アルプスも望むことができる。
コーヒーとカレーが評判のギャラリー兼カフェが隣接しているのが良い。
20分も走った頃、公園の駐車場に着いた。
いつ雨が降り出してもおかしくない空模様だが、今は幸いにも上がっている。
「少し歩くか?」
「ええ」
「元気なのか? 少し痩せたみたいだけど・・・」
「うん、体はどこも悪くないの。でも、ここ何年も、心がだめみたい」
「詳しい事情は分からないが、山下から凡その話は聞いている。もうご主人とはどうにもならないのか?」
「ええ、とても一緒に暮せる様な人じゃないわ。
省(財務省)では優秀で、間違いなく次官までは行く人だと言われているそうだけど、人間性は・・・。
異なる環境で育った二人が一緒に暮らせば、夫婦だって日々の行動や会話が気になるのは当然よね。
だけど、彼は常に自分が正しいと思ってる。
だから、私のどんな些細な落ち度も許さないの」
岬が気丈なのは知っているが、決して頑固ではない。
だから、些細な落ち度を指摘されれば、その都度、夫に詫びを入れていたに違いない。
そんな卑屈な毎日の連続では、身も心も持たないのは当然だ。

暫く園内をゆっくりと歩くしかなかった。
悪天候のせいか、あたりには誰もいない。
「なあ、岬」
「何?」
「あのときのこと、まだ怒ってるのか?」
曖昧な別れ方をしたことを聞いたつもりだ。
「いいえ、あれは私も悪いの。というより、一言、あなたに声をかけておけば良かっただけのこと。
‘まだ愛してる?’ってね。
でもね、あのときの了は近づけないほど怖かったのは事実よ。
だから、ソーっとしておいたの」
「そうだったな、当時の俺は。でも俺があんな状態に陥ったのは、大きな損失を出しからじゃないんだ。
あの程度の金額なら、いつでも取り戻せる自信もあった。
ただ、上司が部下を罠に嵌める様な組織や、そこで働いている自分への嫌悪感もあって、退職を考えるまでになっていたんだ。
でも辞めれば、俺や姉を一人で育ててくれた母親を落胆させることになるし、岬との結婚も難しくなる。
ともかく悩み続けていた。
だから、あの時は誰とも話たくはなかった。
やはり、俺がそのことを素直に岬に言っておけば良かったんだ」
「そうね。二人共、悪かったってことね。
でも、あなたがニューヨークへ行った後、東城さんが言ってくれたわ。
‘まだ遅くないから、追いかけろ’って。嬉しかった」
当時、東條さんには岬と付き合っていることを話していた。
あの人らしい気遣いだ。
「それで何て答えた?」
「もう、‘ポジションは切りました’って答えたわ。
そしたら、東城さんは’ポジションを切ったとは、
さすが仙崎の彼女らしい表現だな’と言って笑ってた」
暫く間を置いたあと、その話の続きを始めた。
「そしてこうも言ってたわ。
‘長い人生、たまにはsquareも悪くない。
人間、ニュートラルになって考えることも必要だ。
だが当分の間、あいつのポジションはhead wind*だな。
いずれにしても、いつか二人のポジションにtail wind*が吹くことを祈ってるよ。
何か出来ることがあったら言ってくれ’と少し笑みを浮かべながら言ってくれた。
本当にいい人ね」
「ああ、良い人だ」

二人はその後も、何も言わずに歩き続けた。
すると、大粒の雨が降り出してきた。
二人は駐車場へと急いだ。
やっとの思いで車に辿り着き、助手席のドアを開けてあげると、
「了、強く抱きしめて」と岬が絞り出す様な声で言った。
右手を岬のうなじに回し、その身体を胸に引き寄せると、力強く抱きしめた。
雨ですっかり濡れてしまった白いプルオーバーを通して伝わる温もりに8年前の懐かしさが甦ってくる。
‘辛く、そして切ないポジションだ。暫くは head wind を受け続けるか’

その夜、‘野麦倶楽部’に戻ったときには8時を回っていた。
夕食の時間は過ぎていたが、主人に無理を言って、トーストとサラダ、それにビールを部屋に運んでくれる様に頼んだ。
「明日も釣りは無理そうですね。また時間ができたら、9月にでも来てください」
頼んだものを運んできた主人が、トレーをテーブルに置きながら申し訳なさそうに言う。
長野は9月の末で禁漁になる。
「そうですね。是非、そうしたいと思います」
ここに来れば、岬に会える。
そんな想いが脳裏を過った。
「それじゃ、ごゆっくりお休みください」と言い残して、主人はドアの方へ戻って行った。
「お休みなさい」

翌朝、奈川を後にして、ひたすら社宅のある神楽坂へとプラドを走らせた。
CDは‘ファビュラス・ベイカー・ボーイズ’を選んだ。
大人の切ない恋心を描いた映画のサントラで、デイヴ・グルーシンがプロデユースした傑作である。
切ない映画のサントラだが、車の運転を快適にしてくれるのが良い。

翌週初(7日)、先週末の7月米雇用統計が良かった割にはドルが戻さなかった。
北朝鮮絡みの地政学的リスクで、円が買われるのを恐れてか、市場はドルを買わない。
本来であれば、売られるべき通貨の円が売られない。
‘市場にすっかり刷り込まれた、有事の円買い’という、コンセンサスが妄信されているのだ。
‘それに逆らっても仕方がないな’

暫く相場を眺めた後、山下に話しかけた。
「山下、約束を果たした様だな。凄いな、お前の底力は。ここは調子の良いお前の通りにするよ」
「からかわないで下さいよ。でも、課長が先週話していた様に、ドルが下という流れは変わっていないようですね。例の8円台(108円81銭、108円13銭)を試す様な気がします」
「そうだな。それじゃ、50本売るか」
「20本は75(110円75銭)。30本は76でダンです」
相変わらず、良い手捌きだ。
「ありがとう。ついでに言っておくけど、お前との約束も守ったからな」
「はい、課長の顔を見れば分かりますよ、そのくらい。またそのうちにゆっくりと話を聞かせてもらいます」

翌日から、ドルは崩れ始め、週末には108円70銭まで落ちた。

週末の土曜日の午前中、社宅のベッドに寝転がりながら、来週の相場のことを考えていた。
自分で値動きを見ていなかったせいか、感触が湧かない。
チャートを見る限り、まだドルは底を打っていないし、あまりにも戻りが弱い。
8円13銭を抜けば、フィボナッチ水準の6円50銭程度まであるのかもしれない。
と言って、8円台・9円台は揉んでも不自然ではない水準だ。
迂闊にはドルを売れない。
とりあえずは、週初の様子を見るのが得策か。
‘久しぶりに神楽坂に出て、のんびりパスタでも食べることにしよう’
(つづく)

注:
*head wind:アゲインスト(向かい風)
*tail wind:フォロー(追い風)

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第9回 「再会」

先週末に山下に今週の相場はどうかと聞かれ、「どこかでドルの下を試すと思う」と答えたが、週初(7月31日)から下値を試す展開となった。
だが、なかなか節目の10円(110円)を攻めきれない。行内からも月末絡みのドル買いが結構入ってきた。恐らく他行も同じ状況なのだろう。さらに投機筋の客も値頃感やにわかショートの利食いでドルを結構買ってきた。
翌日の東京でも10円を割り込めなかった。結局この二日間、イメージの湧かないまま、ジョッビングに徹する格好となってしまった。山下は「今週3本(3000万)稼ぐ」と豪語していただけに真剣そのもので、カバー・ディールをこなしながらも収益をこつこつと上げている様子である。俺はもう引き上げても問題なさそうな雰囲気だ。

「山下、みんな、明日から頼むな」と言い残し、帰ろうとすると、
「課長、例の約束は守ってくださいよ。僕は昨日・今日と、真剣にボードと向き合って、何とか半分稼ぎましたからね」と脅迫めいて言う。
「凄いな。それじゃいつも真剣にやれば、毎月大台(1億)だな。俺の肩の荷も大分軽くなるってわけだ」と笑いながらやり返した。
「まあ、頑張りますから、兎も角約束は約束ですからね。お気を付けて」
「了解」と言い残してディーリング・ルームを後にした。

その日の晩、宅配の寿司を肴にビールを飲みながらスクリーンに向かったが、暫くドル円は10円前半で凍り付いたままだった。ビールを三缶空け、そろそろラフロイグに切り換えようと思ったとき、ドルが急に下落し始め、10円を割り込んだ。だが、突っ込んでのドル売りは出ないまま、直ぐに10円台に逆戻りしてしまった。この展開は動けばやられる相場付きだ。明日はフライ・フィッシングや旅行の準備もある。拙いポジションを抱えて悩みたくない。何もしない決意を固めた。ただ、山に向かう前に先週作った12円(112円丁度)のショート50本の処理だけはしておきたい。ニューヨークの沖田に電話を入れた。夜中の12時である。

「今晩は」
沖田の明るい声が聞こえてきた。
「調子良さそうだな」
「はい、ユーロがこのところ絶好調で、上手く行っています」
「そうかそれは良かった。ところで、ドル円はどうだ?」
「少しビッドですね。まだショートが残っている様で、11円辺りまでは戻すと思います。今15~17(110円15~17銭)です。何かやりますか?」
「50本、適当に買ってくれ」
「16で20本、18で30本、買いました」
「ありがとう。俺は明日から週末まで休むから、何かあったら山下をサポートしてやってくれ。今の買いは12円のショートの利食いだから、山下にそう処理する様に連絡しておいてくれ。それじゃ頼む」
「了解です。短い休暇を楽しんでください」
‘これで、休暇中にポジションのことを考えないで済む’

木曜日の早朝6時に社宅を出発した。車は昨日、四谷のトヨタレンタカーで借りておいたプラドである。飯田橋ICで首都高5号池袋線に入り、関越道、上信越道、そして長野道という経路を辿ることにした。朝食を済ませるために横川SAのタリーズに寄ったが、それ以外は休憩もとらずに松本ICまで一挙に走った。時刻は9時30分。松本ICを出て上高地方面に向かう。新島々を過ぎ、カーブの多い山道を30分ほど走ると、梓湖に出た。梓湖に造られた奈川渡ダムを渡り右に車を走らせれば上高地、渡らずに直進すれば野麦峠方面である。目的地の奈川は野麦峠方面にある。狭くうねる道に気を付けながら運転に集中した。30分足らずで、宿のペンション‘野麦倶楽部’に到着した。

8年ぶりだが、かつて通い詰めていただけにオーナーご夫婦は顔を覚えていてくれた。
「お久しぶりです。ようこそいらっしゃいました」と笑みを浮かべる。
「本当にご無沙汰しています」
確か二人とも70歳を超しているはずだが、元気そうだ。
「このところ天気が今一つで、今日も降ったり止んだりです。川の水量も多少増えているみたいで、仙崎さんの釣りには向かない状況かもしれませんね。でも、荷物を置いて、とりあえず奈川に行ってみますか?」
「はい、今車から荷物を降ろしますから、部屋に入れといてくれますか?」
「かしこまりました。イブニング(夕まづめ)までやるとすると、お帰りは7時過ぎですね」
「この天候なので、イブニングはあまり良くないと思います。もしかすると早く引き上げるかもしれません。それじゃ、行ってきます」

目的のフィールドまでは30分ほどかかるが、その前に蕎麦を食べておきたい。かつて行きつけた蕎麦屋は野麦峠の麓にあり、とうじ蕎麦で有名だ。二人前からの注文のため量は多いが、夜までの奮戦を考えて注文した。やはり多すぎた様だ。少し残した詫びを言って店を後にすると、店から5分程のところにある目的のフィールドに向かった。フィールドは奈川のほぼ最上流部に当る沢である。日中の日差しの強いときでも、この沢はなんとか釣りになるのが嬉しい。

現場に着くなり、車をデッドエンドのある脇道に突っ込んだ。素早くウェイダー*に着替え、タックル[ロッド(竿)やリール]をセットし終えると、直ぐに入渓した。真夏にもかかわらず、チェストハイのウェイダーとスパッツを通して冷たさを覚えるほど水温が低い。先行者が入っていれば、全く釣りにはならないが、入渓直後から25cm前後の岩魚が次々とフライに飛びついてきた。先行者がいない証拠である。久々の岩魚との触れ合いに嬉しくなり、ロッドを振り続けた。この沢には尺(30cm)を超える岩魚はいないが、それでも十分に楽しい。もう心は童心そのものだ。ところが、二時間ほど釣り上がった頃、急に空模様が怪しくなり、山特有の豪雨が稲光を伴って降り出した。山では熊にも気を付けなければならないが、雷はもっと恐い。沢を上がり側道に出ると、走る様にして車まで戻った。暫く車中で雨と雷が止むのを待っていたが、雨は延々と降り続き、時折稲光が暗い空を走り、雷鳴がそれに続く。これではイブニングもダメである。潔くペンションに戻ることにした。

ペンションに着くと、直ぐに風呂に入った。沢で冷えた体がほぐれていくのが分かる。風呂から上がりベッドで横になっていると、階下からカウベルの音が聞こえた。夕食の合図だ。
宿泊客は他に老夫婦と子連れの夫婦だけで、ダイニングは静かである。
食事も終えた頃、コーヒーを運んできた主人が
「釣りはどうでしたか?」と聞いてきた。
「最初の2時間は何とか楽しめましたけど、後は豪雨で釣りにならず、車中で寝てました」
「それは残念でしたね。今晩も豪雨らしいですよ」
「参りましたね。水嵩が増すでしょうから、明日も釣りにならないかもしれませんね。あのPC、インターネットは使えますか?」
ダイニングの隅に置いてあるPCを指して尋ねた。
「はい、大丈夫です。ログオンしてありますから、そのままどうぞ」
「それじゃ、お借りします」と言って、コーヒーカップを持ちながらPCに向かった。
カーソルをクリックすると、直ぐにトップ画面が現れた。
天気サイトで天気予報と雨雲の動きを見たが、どうやら明日も釣りになりそうにない。
「奥さん、氷と水を貰えますか。もう、部屋に戻ってスコッチでも飲んで寝ることにします」
「そうですか、それではゆっくりお休みください。朝まづめの釣りも無理そうですものね」
悪天候は彼女のせいではないのに、心底申し訳なさそうに言う。
「いや、自然には勝てませんよ」と誰への慰めともつかない言葉を残して、部屋に戻った。

持参したラフロイグをドライド・フィグ(干しイチジク)で楽しみながら、山下に電話を入れてみる。
「あっ、了さん。今ペンションからですね。フライの調子はどうですか?」
「最初は良かったけど、後は豪雨と雷でアウトだった。明日も最悪の天気らしい。それで明日、松本まで下りて岬に会おうと思う。何て話したら良いのか分からないけどな」
「そうですか。それは良かった。家内も喜ぶと思います。マーケットは明日の指標を控えて静かです。それでも着々と稼いでいますから安心してください。明日は動くのでしょうか?」
「おいおい、俺は今、山の中だぞ。それに市場も見ていない。ただ、今週は週初からドルの下を結構攻めてダメだったから、雇用統計の結果は兎も角、あまり下がらないと思う。ともかく、長いポジションでないなら、統計結果の如何に関わらず、あまり突っ込まない方が良いと思う。お前に勇気があるなら、タイトにストップを入れて、統計前に10円前後で買ってみるのも面白いかもな。またはショートカット一巡後に売るのも良いと思う。但し、ジョビングに限ってだが。来週はドルが戻しても、12円前半が一杯の様な気がする。流れはまだ下だと思う。それじゃ、奥さんに宜しく」
「分かりました。それじゃ、お休みなさい」

電話を切った後、ラフロイグを呷ると、岬にメールを入れた。
「今、奈川にいる。明日、会えるか?」
「はい、場所と時間は?」
直ぐに返信があった。
「君は今、お母さんが営んでいるクラフト店を手伝っているのか?」
「はい」
「そうか。3時頃、その近辺についたら電話を入れる。話は少しだけ山下から聞いているが、元気なのか?」
「何とか・・・。メールありがとう。何だか嬉しい様な悲しい様な気持ちで、涙が止まらないわ。もう何も書けない。明日、待っています。ごめんなさい」
「お休み。それじゃ明日」
メールのやり取りを終えると、岬の小さな肩が思い出され、懐かしさが止めどなく甦ってきた。

その晩、なかなか寝付かれないまま、ボトル半分を空けてしまった。

(つづく)


*ウェイダー:川の渡渉や湖の立ち込みで着用する防水性の胴長靴。胸まであるものをチャストハイ、胴までのもがウェストハイという。

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第8回 「休暇」

東京の週初(24日)、ドル円相場は11円(111円)前後で寄り付いた後、ドル売りが先行した。だが、ここは気をつけなければならない水準である。5月10日付けた14円38(114円38銭)からの下落局面で、ドルが下げ渋り、10円前半と12円前半でかなり揉み合ったからだ。経験則ではこうしたゾーンの中心レベルより下で突っ込んで売るとショートカットの憂き目に合うことが多い。先週末に国際金融新聞の木村に今週の予測を聞かれ、‘ドルは下向きだと思うが、一挙に10円は抜けないから、ここでのドル売りは慎重を期したい’と伝えたのはそんな含みがあってのことだ。先週末に7日RSIが30%を下回っているのもそれを示唆している。
場が活気を帯びてくると、‘目先でドルはそれ程落ちない’という想いは、一挙に確信に変わった。12円80で作っておいた50本のショートの利食いにも当てられるという気楽さもあり、とりあえず10円85で50本ドルを買った。
それから数十分経ったところで
「あっ!」と山下の声がした。
如何にもカバーし損なった声だ。
「どうした?」
「今の菱田の買い30本、カバー先のチェンジ*を食らい、滑っちゃいました」
「確かプライスは90(10円90銭)だったな。今は02~03(111円02~03銭)か。 ショートカバーが出ると、動きが早いな」
「はい」
「それじゃ、俺が朝に買った85(10円85銭)の買い50本を使え。20本余るが、それもお前にやるよ。後で、アカウント・コレクション(訂正)の手続きをしておいてくれ」
「助かります」
「下のスタバのトール・ラテで勘弁してやるよ。市場が落ち着いたら、お前が自分で買ってこい。少しは痩せるからな」
恐縮している山下を和ませる様に冗談交じりに笑いながら言葉を返した。
‘これで、俺のロングはなくなったか。どうせまた下がるから、そこで買うか’
午後にかけてドルは11円18まで戻したが、買いは続かかった。午後3時過ぎに欧州勢が市場に入ってくると、ドルの上値がジンワリと重たくなり、4時を過ぎた頃一挙にドルが下落し始めた。
朝の電話で4時過ぎに東城に部屋に呼ばれていた。
「山下、70で50本の買いを入れておいてくれ。東城さんのところに行ってくる」
「了解です」

「随分と飛ばしている様だが、いったいお前はいくら稼ぐつもりでいるんだ?」
東城の第一声だった。
「9月期では10本(億)のつもりでしたが、低調なマネーやコーポレートの状況、それにインターバンクのブレを考慮すると、15本程度でしょうか」
「ふーん。呆れたやつだな。まあ、あまり無理はするなよ。ここまで短期間で頑張ったんだ。少し休暇をとってお前の好きなフライフィッシングでも楽しんできたらどうだ。 今お前に倒れられたら困るのは俺だからな」
「ありがとうございます。山下とも調整しながら、考えてみます」
「ところで、明日は土曜の丑の日だ。昼に‘いづもや’に予約を入れておいた。久しぶりに老舗の鰻を食いにいくか。俺からのボーナスだ」
「それは、いいですね。だけど、これは昼の部のボーナスで、夜の部は‘下田’でお願いします」
嬉しそうな笑みを浮かべながら、ついでに言ってみた。そんな軽口も東城だから言える。
「こいつ、あまり調子に乗るなよ。まあ、‘下田’にはそのうちに連れて行く」
仕方のないヤツだと言わんばかりの口調で返してきたが、東城の顔も笑っている。
「楽しみにしています」
「それじゃ、明日。俺は11時に日銀の理事と会うことになっているから、現地12時半で良いか」
「はい、問題ありません。それでは失礼します」と言い残して、部屋を後にした。
‘いづもや’は昭和21年に日本橋本石町で創業した老舗だが、かば焼き、白焼き、ともにふわふわとした仕上げで、食感・味は絶品である。

東城との話はほとんど雑談で終始したが、結構時間が経っていた。日比谷通りに面した壁には主要都市の時計が掛けられている。その丁度真ん中にあるTOKYOの時計に目をやると針は6時半を指していた。だが山下をはじめ、まだ他の連中もほとんど残っていた。少し相場が動くと思っているのだろう。
「70の50本、出来ています。下は63(110円63銭)までです」
席に着くなり、山下が言う。
「この後、どう思う」
「そうですね。ロンドンも朝方売った連中は買い戻している様で、しっかりしたショートカバーが出ると思いますが」
「そうか、とりあえず、11円80と12円丁度で50本ずつ、リーブを入れておいてくれないか。キャンセルするまで回す様に頼む」
「了解です。そこにラテを置いときました。痩せるために、自分で買いに行ってきました。冷めてしまったと思いますが、どうぞ」
少し照れ笑いを浮かべながら言う。
「そうか、それじゃ、遠慮なく。ところで、ロンドンの前田はユーロのこと、何か言っていたか?」
「1711(1.1711)が抜けることを期待して、買うと言ってましたが」
1.1711とは2年前の高値のことである。
「まあ、そうだろうな。今、16ハーフ(1.1650)近辺で50本買えるかな。前田を呼んでくれるか」
もう山下はボードのキーを叩き終えている。
「はい・・・・・。48で出来るそうです。チェンジ49」
「ダン」
「前田によろしく言っておいてくれ。利食いは17ハーフ(1.1750)で頼む。これもキャンセルまでだ」
暫く経っても、皆頑張っている。
‘自由にさせておくか’
「山下、俺は先に帰る。皆もあまり遅くならない様にな」と言い残し、ディーリング・ルームを後にした。向かうのは青山のジャズ・バー’Keith’である。

その後、ドル円は水曜日に週高値となる12円21を付けたが、伸びに欠け、結局週末には10円台後半に下りてきた。ユーロドルは木曜日に1.1777まで上昇した後、1.16半ばまで反落したが、週末には1.17台へと上ってきた。

週末の金曜日、めずらしく山下の方から話があると誘ってきた。場所は銀行に近いパレスホテルの6階にあるバー・プリヴェにした。ニューヨーク在勤中に建て替えられたホテルはロケーションこそ昔と同じだが、まるで別のホテルに変貌を遂げていた。二人が案内された窓際の席からは、左手に日比谷通りと濠が見渡せる。ほぼ南北に走る日比谷通りには、無数の車のライトで変則的なドット線が描かれている。日比谷濠には、オフィス・ビルの灯りや街灯が歪みを作りながら帯状に浮かんでいる。そんな贅沢な夜景の見える席に男二人が座っている。傍から見れば、違和感のある光景に違いない。ドリンクをダイキリにし、食べ物は山下に任せた。
「来週は、どうでしょうか?」
いつもの山下の第一声だ。
「どこかでドルの下を試すと思う。皆、10円を割れる方向を考えているハズだから、あまり逆らえないな。割れるかどうかは分からないが、そろそろ揉み合いの日柄も終了する頃だ。気を付けた方が良い。割れれば、例の8円台(108円81銭、108円13銭)を目指すのかもな。軽く勝負をかけるのなら、週末の雇用統計(7月米雇用統計)前に大勢が作ったポジションの逆張りが良い。余程のことがない限り、イベントや重要指標の前にポジション調整が入る可能性が高い。後はFEDが少し物価動向に懐疑的だから、アメリのデフレーターには注意した方が良いかな」
「オバマケア廃案の否決、混迷を続けるトランプ政権人事、ロシアゲート疑惑、これらをどう相場と結びつけて行けば良いんでしょうか?」
「そんなことはエコノミストやアナリストの書いたものを読んでおけ。俺に聞いても有体のことしか言えない。当たり前だが、俺やお前だって普通の人達よりもそうしたことを深く考えている。でも余程の確信がない限り、政局や政権案件で事前にポジションは作らないだろ。重要なのは、その時々の需給と状況判断だ。ところで、話って何だ?」
「はい、また了さんに大きなお世話と言われそうですが、岬君、あッ済みません、岬さんの件です」
山下の奥さんと岬が同期のせいだったこともあり、君付けが癖になっているが、俺の昔の恋人とあって、慌てて言い直した。もっとも、一度付いた癖は直らない。どうせ暫くすると、岬君に戻るに決まっている。
「それで?」
「家内の話によれば、まだ了さんのことを忘れていない様です。と言うよりも、多分、了さんに頼りたいのだと思います。話だけでも聴いてあげたらどうでしょう?」
「そう簡単に言うなよ。別居しているとしても人妻は人妻だ」
「じゃ、僕が来週3本(3000万)稼いだら、会ってもらえますか?」
やけに自信ありそうに言う。
「何で、そこまでお前が彼女のことを気にするんだ?」
「家内が、岬君・・・、岬さんの精神状態を心配しているからです。銀行ではあれだけ仲の良かった二人ですから、家内も岬さんの心の痛みが良く分かるのだと思います」
「そうか、分かった。考えておくよ。そのかわり、3本、ちゃんと稼げよ。それと、奥さんに電話番号とメルアドを聞いておいてくれないか?」
「ありがとうございます」と言いながら、メモを渡して寄越した。
「なんだ、もう用意してたのか。ボード捌きと同様に、こういうことまでお前は速いのか。まあ、良い。ところで、東城さんからの勧めもあって、俺は来週の水曜から休暇をとるが、お前の都合は問題ないか?」
雇用統計が週末に発表されるが、その日の仕切りは山下に任せることにした。
「問題ありません。休暇はフライに出かけるんですか? とすると野麦方面ですね。帰りに松本に寄って貰えると了解して良いんでしょうか?」
「まあな」と答えながら、ダイキリのグラスを口に運んだ。
(つづく)


*チェンジ:クォートしている最中に相場が動くことがある。その場合、出し手がレートを変更することを言う。

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。